惜別・花井悠さん!! | 土谷多恵子のRADIO DAYS

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業界歴ン十年の(笑)土谷多恵子が、目にし耳にした放送裏話や、古今東西洋邦問わず、音楽についてのウンチクをご披露します。ついでにABC「ドキハキ」のことも・・・・

花井悠さんが亡くなりました。

今朝MBSに行き、早速手に取った朝刊で知りました。ショックです。しばらく声も出ませんでした。


初めてABCのレギュラーを持ったのが花井さんとの番組でした。私より先にオーディションで相手役が決まっていたのですが、その人はあまりお上品すぎてスポーツ番組に合わないと言うことで急遽私に白羽の矢が・・・・・・もうあれから30年です。

スポーツ局のナイター・オフのベルト番組です。確かタイトルが「ラジオ ストーブリーグ」で、スポンサーがエスエス製薬さんだったと思います。毎日夕方の10分番組で中身は8分12秒!!お互いベルトのそういう番組は初めてでして、8分12秒であげてくれと言われてもなかなか時計を秒単位まで見ることが出来ない2人でした。

そこで、当時のアナログの針の回るストップ・ウォッチの硝子をはずして、赤いペンで12のところにしるしをつけたりして半年間2人で乗り切りました。花井さんは解説のお仕事はされていましたが、自分で番組を仕切るというのは初めてということでした。もちろん私のABCにおけるキャリアのスタートになった番組でもあります。

1976年(昭和51年)の秋から1977年(昭和52年)の春の出来事です。この間、初めてタイガースの安芸キャンプにも取材に行きましたし、当時のスター選手たちにもずいぶん取材をするという経験をしたのです。田淵、江本、古沢、片岡・・・・・みんな花井さんが紹介してくれました。

そして、その初めての安芸球場のグランドで、当時飛ぶ鳥を落とす勢いの「おはパソ」初代パーソナリティー・中村鋭一さんと出会ったのです。その年の秋、参議院選挙に破れた後フリーになった中村さんの相手役に抜擢される土台がその時にできたのでした。その番組はもちろんスポーツ・コメンテーターとして花井さんもご一緒でした。懐かしいです。今朝は中村さんとそんな話しをしましたよ。「おはよう朝日です」の出演よりずっと前のことでした。


花井さんは岐阜高校のエースで4番。夏の甲子園では準優勝ピッチャーでした。優勝したのは佐々木信也さんや高野連の脇村春夫会長の湘南高校だったと思います。後に慶応の野球部で佐々木さんとはチームメイトになるのですが・・・・・・(脇村さんは途中で受験に専念され東大に・・・)

佐々木さんとは仲良しだったと思いますよ。2人がプロになって戦った時の話を花井さんはよくしてくれました。「内野ゴロを打っても、あいつのとこへ行ったら、捕球する時足踏みしてくれてよう一塁でセーフにしてもろたわあ~~!」と・・・・・

花井さんは野武士軍団三原監督率いる西鉄黄金期の外野手でした。先日亡くなった稲尾さんとも仲良かったです。「悠さん!!」「サイちゃん!!」と呼び合うようすを稲尾さんのABC時代に見かけました。日本一に2人は3度もなってるんですよね。

今日、ABCのスポーツ部の方々と哀しいしいことが続くなあ~と・・・・・・当時若手だったスポーツ部員もみんな偉くなり、局長や部長です。みんなを引き連れた番組後のお茶はいつも盛り上がりました。ゴルフも行きましたよね。


最期にお会いしたのはアベロクさんの日曜の番組の最終回だったと思います。別れ際に私は「花井さん、何時までも元気でいててね!!」と言ったのに・・・・・・


楽しい人でした。優しい人でした。面白い人でした。明るい人でした。声の大きな人でした。そして本当に暖かな人でした。


花井さんの満面の笑顔は忘れません。


ご冥福をお祈りいたします。


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