弊害4
●学ばれる側の人
教えている側の因縁を少なからず継承することになります。
人生のどこかで、財政的に騙されやすくなるのです。
もし、これからの人生において、算命学を生業とされることを考えているようでしたら、その方は最終的には、それに見合っただけの「お礼」を得られることは望めそうにありません。
そんなことはない、と言われる方がいるかもしれませんが、調子が良い現象は長続き出来なくなります。
また、次の代に算命学を継承させることは出来なくなります。
●占いを勉強する・・・それは、
⇒人間の運命とは? と探求していくことになります。
⇒ある時点で神というものは、一体何なのだろうという所へ到達します。
(※どの占いをやっても同じ事だと思います。)
古代の人は、今年は川が氾濫しないかどうか(神様が悪魔になるかどうか)、豊作かどうかが大変重要でした。
本来の算命学は、自然の神の真意を知ろうとしたところから始まり、その神様と人間が歩調を合わせる(和する)ことが大切なのだ。という思想から生まれたものです。
例えば、
「家を建てる→木を切り倒す→自然を破壊する→森林の神様は怒る」
「自宅を建てるので木を一本分けて下さいと神様にお願い(祈願)するようになった」
「魚を取りに漁に出る→海の神様に魚を分けてくださいとお願いをするようになった」
こういった習わしは、古くでは巫女さんがお祈りをしていました。
現代の世の中でも当たり前のように、このような祈願が行われています。
算命学を学ばれる立場の人が特に注意してほしいのは、その先生が高尾ご宗家やその流れの先生から、お墨付き(お免状)を頂いているかどうかです。
(注) 因みに、私の師匠の清水南穂先生は、高尾ご宗家から直筆のお免状を頂いております。
以前、ある所から指摘を受けましたので、実際にプロの筆跡鑑定をさせていただいております。確認が必要でしたら、お越しいただけましたら幸いです。