旅の記憶5 | 佐野光来

佐野光来

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  ひとりだととにかく移動がスムーズだった。例えば目的地付近の駅で地上に降り立ったとき、「さてここからいったいどう行けばいいのだっけか」みたいな、やりとりの時間を省けたりする。ポケットWi-Fiを借りて行ったので、グーグルに住所は入れておくのだけれど、とりあえずなんとなく左右どちらかにぐんぐん知ってるふうに歩いてみて、しばらく歩いたあと、ぱっと地図を確認する。間違ってたら、引き返せばいいだけのことを、無言で行うことができる。スリに狙われないためにも、慣れてるふう、なのは旅にでたときはすごく重要だ。目的地と目的地の合間に気になるお店があれば誰の了承を得ることもなく入れるし、飲むのも食べるのも、ひとりだと全然しなくても良かったりする。一度ある美術館の、小さな風景画の前で謎に涙がでてきたとき、ひとりでよかった、と思ったりもした。説明し合うこと、相談し合うこと、その間に放出される気遣いを皆無にすることができるらしいのだった。それと、「この景色、誰々と一緒にみたかった、みせてあげたいなあ」みたいなことを全く思わなかった自分の、どこまでもひとりな、淡白さにも驚いた。だから、私にとっての、ひとりで旅をするってなるほどね、こういうことなのかしらね、と頷きながら、面白かったなあ、気楽だったなあ、なんて帰ってきて、撮った写真を見返してみるのだけれど、その一枚一枚の、記憶の薄いこと…。こんな絵、みたっけ。。こんな場所、行ったっけ。。が続くのである。なんだろうこれは。ひとりだとどうも思い出の量に限界があるみたいだ。そうだとするならば、記憶する脳はひとつでもふたつでもみっつでも多いほうが、多彩で豊かな記憶になるのではないか。ひとりで旅をして、ぐんと広くなった世界は、帰ってくれば案外狭く、私が省き続けた無駄な時間のなかにこそ、ほんとはいちばん大切ななにかが詰まっているのかも。いやでもやっぱり気楽でよかったんだけど。またひとりで行ってもいいし、誰かと行くのも、悪くないんだろうなあ。誰かと行ったらグルメがしたいな。
  
  というわけで以上、旅の記憶でした。