南丘喜八郎  堂々男児は死んでもよい | 護国夢想日記

護国夢想日記

 日々夢みたいな日記を書きます。残念なのは大日本帝国が滅亡した後、後裔である日本国が未だに2等国に甘んじていることでそれを恥じない面々がメデアを賑わしていることです。日本人のDNAがない人達によって権力が握られていることが悔しいことです。

南丘喜八郎  堂々男児は死んでもよい
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 「アジアは一つ」と叫び、「ヨーロッパの栄光は、アジアの屈辱である!」喝破した、奔放な思想家岡倉天心。
 

今年は天心の没後百年に当る。幕末激動期の文久二年(一八六二)に生れ、大正二年(一九一三)に没した天心は、明治という時代と共に苦闘し、生き抜いた思想家だ。
 

越前藩士だった天心の父は藩主松平春嶽の命で横浜で貿易商を営み、天心は漢学を学ぶ以前に英国商人から英語を習得した。橋本左内の親族の女性に育てられた天心は、左内を敬慕していたという。天心の天衣無縫な生き方は、存外こうした出生時の環境にあったかも知れない。東京大学に学んだ当時、天心は次の漢詩を作っている。
 

吾が兄は魏の曹操 君を殺し国を奪うの気何ぞ豪なる/吾が弟は始皇帝 英断能く廃す千古の制
 吾が兄は愛すべく 弟は憐れむべく/英雄只だ時勢を知るを要す
 乱心賊子を擁護し、国を奪う気を「豪気」とする天心の胸中には、生涯反逆精神が脈々として生き続ける。
 

評論家の竹内好は「天心はあつかいにくい思想家であり、また、ある意味で危険な思想家でもある。あつかいにくいのは、彼の思想が定型化をこばむものを内包しているからであり、危険なのは、不断に放射能をばらまく性質をもっているからである。うっかり触れるとヤケドするおそれがある」と評した。言い得て妙である。
 

天心は戦時中は「大東亜共栄圏」の先覚者にされ、戦後は「美の探求者」として美術界に閉じ込められた。しかし、混迷する今日こそ、天心を過去の呪縛から解き放ち、彼の思想に内在する「放射能」を再活用すべき時である。
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天心のアジア認識の対極に位置するのが、「脱亜論」によって知られる福沢諭吉である。朝鮮近代化のためのクーデター(甲申事変)が挫折した翌年の明治十八年、福沢は「脱亜論」を発表し、「アジア東方の悪友(清国・朝鮮)」との交際を謝絶し、欧化路線を推進すべしと宣言する。
 

福沢は「未開野蛮」の国家である清国・朝鮮両国は亡国寸前で、日本が提携することは無益であり、日清戦争の開戦も辞せずと主張した。その後の日本は、福沢が志向した欧化路線を突き進んで、日清・日露戦争に勝利し、幕末の激動から僅か半世紀後には、華々しく五大国の一員として列強の仲間入りを果たす。
 

だが、近代合理主義の権化である福沢が志向し、明治政府が遮二無二推し進めた金銭・物質万能の欧化路線による近代化は、昭和二十年八月十五日の敗戦によって、敢えなく終焉する。

しかし戦後も欧米追随の近代化路線が幅を利かせ現在はグローバリズムという名の妖怪が政・官・財界を一手に掌握し、我が国を席巻しようとしている。*       
 

福沢が「脱亜論」を発表する二年前、文部省に勤務していた天心は、欧化路線をこう批判している。
 

「西洋開化は利欲の開化なり。利欲の開化は道徳の心を損じ、風雅の情を破り、人身をして唯一箇の射利器械たらしむ。貧者はますます貧しく、富者はますます富み、一般の幸福を増加する能はざるなり」
 

天心にとって「西洋開化は利欲の開化」であるが故に、否定すべきものであり、「ヨーロッパの栄光は、アジアの屈辱」であるが故に、模倣・追随すべき対象ではないと、終生、蛮勇を振って説きつづけた。
 

現在、TPPという稀代のグローバリズムが虎視眈々と我が国の主権をすら奪おうと牙を磨いでいるが、欧化路線を信奉する政・官・財は我が国の歴史・伝統・文化と、国民の質実な生活すら、彼らの生贄に供せんとしている。


日露戦争に勝利した翌年の明治三十九年、ニューヨークで出版した『茶の本』に、天心はこう記している。


「西洋人は、日本が平和のおだやかな技芸に耽っていた時、野蛮国とみなしていたものである。だが、日本が満洲の戦場で大殺戮を犯しはじめて以来、文明国と呼んでいる。もしもわが国が文明国となるために、身の毛もよだつ戦争の光栄に拠らなければならないとしたら、われわれは喜んで野蛮人でいよう」
 

しかし明治国家の指導者は、平穏な「野蛮人」たることをやめ、大殺戮を犯す「文明国」への道を突き進む。
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明治二十三年、弱冠二十九歳で東京美術学校校長に就いた天心は、第一期生に横山大観、菱田春草、下村観山らの逸材を得て、当時の滔々たる欧米崇拝の流れに果敢に挑戦する。八年後、醜聞で美術学校を追われるが、以後、彼は天賦の才を縦横に発揮する。当時、天心は自作の歌を高歌放吟し、自らを励ました。
 

谷中うぐいす初音の血に染む紅梅花/奇骨侠骨 開落栄枯はなんのその/堂々男児は死んでもよい
 グローバリズムが滔々と押し寄せる混迷の時代、「堂々男児は死んでもよい」と嘯いた天心の気魄に学びたい。
(月刊日本8月号巻頭言)