京都の朝鮮学校に「保健室の先生」、開校65年で初の常勤 12年前のヘイト事件を機に | かっちんブログ 「朝鮮学校情報・在日同胞情報・在日サッカー速報情報など発信」

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(引用元:京都新聞記事より)

 

 

 

京都の朝鮮学校に「保健室の先生」、開校65年で初の常勤 12年前のヘイト事件を機に

 

 

 

 

 

 
 
 
 
↑京都新聞記事より
 
 
 

京都朝鮮初級学校(京都市伏見区)に今年4月、1946年の開校以来初めてとなる常勤の養護教諭が初めて着任した。公的補助が乏しい朝鮮学校では、養護教諭の存在自体が珍しく、全国でも「常勤」は約15年ぶりとなる。新人教諭が「保健室の先生」を志したきっかけは、12年前に京都で起こった朝鮮学校へのヘイトクライム(憎悪犯罪)だった。

 

■聞くに堪えない暴言、ユーチューブで閲覧

 

 「アンニョンハセヨ(おはよう)」。登校してきた児童たちに、養護教諭の曺元実(チョ・ウォンシル)さん(27)=京都市=が玄関で声をかける。体調が悪そうな子や、暗い表情の子はいないかを確認するための日課だ。

 曺さんは、岐阜県出身の在日コリアン3世。昨年まで愛知県の病院に看護師として勤めていた。養護教諭になったきっかけは、2009年12月、「在日特権を許さない市民の会」が、京都朝鮮第一初級学校(京都市南区=現在は統合し、京都朝鮮初級学校)を襲撃した事件だった。

 当時15歳の曺さんは、一部始終を映した動画を母とユーチューブで見た。「スパイの子ども」「ゴキブリ朝鮮人」-。聞くに堪えない暴言が心をえぐった。

 

■自身も差別を受けた経験が

 

 曺さんも、朝鮮学校にチョゴリを着て通学中、車に乗った男性から唐突に「死ね、バカ」と言われた経験があった。でも、京都の事件は「人間が人間にかける言葉ではない」。動画は見られなくなった。

 京都朝鮮第一初級学校には当時、心のケアをする教員がおらず、夜泣きをするなど「心の傷」を受けた子が多かったとも聞いた。「相当つらかっただろうな」。いつか、子どもたちの力になりたいと強く思った。

 

■「差別にさらされ、気持ちを押し殺しているのでは」

 

 7年後、看護師になった曺さんは、朝鮮学校への高校無償化適用を訴える署名活動に加わるようになっていた。在日コリアンの若者が「お願いします」と連呼する前を、知らん顔で通過する人々。皆と同じ権利を求めているのに、なぜ低姿勢でお願いばかりするのだろう。

 「在日コリアンの若者は、幼い頃から差別にさらされ、つらくても気持ちを押し殺す生き方を身につけているのでは」。子どもたちに向き合い、自分を大切にする心を育てたい。朝鮮学校の保健室で働こうと心が定まった。

 看護師の曺さんは、学校現場での実習などをすれば、養護教諭の国家資格を取れる。選んだ実習先は、京都朝鮮初級学校。昨年10月、曺さんは京都へ向かった。

 

■手探りだった朝鮮学校の「保健室」   

    

 京都朝鮮初級学校に実習を指導できる養護教諭はいなかったが、かつてボランティアで同校の「保健室の先生」を担っていた元ベテラン養護教諭の佐藤友子さんが駆けつけ、3日間の実習が行われた。それが終わってすぐ、曺さんは「ここで働きたい」と学校側に伝えた。

 学校の誰もが、「保健室の先生」を望んでいた。教科指導を担う教員たちに、保健の専門的な知識はない。傷病の応急処置や発育測定、性教育、心のケアなどは、何もかも手探りで行っていたからだ。

 

■乏しい公的補助、資金不足が雇用のネックに

 

 ネックは資金不足だった。朝鮮学校は、学校教育法に定められた施設でないため、公的補助が乏しい。京都朝鮮初級学校の運営費に占める府と京都市からの「教材購入補助」は約5%ほどで、人件費や設備費など運営費の約8割は、寄付金で賄っている。

 全国各地の朝鮮学校も同様に、養護教諭を配置する余力は無く、「いないのが当たり前」だ。常勤の養護教諭は、15年ほど前に広島朝鮮初中高級学校(広島市)にいたのが最後で、現在は非常勤の養護教諭が兵庫県にいる程度だという。

 曺さんは「常勤は難しいかな」と、佐藤さんに相談した。答えは「非常勤は絶対だめ」。

 

■ベテラン養護教諭が語った「保健室の先生」の大切さ

 

 なぜ、常勤を勧めたのか。京都府立高校の養護教諭として約40年勤務した佐藤さんは「学校には、色んな子がいて、集団に入りきれない子もいる。どの子にも寄り添って居場所をつくり、全ての児童の学びを保障するのが保健室」と説く。「週2、3回では、応急処置や保健指導しかできないでしょ。必ず常勤の養護教諭が必要だと思ったの」

 一晩考えた曺さんは、常勤での雇用を申し出た。学校の資金力だけでは雇えないため、朝鮮学校を支援する市民団体「こっぽんおり」(京都市)が資金を拠出した。開校以来初めて「保健室の先生」がいつもいることになった。

 

■心を開き始めた子どもたち

 

 4月、曺さんは着任した。朝の見守りの後は、消毒液の補充や、校内の安全点検などをする。保健室のドアに「今、先生がいる場所」を知らせる掲示板ができた。「保健便り」も発行されるようになった。

 児童は、新しい「保健の先生」に心を開き始めた。1、2年生は「大人の歯が小さいけど大丈夫?」などと質問をぶつける。病休明けにクラスに入りやすいよう、精神面のサポートをしてもらった児童もいる。

 文峯秀(ムン・ボンス)校長は「たとえば、身体測定の結果を友だち同士で比べないよう助言したり、『朝、しんどい時は保健室来てもいいよ』と無理させなかったり、僕らにない心遣いがある」と感心する。

 

■もし、子どもたちがつらい差別に直面したら

 

 根強い差別が残る日本社会で、児童たちは将来、つらい出来事に直面するかもしれない。「そんな時、『ルーツに誇りを持って』と応援されると、我慢して『痛み』に鈍感になっちゃうかもしれない」と曺さん。自らが受けた差別や、12年前の悲しい事件を胸に、「保健室で弱い気持ち、つらい気持ちを見せてくれていい。自分らしい人生のスタートを、少しでも支えられたら」とほほえむ。

 

 

 

 

 

 

 
 
 
 
↑京都新聞記事より

 

 

 

 

 

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