【私が受けた性教育】その⑩ | 性教育とぽんずともろみ

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2022.8.14 くもり

 

 

とうとうシリーズ⑩拍手

 

 

まとめに入らねば…スター

なので…ちょっと長いです。お時間ある時お読みくだされおいで

 

 

 

 

 

看護学校を休学してお産し、その時出会った助産婦(当時は助産婦って名称だった)さんたちにハートを鷲づかみにされた私「助産婦になりたいグーと言う気持ちで看護学校に復学した。

 

 

ただ…私には、妊娠右差し休学した学生…ってレッテルががっちり貼られている状況、先生方の対応は甘くなかったし、子どもを保育園に預けて通学するのはかなりきつかった。課題、レポート、テストが山盛り。当時は土曜日も講義がありカラダ休める時間はほとんどなかった。

 

 

ついでに夫は単身赴任真顔全く誰にも頼れない魂が抜ける

 

 

でも、かえってこれが良かったのだと思う。退路なし。前に進むしかなかった。

 

 

あと、先生方の厳しい対応で「なにくそダッシュと思えた事も良かった。反骨精神強めな時期だった私。「なにくそダッシュ最強パワーキメてる

 

 

もう一つ、めちゃめちゃカラダが丈夫だった事。ついでの心も丈夫な方だと思う。これが役立った。

 

 

さて…私は、ここに至るまで、勉強できた事がなかった。

 

 

小学校では九九が覚えられなくて最初につまずき、その後も漢字、社会の年表、都道府県や県庁所在地ナド…覚える系は全部ダメ。

 

 

一度「ダメ」と思い込んだら、もう、全て「ダメ」でしかなくて。授業中は妄想の世界に逃げ込んで終わるの待ってた小中高校学校時代。

 

 

ところが…

 

 

復学してからの私は自分で言うのもなんだけど(って自分でしか言えないけど泣き笑い)別人だった。講義中に寝る事はほとんどなかったし、質問や発言も積極的にしてた。自分を認めてもらうには自分でがんばるしかない。とにかくいつも勉強していた。

 

 

中学生や高校生の出産事例では、本人が高校を卒業したい気持ちがあるならぜひそうして欲しいと思って支援する。その際、周囲の人たちがサポートできる事と、本人がやるしかない事は整理したい。どんなにサポートが手厚くても、最終的に「やるのは当事者」

 

 

本人がやるしかない事がある。誰も変われない事がある。それは、私自身の体験から言える事。一時的にはすごく大変。だけどそれをやり切った後に大きな自信が生まれる。

 

 

卒業の証と大きな自信を掴んで欲しい。その後の人生で何があろうと、ちょっとやそっとじゃ揺るがない強いものだからキラキラ

 

 

話し戻しまーす指差し

 

 

そんな感じで…成績はクラス上位だったため、助産婦学校へ進学する要件はクリアできた。(進学するためには基準を満たす必要があった)

 

 

卒業年にストレートでは決められなかったけれど、翌年に1校だけ合格する事ができて、晴れて助産婦への道を歩き始めたのだった。

 

 

この学校がまた…おいで

 

 

めっちゃ性教育に力を入れている学校だった。

 

 

教務主任がその時代の性教育界の有名人だったらしく(その時は関心なかったから良くわかってない)

 

 

性教育や避妊法の歴史調査や現状をまとめる課題がじゃんじゃん出され、性教育に関連する集中講義等もあった。図書館にも関連図書が多く、本読んで、ディスカッションってのも活発にやっていた。

 

 

「代理母は是か非か」とか「中絶が禁止されたら」とかをテーマに全員(学生15人+教務)で白熱した議論を展開し、白熱し過ぎて半分ケンカ腰になったりもした。毎回泣く子もいた泣き笑い

 

 

目玉は都内の離島の高校に約1週間、性教育実習に行く…と言うモノ。

 

 

指導案作って、教務にプレゼンして、ダメ出しされて修正して、OKでたら教材作って、リハーサルして…本番は現役高校生相手に実践。

 

 

終わったら高校の先生方と教務と振り返りして、ガンガン叩かれて、次の実践準備を始める。

 

 

ってのを繰り返す地獄の合宿。

 

 

最初は「みんなで順番にご飯作ろう」とか言ってたけど全く余裕がなくなり、食べる事も寝る事も雑になっていった。

 

 

ホント、地獄の合宿。

 

 

全てのメニューが終わってみんなで乾杯した後はほぼ全員、一口生ビール飲んで瞬時に意識を失った泣き笑いどうやって宿に帰ったんだか謎。

 

 

この合宿以外にも、教務主任の学会発表を聞くために、わざわざ神戸まで夜行バスで向かったりした事もあった。

 

 

教務主任は、今はない避妊フィルム「マイルーラ」右差し

 

 

製造中止になってるのに検索すると通販サイトに出て来るおいで

 

 

 

 

上差しの制作者1人だったので、その発表をされていた。他にもペッサリー(今は避妊よりも子宮脱の治療で使われている)の研究もされていたみたい。

 

 

 

さて、そんなこんなな助産学生時代、特に興味関心がなかった性教育を強制的に勉強させられたため「マジ迷惑もやもやくらいに捉えていて、もったいない事に貴重な資料の数々を卒業時に全部捨ててしまった。

 

 

あ~…ホントに惜しいアセアセ

 

 

…と、こんな感じで私は助産学生時代に、望まない教育を受け、望まずに高校生対象の性教育を数回実践していたのでした指差し

 

 

卒後は助産師として病院に勤務する事になり、勤務助産師として助産業務を覚えるのに必死な数年間を過ごした。

 

 

改めて「性教育を勉強し直したいグーと思ったのは、ここから数年後でしたスター

 

 

つづく…(続いても良いはてなマーク泣き笑い泣き笑い泣き笑い
 

 

 

思いの外超大作になった【私が受けた性教育】後半はほぼ自分史になっちゃったけど泣き笑い

 

 

書いてて楽しかったでーすキラキラお付き合い下さったみなさま飛び出すハートありがとうございましたーお願い

 

 

 

 

カゴの中のもろみ。中のものは全部毛だらけ無気力