奥山篤信の映画批評77 アメリカ映画『欲望のバージニア』(原題:Lawless)』2012 | 護国夢想日記

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 日々夢みたいな日記を書きます。残念なのは大日本帝国が滅亡した後、後裔である日本国が未だに2等国に甘んじていることでそれを恥じない面々がメデアを賑わしていることです。日本人のDNAがない人達によって権力が握られていることが悔しいことです。

奥山篤信の映画批評77 アメリカ映画『欲望のバージニア』(原題:Lawless)』2012
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~宗教が政治に関与する危険はこれだ!~

アメリカ民主主義とはアメリカの唯我独尊の価値観をグローバリズムという美名の下で、武力を背景に世界中に強要している。根っこは宗教や人種偏見に満ちたものであり最大の偽善と欺瞞でしかない。

この映画の背景である禁酒法も同じ宗教の偽善に起因する。この近代最悪の偽善といえる禁酒法は、1920年から1933年までアメリカ合衆国憲法修正第18条下において施行され、消費のためのアルコールの製造、販売、輸送を全面的に禁止した法律である。「高貴な実験(The Noble Experiment)」とも揶揄された。その偽善はアメリカ・プロテスタントであるメソジストを中心に成立した。

宗教が政治に関与する危険性は古今東西の歴史が物語る。まさに20世紀最大の神学者カール・バルトは、神からの御言葉を啓示として神を捉えるのではなく、人間側からの思い入れ、偽善や欺瞞に満ちた人間主義を神にむかって投影することで、神を「偶像」として捉えることを弾劾した。

日本でもキリスト教界の多くが戦後、大東亜戦争を否定し戦争責任を売り物にした。まさにかような反日的行動を取るのは、偽りの道徳での一種の虚栄心からである。


滑稽なのは彼らの論点が日本軍の狼藉を捏造した当時朝日記者本多勝一の捏造報道や吉田清治のいわゆる慰安婦強制連行などのでっち上げを検証もせずに盲信した自虐史観である点だ。それでいて一切広島・長崎ジェノサイドに異議を唱えない。最近は靖国神社参拝反対、原発反対、沖縄基地反対などサヨク反日勢力に呼応するかのような有様だ。

この映画はマット・ボンデュラントが実在の大叔父=三人兄弟を描いた小説『The Wettest County in the World』(2008年)を原作としている。勿論脚色もあろうがこんな痛快な三人が実在したことは映画として迫力を与える。

時代背景は第一次大戦後から禁酒法が解除された近代とは言え、アメリカの西部劇の男達の再現である。そもそも偽善に満ちた禁酒法は逆に犯罪をもたらした。実際ケネディ家やアルカポネなどのマフィア、フィクションとしてはあのギャツビーなどが巨額の富を得た、法律が問題なのであって、これに対する抵抗はジョン・ロックの抵抗権として当然の権利かもしれない。

この映画は三兄弟と彼らの利権に与ろうとして断固拒絶される悪徳地方検事補そして二人の女、それに密造共同体としての村を描いている。

末っ子のジャックは子供のときから臆病で二人の悪餓鬼の兄から泣かされるとともに愛されていた。そのジャックが悪徳検事補に半殺しまで殴られ一切の抵抗もせず家に帰ってきた。長兄フォレストはジャックに<戦いは腕力ではない。立ち向かう意志なのだ。恐怖を乗り超えなければならない>と叱責する。

全くしびれる男の世界だ。それでもジャックは兄のお陰なのに、金やファッション・車狂いのまさに成金趣味で挙句は牧師の娘に惚れこみ、それを尾行する検事補に密造場所まで見つけられ一網打尽とされる。まさに兄二人の足を引っ張るジャックだが、兄弟の愛の絆は固い。

とにかく今は失われた粗野なアメリカ男の魅力が満載されている。フォレストの魅力といったらない。第一次大戦で玉砕部隊でただ一人生き残る不死鳥のごとき存在で、検事補の送った殺し屋に首をかき切られても生き残る、まさに男女問わず惚れこむ男の中の男だ。

アルカポネと同列の手配中のギャングであるフロイド・バナーも権力に一歩も引かない反骨精神に一目置いており、なんとか手柄を立てたいジャックがバナーの罠にはまったときも、フォレストの弟と聞いて命を助け約束を履行し暗殺事件の真相と犯人を教えるほどだ。

西部劇の面白さと現代世界特に日本で失われた本物の男達の闘争心と友情と兄弟愛と女性への真摯な愛そして復讐心と義侠心を描いている。どこかのキャッチコピーで<神なき世界>などと書いていたが、むしろ本作は禁酒法という偽善の’律法’に立ち向かい、意識せずして本来の‘神の義’のもとに行動する本物の男達を通じて<神の磁場>を描いているように見える。
(月刊日本8月号より)
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