書評 しょひょう : 『「週刊文春」と「週刊新潮」、闘うメディアの全内幕』(PHP新書) | 護国夢想日記

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 日々夢みたいな日記を書きます。残念なのは大日本帝国が滅亡した後、後裔である日本国が未だに2等国に甘んじていることでそれを恥じない面々がメデアを賑わしていることです。日本人のDNAがない人達によって権力が握られていることが悔しいことです。

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 日本を代表する二大週刊誌の編集長と豪腕デスクが語り尽くすマスコミの裏話
  スクープはいかにして生まれたかのエピソードは抱腹絶倒、痛快、そして悲痛


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花田紀凱 vs 門田隆将
『「週刊文春」と「週刊新潮」、闘うメディアの全内幕』(PHP新書)
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 かれこれ半世紀以上、評者(宮崎)は両誌の愛読者だ。

 

 

毎号隅から隅まで読むわけではないが、必ず読むページがある。

 

 

また国内の動きをまとめて総括する際に、ともに便利なメディアである。

 

 

そういえば故ミッキー安川がラジオ番組前に、控え室で、かならずこの二つの雑誌に目を通していたことを思い出した。

 

 

評者の仕事は国際情勢を追う毎日なので、ネットのない時代は、アメリカ文化センターなどに通ってニューヨークタイムズ、ワシントンポストを閲覧し、国会図書館や外人記者倶楽部に立ち寄ったときはフィナンシャルタイムズなども読み、エルサレムポストやバンコクポストなどは郵送で購読していた。

 

 

TIMEやTHE ECONOMISTなども郵便読者。

 

 

両誌はいまも続けて託送購読している。

ワシントンへ行くと、主要なシンクタンクへ立ち寄って、知り合いと意見交換のあと、最新の報告書や、出版物を入手してきた。

 

 

それがいまはネットで購読できる。なんとも便利な時代である。

 

 

 国内ニュースはといえば、スポーツ欄と社会面を見ない。テレビはまったく見ない。テレビには情報がない。

 

 

だからこそ「ドメ専」(ドメスティック専門)と言われる両誌で、国内の出来事をカバーする。

 

 

 昭和四十年代に新幹線のグリーン車では『週刊新潮』が圧倒的に読まれていた。

 

 

バブル時代となると、乗客の質が変わったのか『週刊大衆』『週刊アサヒ芸能』が座席の残されていたものだった。

 

 

ところがさらに時代が代わり、現代では女性が好んで読むようになった『週刊文春』がずっと週刊誌の売れ行きトップの座にあり、ときおり快音のスクープを飛ばすので『文春砲』と呼ばれている。

 

 

 昭和四十年代前半まで、保守の雑誌といえば『自由』しかなかった。

 

 

その後、『諸君』『正論』『ヴォイス』が登場し、いまでは『WILL』『月刊HANADA』と華々しく、サヨクの『世界』はまだ命脈はあるものの読者は極小である。

 

 

論壇は保守主義全盛であり、サヨクは完全に後退している。

 

 

保守全盛の影にかくれて『自由』は役割を終えて静かに休刊した。

 

 

にもかかわらず大新聞とテレビは産経をのぞいて、サヨク全盛なのである。まさに不思議の国、NIPPONだ。

 

 

週刊新潮と週刊文春が多くの読者を惹きつけるのは大手メディアが踏み込んで書かない事件の内幕を掘り下げ、真実を白日の下にさらすからである。

 

 

しかもサヨクの視線がカバーしない世界を浮かび上がらせてくれるのも毎週の愉しみである。


ならばいったいどのような記者が、いかなる取材方法でネタをみつけ、取材を深め、どのようなチームで記事を編成してゆくのか、

 

 

それぞれの編集部がもつ特色と独特な取材の奥義を、徹底して二人はかたりあった。

 

 

内容は読んでのお楽しみであり、この欄では触れないことにする。

本書の一方の語り手である花田氏と評者は40年を超える付き合いで、お互いに『自由』を主催した石原萌記氏の会合で始終顔を合わせていた。

 

 

この会合には『週刊現代』を百万部にのせた元木昌彦氏もしょっちゅう顔を出していた。

 

 

よってメディアの内側はかなり知っている積もりである。

 

 

他方、門田氏とは氏が台湾の種々の問題に首を突っ込んで取材していた頃に知り合い、爾来の酒友であり、会うたびに氏が挑戦している分野の話題を聞いて刺戟を受ける。

 

 

骨の髄までのジャーナリストである。

そのふたりが、ネット時代の週刊誌の将来をやや暗くみていることが読後感として大いに気になった。

 

 

門田氏が「インターネットの登場で状況が一変しました。

 

 

ニュースの当事者、要するに新聞の嘘を知る関係者が『これ、違います』と、いつでも情報を発信できる(中略)、新聞の嘘がばれるようになってしまった
と指摘すれば、花田氏は次のようにいう。

 

 

「『自分たちの主義主張に基づいて情報を加工するのは危ないからもうやめて、ファクトはファクトとして伝えよう』という正常な方向には行かなかった。

 

 

むしろ、主義主張のほうがより強まってきて、余計(大手新聞アドのメディアは)変になった」

 

 

フェイク新聞の未来は見えた。

 

 

 さはさりながら、本書のように、過去にもジャーナリズムの内幕ものは多くの人が書いた。

 

 

出版界の記録的な発展史は塩沢実信氏らが、インタビュー形式で同課題に挑んだ元木昌彦氏らの作品もあるが、斯界でしか評判にならなかった。

 

 

一般読者にはメディアの裏話は関心が薄いからだろう。

 

 

はたして、この新作対談、これまでのタブーを超えるだろうか? 

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