明治以前から日本人の先祖を持つ私たちは体の中にある皇のDNAが 権威を自然に受け止める | 産経新聞を応援する会

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明治以前から日本人の先祖を持つ私たちは、体の中にある皇のDNAが、
権威を自然に受け止めることができます。
いわゆる左巻きと言われている方々はそのDNAが覚醒する前に
皇のDNAを持たない方々が錯覚した権威(マルクスレーニン主義)を受け入れてしまったのでしょうね。経済における一つの学説に過ぎなかったもの、権力を奪取するための大義名分に過ぎなかったものを。

以下 井上政典のブログ 様より転載

ご皇室のことを考える!

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 先日も書いた元旦の「朝まで生テレビ」を振り返ってどうしても書きたくなりました。

 

 天皇陛下の譲位問題についての議論を見ていてとても腹が立ち不愉快になったのですが、どうして不愉快になったのかを自分なりに分析してみたのです。

 

 あの日の参加者は、憲法学者の井上東大教授、共産党の小池議員、ジャーナリストの荻原女史、それに竹田恒泰氏や小林よしのり氏が積極的にこの問題に発言していました。

 

 左巻きが「天皇制」と左翼用語を連発していたのに、最初に不快な思いがしました。でも話を聞いているとその人たちがどんな考え方をご皇室に対して持っているのかが理解できた時にうすら寒い思いがしたのです。

 

 その前に私のご皇室に対する思いを述べたいと思います。

 

 日本文化とその他の文化を比較研究していくと、ある一つのことにぶち当たります。

 

 それは、歴史的に見て、日本は権威の根源が常に明確であったということです。

 

 他の国々では、武力で権力を持ち、そしてその後にそれを権威として高めるような手法を用いてきました。

 

 秦の始皇帝は武力と謀略で次々に諸国を平定し、大陸初の皇帝に君臨しました。そして度量衡(長さや重さの基準)を統一したのです。それまでそれぞれの国で独自の基準を設けていたのです。

 

 たとえば、車の轍(わだち)の幅が違っていると、他国に入ると馬車が使えなくなるのです。

 

 これは鉄道のレールの幅と思っていただければわかりやすいと思います。昔は舗装されていませんから、重い荷物を持った馬車が何度も行き来していると、道路に自然に溝のようなものができてくるのです。馬車の轍、つまり両輪の幅が同じだとその溝に添って逆に安定して運航ができますが、その幅の寸法が違うと傾いて荷崩れが起きてしまいます。

 

 これは一つには軍事上の問題があったのです。というのも他国から侵略を受けると将兵の食料や武器などを運ぶ小荷駄隊の馬車の幅が違えば通りにくくなり、進軍速度が遅くなりますよね。

 

 その幅を統一することはどこにでもすぐに軍事力を誇示できるということになり、支配体制を強化していきました。

 

 そうやって絶大な権力を持ちましたが、始皇帝の死と共にその権力構造が瓦解し、各地で反乱がおき、その後に劉邦が漢帝国を樹立していきます。

 

 長々と書きましたが、力で抑え込んでもその力が弱くなると下から湧き上がる力を抑えきれずに転覆してしまうのです。

 

 そして歴史の変化と共に、武力で制圧するのではなく、選挙という手段で権力を把握するようになっていきました。アメリカの大統領選挙を見れば、どれだけ長い不毛な戦いが繰り広げられたかがわかると思います。あれは、人々の血を流さなくていい代わりに支払う代償(コスト)のほか何物でもありません。

 

 では、日本では?

 

 小泉政権後、6年間で6人の総理大臣が猫の目のように変わりました。

 

 これがもし大陸や半島で起きれば、とうぜん国民の暴動が全国で起こっているはずです。

 

 でも、日本では「また変わったの」ぐらいの反応で、いろんな軋みはでてきましたが、国が混乱することはありませんでした。

 

 その時に、アメリカ人やCHINA人の友人から「どうして日本は総理大臣がころころ変わるのに、国民が平然としているのか」と聞かれました。

 

 その時にハッと気づいたのが、「日本には天皇陛下がおられる!」という答えでした。

 

 もし、毎年のように天皇陛下が変わられたら日本国は混乱の極致になるでしょう。国は乱れに乱れて、国民は御上を信じられなくなり、社会秩序が崩壊すると思います。

 

 ところが、権威の根源である天皇陛下がいらっしゃることにより、国民は安心して自分の役割を果たすことができるのです。

 

 つまり天皇陛下は権威の根源であり、社会秩序の大本であり、相互信頼の基本となる存在なのです。

 

 戦国時代にどんなに国が戦乱で乱れても、日本国の人口はさほど変化していないという研究結果があります。それは無用な殺し合いをしたり、大陸で見られた民族浄化(ジェノサイド)が起きていないからです。

 

 それは将棋とチェスの違いをみれが一目瞭然です。将棋はとると相手の駒を自分の駒として使えます。しかし、チェスは相手を撃破するとその駒は使えません。色が違うのです。

 

 それは、同一民族と異民族の戦いの違いを表しています。

 

 さらに、降伏してきた敵を味方にできるのは、「降伏します、もう決して逆らいません」という言葉を信頼することができるです。それが相互信頼です。

 

 だから、敵の軍門に降ることを良しとしない武将は、再三の嘆願にも関わらず、敵前で見事に腹を切って果てるという場面が多々ありました。

 

 岡田資(たすく)中将は、軍事裁判で米人弁護士の進めにもかかわらず、自分の命を嘆願書を提出しない代わりに部下の赦免を要求し、粛々と絞首台の露と消えられました。

 

 明智光秀が目立つのは主殺しという日本ではあまり見られなかった手段で政権を奪取しようとしたからです。

 

 その戦国時代でさえも、ご皇室の存在は大きかったのですが、そのことにいち早く気がついたのが織田信長でした。他の諸武将は室町将軍を大切にしようとしましたが、信長はすぐに見切り、ご皇室との関係を重視したのです。だから日本全国を制圧しなくても「天下人」と呼ばれるようになりました。

 

 前説が長くなりましたが、ここで私の言わんとすることがだいぶご理解いただけたと思います。

 

 共産党や左巻きの学者たちはご皇室の本質を理解せずに、ただの制度とみています

 

 だから「天皇制」という言葉を乱発しているのです。

 

 人間が作った制度ではなく、日本人の英知の結集としてのご皇室だという本質を理解していないのです。

 

 日本国憲法の第1章第1条は、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、その地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」となって、これを根拠に天皇を語っていますが、これが改正されれば、彼らの論拠は瞬間に無くなります。

 

 でも、ご皇室はそんなものではないと皆さんお分かりですね。

 

 日本がこれだけ素晴らしい国であるのはどこの国もなしえなかった信頼関係による社会秩序を完全に構築しているところです。

 

 御上を信じ、仲間を信じ、家族を信じることのできるお国柄です。

 

 それを左巻きの勢力は崩そうとしているのです。初めは政府を、つぎは社会の習慣を破壊し、そして天皇陛下の玉体が高齢化しているこの機会にご皇室を破壊しようとしているのです。

 

 その準備段階として執拗に皇太子妃殿下を攻撃し、皇太子殿下の評判を下げてきました。

 

 保守と言われる人たちも恥ずかしいことにその片棒を担いできたのです。こういう人たちを私は似非保守としています。

 

 だから皇室の問題についてここでも説明はしますが、こうあるべきだということは書いていないつもりです。それはご皇室で決められたらいいことであり、私のような市井の庶民が口にすることも憚られるようなものだからです。

 

 玉体の中に神武天皇様から連綿と続いてきた遺伝子が壊れることなく受け継がれています。だから男系で皇統を繋いできたのです。

 

 大嘗祭で皇太子殿下が即位の儀式をなされるとき、体中のDNAが目覚めて日本国の天皇としての身体に変身されるのです。

 

 それはあたかもイエスキリストが神の子でありながら人間として30余年間暮らし、預言者ヨハネの洗礼を受けたのちに初めてその神性が目覚めたと同じだと思っています。

 

 私はご皇室のことをあれこれと言いません。どんな時も天皇陛下を尊崇し、権威の根源として考えていますから。

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