「やわらか本」のこと、ネットで調べているうちに知ったという、いま出向させられた学校で悩んでいる方からリクエストが来ました。
今までの子どもの育ちと学びから考えていた学校の基本が、新しい学校では全く違っているようで、そのことでどうするかの深い悩みが生まれているということです。
ぼくの「やわらか本」は、現場での管理→スタンダードによる一斉指導、同調性の強化に、自分自身が悩んできたことが、書いている動機であり、中身になっています。現場に立つ教師だからこそ抱える悩み。だから、ぼくはその連絡くださった方に、深い共感を持ちます。
昨年、11月、その学校を訪ねて、授業を観て、子どもたちと教師たちの関わり方に触れました。その時、思い出したことがありました。「これは、かつてのぼくの教室だ」ということ。その時に悩みながら、実践したことを。
もちろん、その学校の積み上げた実践の歴史と、深い協同の考察のもとで進められていたことと、ぼくが一人悩んで続けていたことでは、深さが違うでしょう。けれど、切実さ、深刻さでは変わらなかったと思います。
かつての自分の思いを振り返って、ブログで綴っています。その方の今の悩みと重なることも多い、そう思って紹介してみます。
もうずいぶん前のことになります。ぼくの、「小学校担任最期の年」だったときのことだからです。(昨年、まさかの半年間の小学校担任なんて、マサカもありましたが。)
かつての『さんにゴリラのらぶれたあ』よりの再録です。
(2022-07-02記事より)
これまでこのシリーズで書いてきたように、学校現場の最後の1年間は”手のかかる”子どもたちとの奮闘の毎日でした。(学年当初は、毎時間5~6人の子どもたちがふらふらとたちあるいていました。教室の外に出ていく子もいました。想定済みと言えばいいのか、楽観的に見ていました。)
でも、なぜか、「困ったなあ」と思うことはありませんでした。
きっとそれは、保護者の方たちの理解が広がっていたことを実感しながら子どもたちと向き合っていたからだと思います。ムナシサがないこと、これが大きかったんだなあ。
子どもたちとの活動であったことを学級通信『らぶれたあ』に率直に書き、伝えるようにようにしました。それは、それまでずっと続けてきたことでしたが、この最後の学年では、1年生の時のことを踏まえ、より突っ込んだ自分の思いを書くようにしよう考えました。(ぼくの書く学年通信もお知らせ通信にはしませんでした)
そこには当然難しさがありました。
固有名を出さないと、何を伝えたいのかよくわかりません。けれど、わははと笑えるようなことばかりではないので、書いたことが問題を生むかもしれないという懸念もあります。
無難に、曖昧に書く方がいいのか、そればかりを優先すると、何のために書いているのか自分でも書く意味がわからなくなります。
そこで、時々、「そもそもどうなのか」を考える、そんな『らぶれたあ』も書くことにしました。
子どものしていることへの洞察と、自分が教師としてどうすべきかの省察の文章です。
子どもへの眼差しはどうだったのか、そのことはどう変わって行くのか、そこで考えたことを綴りました。以下の『らぶれたあ』104号はそれになります。
きっかけは、前日の学年合同の保護者の方たちの読み聞かせ会での子どもたちの姿を目の当たりにして考えたことでした。
1学期から学年合同で子どもたちと向き合うことを大事にしていたので、保護者の方たちもそれを受けとめての活動をしていました。(ここでの「学年合同」とは安易な同調を求めることではありません。クラス、各担任は自分のやり方を尊重しあうことを前提に、目指す方向は確かめ合うという意味です。)
『らぶれたあ』104号 2011.10.05 より
子どもの問題としないこと
「困った子は 困っている子」
――読み聞かせに集中する子どもたち
「困った子」という言い方がされることがあります。この言い方への疑問から、視点の転換を図らなければならないとして、「困った子は 困っている子」ということばが広がりました。
子どもたちの発達援助者である教員は、「困った」と嘆いても状況は変えられません。その子(たち)のなかにどのような困難さがあるのかをつかみ、それを抱えている子ども(たち)の辛さを共感して受け止めること、ここからしか教員の仕事は始められません。「困った子」として、叱責するなど、発達援助職としては、むしろ有害でしょう。
子どもへの洞察、自らの省察
「困っている子」と言い換えてみると、すべきことを探求することになります。
教員には対象(子どもたち)への深い洞察と、自らの行っていることへの省察こそが求められています。
「困った子」という言い方には、どこか冷淡さが付きまとっているように思います。
ことばの問題ではなく、この仕事の深いところに存在する問題を繊細に受け止めることが必要です。
「聴けない子たち」→「聴かない子たち」
子どもたちのことが「聴けない子たち」とされることがあります。
この言い方にも、先に例に挙げた「困った子」と似た問題があると思います。
昨日は、お母さん方11人が見えて、学年全体の本の読み聞かせをしていただきました。その時、子どもたちはすごく集中していました。「聴けない子どもたち」ではありませんでした。
その場でぼくは考えました。子どもたちはかつては「聴けない子たち」とされていましたが、そうではなくて「聴かない子たち」だったのだと。
大型絵本を用意し、読みの工夫があり、効果音楽(K先生のピアノ)があれば、子どもたちは集中するのです。
子どもたちが「聴けない」とされてきたのは、聴きたくなるような内容の語り方がされていないからではなかったのか。子どもたちはとても正直なものです。つまらない話には集中しません。子どもたちの主体を尊重すべきで、つまらないと思ったものは聴かないのだと考えています。
子どもたちが「聴かない」から「聴こうとする」へ変わっていくには「聴くのは当たり前だ」というゴーマンな私たちの姿勢を転換する必要があります。聴きたくなるような内容と語り口をぼく自身ができるようになることです。
「オモシロい」「ふ~ん、なるほど」「もっと話してよ」と子どもたちに思ってもらえることは、教師が子どもに阿(おもね)ることではありません。それは、子どもたちと同じ地平で生きるという意味です。子どもたちの示す反応、態度は、ぼくの考えるべきことを教えてくれる”先生”です。
ぼくの学校現場最後の年は2011~2012年。10年前でした。
すでに学校現場の困難はあちこちに浸透していました。
その中での思いを『らぶれたあ』に綴っています。
保護者と教師はパートナーとして子どもの幸せのために向きあう必要があるという自分の確信を発信したものです。
104号の次の105号には、教師の仕事の意味について考えたことを綴っています。
「サンニセンセイは、こんなこと考えてんだ」――それを知ってもらうことも『らぶれたあ』を書く意味でした。(つづく)
学校の教師の困難(学校現場最後の年に⑱)
2022年、今や教師という仕事のイメージは「暗闇」に近いものとして、多くの人たちに知られるようになっています。
学校に担任がいない状態があちこちで起き、教員採用試験に応募する人たちが激減しています。こんな記事もあります。
佐賀は年2回実施へ、「教員採用試験」倍率低下の深刻度 | 東洋経済education×ICT | 変わる学びの、新しいチカラに。 (toyokeizai.net)
ぼくのところにも、学校で教員の枠に「穴」が空いており、誰か紹介してくれないかの問い合わせも度々来ています。教育委員会では対応できず、個々の学校でさがすしかないのです。(ぼくは2月~3月にかけて、実際にある小学校に入りました。)
どうしてこんなことになっているのか。
この20年程の日本社会の有り様が、ついにこうした状況を生みだしました。
教育や福祉などへの相応の予算配当を削り、一部の富裕層にばかり目配りをし、国民へは自助を求め、困難の理由は自己責任論で片付けます。
「公」をできるだけ削り、「私」の部分を最大化する新自由主義的政策の結果です。(このしんじゆう主義ということば、ロに出すとシンジュー(心中)主義と聞こえます。イヤな響きです。)
ぼくの学校現場最後の年は2011~2012年。10年前でした。
すでに学校現場の困難はあちこちに浸透していました。
その中での思いを『らぶれたあ』に綴っています。
保護者と教師はパートナーとして子どもの幸せのために向きあう必要があるという自分の確信を発信したものです。
2011.10.06『らぶれたあ』105号より
保護者からすれば、教師のボヤキは聴きたくないでしょう。ボヤキにならない声を届けたいと思いました。私たちの置かれている状況に理解をしてもらう必要はありました。
この2011年時点と今では、比べてみると一層状況は深刻化しています。
学校は、ベテラン層の大量退職の中で、若い教職員が多くなりました。経験の少ない若手を即戦力にするために、強制的な研修が強化されました。そして、10年前くらいから学校の指導の均質化を企図して、学校スタンダードというものがあちこちで導入されました。
この学校スタンダードを徹底すれば、経験の少ない教師でも指導ができるというわけです。
しかし、この学校スタンダードは機械的な対応を求めるものなので、子どもにも、教師にも、「その指導って何?」という疑問を持たせ、教育ではなく、調教ではないのとさえ思うものがあります。
標準的指導のはずが、基準とし全校をあげて一律徹底が図られていきます。コロナ禍でそれは一層強く指導することが求められました。同調圧力も強められました。
この間、ぼくがこのシリーズに書いてきたのは、困難な中でも共感的な眼差しを持ち、保護者協同を支えに実践することの意味を、今の時点で問い直してみようと考えたからです。少し長めの時間軸の中で見た時、それらは過去のことではないと思います。
2011.10.06『らぶれたあ』105号より
保護者からすれば、教師のボヤキは聴きたくないでしょう。ボヤキにならない声を届けたいと思いました。私たちの置かれている状況に理解をしてもらう必要はありました。
この2011年時点と今では、比べてみると一層状況は深刻化しています。
学校は、ベテラン層の大量退職の中で、若い教職員が多くなりました。経験の少ない若手を即戦力にするために、強制的な研修が強化されました。そして、10年前くらいから学校の指導の均質化を企図して、学校スタンダードというものがあちこちで導入されました。
この学校スタンダードを徹底すれば、経験の少ない教師でも指導ができるというわけです。
しかし、この学校スタンダードは機械的な対応を求めるものなので、子どもにも、教師にも、「その指導って何?」という疑問を持たせ、教育ではなく、調教ではないのとさえ思うものがあります。
標準的指導のはずが、基準とし全校をあげて一律徹底が図られていきます。コロナ禍でそれは一層強く指導することが求められました。同調圧力も強められました。
この間、ぼくがこのシリーズに書いてきたのは、困難な中でも共感的な眼差しを持ち、保護者協同を支えに実践することの意味を、今の時点で問い直してみようと考えたからです。少し長めの時間軸の中で見た時、それらは過去のことではないと思います。