宮沢賢治の詩について語る又吉直樹氏の映像があります。
後半の10分35秒~<3分くらい>です。「眼にて云ふ」と「雨ニモマケズ」について語っています。
賢治は1933年(昭和8年)に37歳で亡くなる晩年の前数年間は、病気のために寝たり起きたりを繰り返していました。結核です。(ここからは、「宮澤賢治の詩の世界」というサイト記事を参考に押させてもらいました。熱と汗の四十日 - 宮澤賢治の詩の世界 (ihatov.cc) )
小康を得た賢治は、東京へ石灰石のセールスをしに行った時、神田の宿で倒れ、死を意識して書いた心中の「つぶやき」のような書きつけでした。それが「雨ニモマケズ」でした。発表を意図したものでもなかったものです。
これは、死後、手帳の中から発見され、1934年第1回の「宮澤賢治の会」(東京にて開催)で弟の宮沢清六氏により紹介されました。
又吉氏が紹介する「眼にて云ふ」は、賢治が羅須地人協会の活動で倒れて、実家にて療養する中で書いた詩です。このとき、賢治が病中で書いた詩群は『疾中』としてまとめられています。
賢治のことを主治医として診たのは佐藤隆房氏でした。「眼にて云ふ」の原型の詩では「S博士に」として出てきます。
1928年(昭和3年)ーー賢治が亡くなる5年前ーー8月、賢治は下根子桜における羅須地人協会の活動に終止符を打って、豊沢町の実家に戻ります。
その理由は、一般には賢治の病気のためとされていますが、この時の状況について佐藤隆房氏は、『宮沢賢治―素顔のわが友―』(冨山房)に次のように書いています。
昭和三年の八月、食事の不規則や、粗食や、また甚だしい過労などがたたって病気となり、たいした発熱があるというわけではなく、両側の肺浸潤という診断で病臥する身となりました。その時の主治医は花巻共立病院の佐藤長松博士でしたが、重要な診断や助言については、前々から父政次郎さんと昵懇の仲であって、また賢治さんとも親しい間にあった院長の私が当たっていました。
肺浸潤という婉曲な表現がとられる理由は、抗生物質もなかった戦前においては、不治の病と恐れられる「結核」という言葉は、人々にとってあまりにも不吉な響きを帯びていたためです。皆があえてその忌わしい語を口に出したくなかったからでしょう。結核性胸膜炎が一般に「肋膜」と呼ばれ、また結核性脊椎炎が「カリエス」と、結核性頸部リンパ節炎が「瘰癧(るいれき)」と、それぞれがまるで別の病気のような名前で呼ばれるのも、同じ事情によるのだと思います。
この状態の賢治がもしも、羅須地人協会の建物で一人で寝込んでいたならば、例によってきちんと栄養も摂らず、汗をかくたびに濡れた衣類で体を冷やしてしまい、そんな状態が続くうちには、生命も危うくなったのではないかと思います。
実際、その3ヵ月後の12月には、賢治は実家にいながらもまた次のシュープに襲われ、今度は本当に生死の境をさまようこととなったのです。
実家に戻った理由として、病気以外の要因を考えること自体は不可能ではありませんが、少なくとも病状だけからしても、独居生活を継続することは、到底無理だったと思われるのです。
賢治の自らの死を見つめる眼のすごさをこの詩から強く感じます。
最愛の妹、トシを失った賢治の死を見つめる透徹した意思は素晴らしいけれど、哀しくもあります。
眼にて云ふ
宮沢賢治
だめでせう
とまりませんな
がぶがぶ湧いてゐるですからな
ゆふべからねむらず血も出つづけなもんですから
そこらは青くしんしんとして
どうも間もなく死にさうです
けれどもなんといゝ風でせう
もう清明(せいめい)が近いので
あんなに青ぞらからもりあがって湧くやうに
きれいな風が来るですな
もみぢの嫩芽(わかめ)と毛のやうな花に
秋草のやうな波をたて
焼痕のある藺草(いぐさ)のむしろも青いです
あなたは医学会のお帰りか何かは知りませんが
黒いフロックコートを召して
こんなに本気にいろいろ手あてもしていたゞけば
これで死んでもまづは文句もありません
血がでてゐるにかゝはらず
こんなにのんきで苦しくないのは
魂魄(こんぱく)なかばからだをはなれたのですかな
たゞどうも血のために
それを云へないがひどいです
あなたの方からみたらずゐぶんさんたんたるけしきでせうが
わたくしから見えるのは
やっぱりきれいな青ぞらと
すきとほった風ばかりです。
(原詩)
S博士に
だめでせう
とまりませんな
どうもがぶがぶ湧くですからな
ゆふべからねむられなかったもんですから
そこらは青くしんしんとして
どうも間もなく死にさうですな
けれどもなんといゝ風でせう
もう清明が近いので
あんなに青ぞらから湧くやうに
きれいな風が来るですな
もみぢの嫩芽は
まるでやさしい花のやうですし
あなたは黒いフロックコートを召して
こんなに本気にみてくだすった
それもあなたの病院の
花壇を二年いじっただけの関係で
これで死んでもどこに文句がありませう
こんなにのんきで苦しくないのは
わたくしのたましひすでにからだをはなれたのですかな
たゞどうも血のために
それを云へないがひどいですな
あなたの方からみたらずゐぶんさんたんたるけしきでせうな
わたくしから見えるのは
やっぱりすき透った青ぞらばかりです