神戸電鉄箕谷駅の歴史 | 復活 裏六甲の謎のオサーン 教祖(@兵庫県産)でっす!

復活 裏六甲の謎のオサーン 教祖(@兵庫県産)でっす!

何にでも切り込んで一杯書いていきます。めざせしょこたん超え!

まいど

教祖でっすニコニコ


はい。

そんなわけで久々に神鉄の駅歴史シリーズ。


今回は有馬線の箕谷駅をご紹介します。



(非常に古い駅舎)

神戸電鉄箕谷駅は六甲山地の西端、新開地から12.4キロ、谷上から1.7キロの地点にある山裾の駅(神鉄は多くが山裾にありますが)です。

ご覧の通り大変古い駅舎で、開業時ではないでしょうが昭和20年代の写真には記録されていますのでそれ以前の建築でしょうな。

昭和3年の開業当時は、鈴蘭台からここまで駅は無く(山の街は峠信号所でした)、まさに山間の小駅といった状態でした。

昭和40年に鈴蘭台〜谷上が複線化され、当駅もその時に2線になりました。

地形はほぼ50‰の坂の途中に急カーブで設けられている状態で、ここから新開地方面は速度制限が厳しく、ほぼ60㌔が限界です。

(ジェットコースター区間)

三田方面は、50‰の下り坂を過ぎると谷の地形となり、大きく下って大きく上るジェットコースター区間です。

軌条は、昭和55年頃には下り線の駅付近だけは50kgレールに交換されていました。
上の写真の区間の下り線(左側)は開業以来の短尺レールが残っており、昭和58年頃まで忙しないタタタンタタタンって走行音を奏でていました。
上り線については、花山や大池等と同じで複線化時に敷かれた定尺(25m)の40㌔レールでした。現在はいずれも50kgレールです✨

ダイヤは、昭和59年までは日中30分間隔で、たまに谷上行と岡場行が間に入る程度で現在より本数が少なかったのは有馬線の他の駅と同じです。

まあ、昭和30年代を最後に(旧)急行が停まらなくなり、現在まで準急と普通だけが停車しています。

箕谷駅を取り巻く環境ですが、北区山田町の中心エリアに近く、有馬線開通後は大きく発展した地域ではあります。

しかしながら、利用者数はそう多くなく、大池や唐櫃台といった住宅地を抱える駅の扱いではありませんでした。

また昭和50年頃に新神戸トンネルが開通すると、三宮〜箕谷駅の市バスが設定されるなど、駅周辺は車社会になりました。

後に阪神高速北神戸線が開通すると、ますますクルマ社会が進行し、箕谷駅の存在感は薄くなっていきました。
とはいえ、神戸北町の街開き等で朝晩は一定の利用があるように見えます。

谷上駅までもそう遠くなく、バスも谷上発着が多数設定されるなど、いささか中途半端な存在感になってしまった感のある箕谷駅ですが、今後どうなっていくのでしょうか?