名言(254) ― 自由を生かしていくこと | saniyのブログ ― 言葉に学ぶ

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これまで出会った言葉たちについて考えていくブログです。まず、名言から始めています。

吾人(ごじん)は自由を欲(ほっ)して自由を得た。自由を得た結果、不自由を感じて困っている。
(語注: ・吾人=我々。)
[夏目漱石(文豪)]


人はあらゆる自由を許されたとき、自(みずか)らの不可解な限定とその不自由さに気づくであろう。
(語注: ・自らの=自ら行(おこな)ってしまう。)
[坂口安吾(作家)]

すべての人間が、自由を得るや、その欠点を発揮する。強い者は度(ど)を超(こ)え、弱い者は怠(なま)ける。
[ゲーテ(ドイツの文豪)]

弱い人間に自由をやってごらんなさい。自分でその自由を縛(しば)りあげて、返しにきますよ。
[ドストエフスキー(ロシアの文豪)の小説『主婦』より。]

われわれにもっと多く自主性を与え、われわれを自由に行動させ、活動範囲をひろげ、監督をゆるめてみたまえ。われわれはすぐにまた、もとどおり監督してくださいとたのむにきまっている。
[ドストエフスキー(ロシアの文豪)の小説『地下室の手記』より。]

自由は、大多数の者を、他人の思想への隷従にみちびくにすぎない。なぜなら人間は、既成(きせい)のものを、あてがわれるのが好きだからだ。
(語注: ・隷従=あるものに奴隷のように服従すること。  ・既成のもの=すでにあるもの。   ・あてがう=相手の求めによらないで、こちらで適当に与える。)
[ドストエフスキー(ロシアの文豪)の『作家の日記』より。]


  人間と人間社会にとって、自由ほど堪(た)えがたいものは、いまだかつてなかった。
[ドストエフスキー(ロシアの文豪)の小説『カラマーゾフの兄弟』の大審問官の言葉より。]
 

解放=自分以外のものによる暴虐から自分自身による圧制へと奴隷がその身の上を変えること。
[A・ビアス(アメリカのジャーナリスト)の『悪魔の辞典』より。]

わたしは自由です。だから道に迷ったのです。
[フランツ・カフカ(作家)]

  人間というあわれむべき存在は、生まれるときにさずかった自由を、できるだけはやく誰かに引き渡したいといつも思っている。そしてそのひきわたすべき人を見つける苦労よりも、大きな苦労は人間にはないのである。
[ドストエフスキー(ロシアの文豪)の小説『カラマーゾフの兄弟』の大審問官の言葉より。]

自由ということは、無為閑散(むいかんさん)ということではない。それは時間を自由に用い得ることであり、仕事と行為とを選択し得ることである。

(語注: ・無為閑散=何もしないで、静かにのんびりしているさま。)
[ラ・ブリュイエール(フランスのモラリスト)]


上で言う通り、近現代の私たちは、「自由」が個人や社会に解放だけでなく混乱と不自由を招くという結果を体験してきた。科学技術や人間や言葉や書物と同じく、「自由」は、用い方次第の諸刃(もろは)の剣であり、与えられた「自由」を上手(うま)く正しく用いないと、上で言うように、人は、悪行を行う・暴走する・怠(なま)ける・拘束管理指導を受ける等の不自由や問題ある事態に陥ってしまう。

 

上で作中の大審問官が言っているように自由を制限し自由を明け渡して管理統制や判断選択や指示指導を受けて「自由」を得るという方向もある意味有効かもしれないが、家庭や社会は個人に「自由」を適切に提供し、上で言うように、個人は自己を確立して「自由」を上手(うま)く使って生かしていく必要がある。
[追記更新:24/01/31]

 

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今回のぶんと内容が関連するぶん

・名言(27) ― 過度の自由のこと


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次の★に、当ブログでこれまで投稿した投稿記事[名言(1)~名言(254)]を、事項別に分けて、リンクさせています。

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