甲子園の高校野球も、沖縄代表の興南高校が優勝しました。
興南は春夏制覇
島袋君をはじめ、選手のみなさんの健闘を称えたいと思います。
我が町内にも一人高校球児がいます。
現在高三の彼は小学校の時から、ずうっ~と野球一筋、この夏も真黒になってがんばってましたが、
残念ながら、一度も甲子園には行けませんでした。
彼の夏は甲子園が開幕する前に終ってしまいました。
全国にそういう球児たちがいったいどれだけいるでしょう。
毎日甲子園で熱戦が繰り広げられていた序盤のある日、彼と会いました。
「どこが優勝するかしら??」と私は声をかけました。
彼は「興南が絶対優勝すると思いますよ!!」と・・・・・・。
まだ一回戦の途中の話です。
「へえ~、やっぱり島袋君なんやあ~~!!」って私。
その時、この間まで現役で戦ってた彼の言うことに、妙に説得力を感じていたのですが、
本当に彼の言うとおりになりましたので、なんかちょっと嬉しい気持ちになってしまいました。
彼は大学でも野球を続けるそうです。
ところで、沖縄の応援団から、毎年必ず聞えてくる「ハイサイおじさん」が今年は少ないなあ~と思っていたら、
こんな記事が出ていたので、ビックリしています。
「今年7月、地元紙に、「遊郭を遊び歩く酒飲みおじさんをからかう原曲の歌詞が、高校野球にそぐわない」という内容の投書が掲載されたことから、興南高校野球部OB会が使用自粛を決めた。」
この記事を読んで、
「えっ?それはちょっと違うなあ~~!!」とひどく違和感を覚えました。
「ハイサイおじさん」は喜納昌吉さんの曲ですよね。
30年程前の話ですが、中村鋭一さんが沖縄を訪ねた折、沖縄でヒットしているのを聞いて、大阪に持って帰ってきて、鋭ちゃんがカバーし、それが本土でヒットしたといういきさつのある曲です。
そして、昭和50年代の初め朝日放送のお昼に帯で「ハイサイ歌謡曲」という番組ができました。
テーマ曲は「ハイサイおじさん」、もちろんパーソナリティーは中村さん、アシスタントには私が抜擢されました。
その当時は明るくノリのいいこの曲はテーマにふさわしい曲だな~と・・・・・。
しかし、10年程前に出た喜納昌吉さんのエッセイ「すべての人の心に花を」を読んで、
この曲にまつわる話を知りました。
これは反戦歌ではないか!と・・・・・・。
(あまり詳しくは書きませんので、興味のある方はしらべてください。)
「ハイサイおじさん」は、沖縄民謡のリズムや音階をベースに、アル中おじさんと子供のウチナーグチの掛け合いになった歌詞で、とても明るくノリのいい曲ですが、背景には全く違ったものがあるのです。
これは喜納さんが高校生の時に最初に作った曲だそうで、「ハイサイおじさん」は実在のモデルがあったそうです。
校長先生にまでなった優秀な人が、沖縄戦の中でアル中になって・・・・・・というように、とても悲惨な背景があるようです。
そして、喜納昌吉少年はそれを目の当たりにして、優しい眼差しで歌にしたようです。
ところが、今年は姿を消していた「ハイサイおじさん」、準決勝で復活しました!!
興南が逆転勝利への流れをつくった5回表、三塁側アルプスから「ハイサイおじさん」が流れてきました。
毎年沖縄勢の応援に協力している市立尼崎高校吹奏楽部顧問の羽地先生が機転を利かせ、この曲で
ナインの後押しをしたのです。
興南の島袋君やキャプテン我如古君は優勝インタビューで、
地元沖縄に感謝の言葉をたくさん言いました。
「この優勝は沖縄県民で勝ち取った優勝だと思います・・・・・」
これを聞いた時、沖縄の歴史を思わずにはいられませんでした。
京都の子が、大阪の子が、そんなコメントしますか??
絶対しません!!
「ハイサイおじさん」が相応しくない歌だとは私は決して思いません。
この曲を甲子園の応援歌として使われだしたいきさつもとても素敵は話です。
尼崎に住むこの沖縄出身の羽地先生が自分の生徒たちとブラスバンドでスタンドから応援しだしたのが始まりだとか。ずいぶん昔から、先生は自分の教え子たちとアルプスで応援してきているのですよね。
何も知らない人間が、表面だけ捉えて、批判をするなんて・・・・・。
興南の優勝を心からお祝いするのと同時に沖縄のことを思った一日でした。
多恵子