確かに、外国人に虫の声が雑音にしか聞こえないという話がありますが、これは脳の処理方法の違いによるものと考えられています。
日本においては平安時代には貴族が嵯峨野や鳥辺野に遊び、マツムシやスズムシを捕らえてかごに入れて宮中に献上する"虫選び"・"捕らえた虫を庭に放して声を楽しむ"野放ち"・ 野に出て虫たちの鳴き声を聴く"虫聞き"などが盛んに行われていました。
それでは脳の処理方法とはどのようなことなのでしょうか?
脳には、情報を処理する2つの領域があります。
1.音楽脳: 音の高さやリズムなどを処理する領域
2.言語脳: 言葉の意味などを処理する領域
日本人は、虫の声を言語脳で処理する傾向がありそのため、虫の声に意味を見出し、様々な情景を思い浮かべること ができます。
例えば、夏の夕暮れ時の蝉時雨を聞けば、涼しさや風情を感じたり、秋の夜長の虫の音を聞けば、物寂しさを感じたりすることがあります。
一方、外国人は、虫の声を音楽脳で処理する傾向があるため、虫の声を単なる音として認識し雑音と捉えてしまうことがあります。
※ポリネシア人も日本人と同じとされています※
虫の声は、日本語やポリネシア諸語を話す人だけが認識できると言われています。
これは、両言語が母音を中心とする言語(母音言語)であるという共通点があるためで母音言語では、人の話す声などを理解する左脳(言語脳)で虫の声をとらえますが一方、多くの他の言語では、音楽や雑音、機械音などを処理する右脳(音楽脳)でとらえると言われています。
また文化の違いも影響していると考えられます。
日本では、古くから虫の声を愛でる文化があり俳句や和歌など、虫の声を題材にした作品も多くあります。
そのことから日本人は虫の声に親しみを感じやすく、自然と聞き取ることができるのかもしれません。
一方、欧米諸国では、虫を害虫と捉える文化があり、そのことからして虫の声を不快なものと感じ、雑音として認識してしまうのかもしれません。
まとめ
外国人に虫の声が雑音にしか聞こえないのは、脳の処理方法や文化の違いによるものと考えられます。
補足
上記はあくまでも一般的な傾向であり、個人差があります。
日本語話者でも、虫の声に興味がない人や、雑音と感じてしまう人もいます。
外国人でも、虫の声を愛でる人はいます。
西洋人は虫の音を機械音や雑音と同様に音楽脳で処理するのに対し、日本人は言語脳で受けとめるため、日本人は「虫の音」を「虫の声」として聞いていると言われています
人間の脳は右脳と左脳とに分かれ、それぞれ得意分野があり右脳は音楽脳とも呼ばれ、音楽や機械音、雑音を処理し、左脳は言語脳と呼ばれ、人間の話す声の理解など、論理的知的な処理を受け持ちます。
この機能は日本人も西洋人も一緒でありますが、虫の音をどちらの脳で聴くかという点で違いが見つかったそうです。
西洋人は虫の音を機械音や雑音と同様に音楽脳で処理するのに対し、日本人は言語脳で受けとめる、つまり日本人は「虫の音」を「虫の声」として聞いているということになることをつきとめたそうです。
西洋人は、激しい「虫の音」も、いつもの騒々しい雑音だと慣れてしまえば、意識にのぼらなくなってしまうのです。
例えば、日本人でも線路沿いに長年住んでいれば、騒音に慣れて、電車が通っても意識しなくなってしまうのと同じ現象だそうです。
興味深い話ですねぇ!
切手は1981年日本発行の「切手趣味週間」の中の一枚で、江戸時代中期の浮世絵師鈴木晴信作(1725?~1770)『見立源氏夕顔』で、虫かごを持つ子供が描かれています。
切手は1966年韓国発行の「昆虫切手」の中の一枚で、ウマオイ(Hexacentrus japonicus:ヘキサセントルス・ジャポニカス)が描かれています。
切手は1963年中国発行の「こどもの日切手」で、虫かごの中のコウロギの声を聞く子供が描かれています。
切手は2008年英国発行の「昆虫の日切手」の中の一枚で、ヨーロッパクロコウロギ(Gryllus campestris:グリルス・カンペストリス)が描かれています。
切手は1985年英国発行の「昆虫切手」の中の一枚で、カラフトキリギリス(Decticus verrucivorus:デクティカス・ヴェルルキウォルス)が描かれています。
切手は2010年日本発行の「伊丹市昆虫館開館20周年 昆虫図鑑切手PART2フレーム切手」の中の一枚で、エンマコウロギが描かれています。