【特集】東京五輪、力道山の思い 在日朝鮮人空手大会に敬子夫人参加 | かっちんブログ 「朝鮮学校情報・在日同胞情報・在日サッカー速報情報など発信」

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(スイルソンセンニンのFBより)

 

 

 

【特集】東京五輪、力道山の思い 在日朝鮮人空手大会に敬子夫人

 

 

 

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東京朝鮮中高級学校で開かれた在日朝鮮人空手道選手権であいさつする力道山夫人の田中敬子さん=2日

 

 

 

「主人が亡くなって55年。生前は、昭和の大変な時に、日本やアジアの人に夢と希望を与えた。これからは皆さんの時代。空手で夢と希望を発信してください」。2日、東京朝鮮中高級学校で開かれた在日本朝鮮人空手道選手権に特別来賓として参加したプロレスの故・力道山の田中敬子夫人(77)があいさつした。

 今年で12回目となる大会だが、田中さんが訪れたのは初めて。「空手チョップ」を武器に外国人レスラーをなぎ倒し、戦後日本のスーパーヒーローとなった力道山は、朝鮮半島出身で北朝鮮でも英雄視されている。敬子夫人の招待は、朝鮮空手道連盟の副書記長も務める宋修日・在日本朝鮮人空手道協会理事長らの発案で実現した。

 

 

 

 

 ▽切実な信念

 力道山が暴漢に襲われたけがが原因で、非業の死を遂げたのは、1964年東京五輪の前年の12月。その約半年前に結婚したばかりだった敬子夫人には、しょっちゅう「スポーツで平和が生まれるよ」と話していたという。五輪への期待は大きく、結婚間もないころ、関連団体に1千万円を寄付した。

力道山が口にした「平和」という言葉は単なる理想論でもなかったようだ。敬子夫人によると、当時、力道山は戦端が開かれていたベトナムなど国際情勢に関心が強かった。中でも、日本と韓国の国交正常化交渉の成り行きはことさら気に掛けていた。五輪は国家間の友好促進に役だつ。その考えは、自身の生い立ちを含めた人生の中で獲得した切実な信念だったのかもしれない。

 

 

 

 

 

結婚式を挙げ、カメラマンに囲まれる力道山と敬子夫人=1963年6月5日、東京都港区のホテル

 

 

 

 ▽日朝結ぶ縁

 在日朝鮮人の空手界は最近、活気に満ちている。背景には、昨年10月に朝鮮空手道連盟の世界空手連盟(WKF)への加盟が認められ、在日選手が北朝鮮代表として2020年東京五輪に参加する道が開かれたことがある。

 日本の空手界との協力も進んでいる。有望な在日選手は、日本の空手の強豪大学で練習。2日の大会には、笹川尭・全日本空手道連盟会長も初めて来賓として訪れ「スポーツに国境はない。すべての大会にみなさんが出場できるようお手伝いする」とエールを送った。

 相撲出身ながら「空手チョップ」が代名詞となった力道山。その空手界で、日朝の交流が深まっていることは深い縁を感じさせる。

 

 

 

 ▽外の世界へ

 39歳で世を去った力道山。もし生きていれば、20年東京五輪にはどんな期待をしただろう。敬子夫人は「多分こう言いますよ」と言って話した。「最近の日本の若者はあまり外国に行きたがらないようだけど、五輪をきっかけにどんどん出て行って、外の世界を知るとともに、日本の素晴らしさも分かってほしい」。(共同通信=松村圭)