ここ数年山小屋の経営が厳しいという話をよく耳にする。
昨日のブログで書いたテン場の値上げについても山小屋の経営難が根底にあるのだろう。
ただでさえほとんどの小屋が夏~秋の期間限定の営業で天気が悪ければ根こそぎキャンセルされるといったマイナス特性もあるので安定収入は見込めない。ここ数年はコロナで受け入れられる登山者の人数も激減したので更に収入が減っている。
逆にアクシデント等で予約なしで飛び込んでくる登山者もいたりするのでホテルと違って柔軟な対応も求められるし小屋の運営だけではなく遭難者の救助や登山道の整備も必要になったりする。
よほど山や登山者のことが好きじゃなければ誰もがやりたいと思える仕事だとは考えにくい。
実際山小屋の運営や登山道整備を担う若い人が減っているらしい。登山道整備に関してはその一端を担ってきた山岳会の高齢化も関係しそうだが。
このままでは山小屋も登山道も淘汰されていくかもしれない。
今まで当たり前に登れていた山に登れなくなったり、泊まりでの登山が難しくなる可能性もある。
だが敢えて別の見方をするとそれもアリなのでは?と思ったりもする。
登山道や小屋がなくなることで山は自然に帰っていく。
今も「植生保護のため登山道から外れないでください」みたいな看板があるが、そもそも登山道自体が植生を傷つけているという事実とは矛盾している。
誤解されないように書くが自分は登山者なので登山道は残してほしいと思っている。
だがもっとマクロ的な視点で見ると人口構造物はない方がよくて、人間もいない方がいいんだろうなぁとも思ったりもする。
もし本当に登山道がなくなったら…藪漕いだりバリルートで登るしかない。山スキーは元々登山道は使わないのでほとんど影響はないが初冬だけは登山道に依存することが多いのでちょっと辛くなる。
そしてこれは山に限った話ではないのではないか。
全国隅々まで張り巡らされている道路や鉄道、公共の建物、いわゆる箱物の維持も同じだと思う。
今はまだ人口がそこそこいるので維持できていても少子高齢化と地方過疎化がこのまま進めば登山道どころか街の維持も難しくなる。
今山で起きていることは日本社会の縮図のような気がしてならない。
先日訪れた(というかかすめた)蓮華温泉小屋は山スキーヤーをはじめ熱烈なファンが多いので大丈夫そう(テキトー)