歴史教科書読み比べ(10) : 白村江の戦い NO.2 | 護国夢想日記

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 日々夢みたいな日記を書きます。残念なのは大日本帝国が滅亡した後、後裔である日本国が未だに2等国に甘んじていることでそれを恥じない面々がメデアを賑わしていることです。日本人のDNAがない人達によって権力が握られていることが悔しいことです。

歴史教科書読み比べ(10) : 白村江の戦い NO.2



■5.水城(みずき)を築いた理由

 それを述べないのに、なぜか、「大野城と水城」の半頁もの鳥瞰図を載せて、九州の博多湾の近くにつくられた軍事用の施設です」と男子生徒に言わせ、さらに「対馬につくられた金田城跡」の写真を掲示し、「海上からの攻撃に備えてつくられた石垣です」と注記している。

 水城を「軍事用」と言うのはおかしい。攻撃には何の役にもたたないのだから、「防衛用」と言うべきだ。

「日本にとっての脅威」も「「唐と新羅の襲来を恐れた」点も文中では何も語らずに、大きなスペースを使って、「軍事用の施設」のイラストを使った理由は何なのか。

 好意的に考えれば、中学生たちが半島への出兵も、これらの国防努力も、「半島が敵対勢力に落ちたら、日本にとっての脅威」であることを、自ら考えさせよう、という高度な教育的配慮であるのかもしれない。

 しかし、疑り深い弊誌は、東書版を使って「日本が朝鮮半島侵略に失敗し、その報復を恐れて、人民に多大な労役をかけて、巨大な軍事用施設まで作らせた。日本は古代から軍国主義だった」などと勝手に教える偏向教師もいるのではないかと、邪推している。

 自由社版には現代に残る水城の跡の写真を載せ、こう記している。
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太宰府の守り 九州の玄関口・博多湾に向かって長く続いている緑の帯が水城の跡。水城は太宰府防衛のために築かれた土塁で、延長約1キロメートル、幅が約80メートルあり、内側に水をたたえていた。[1,p56]
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 こういう記述なら、中学生たちも当時の日本人の危機感も偲べるだろう。


■6.新羅の「仁義なき戦い」

 東書版のもう一つの違いである「新羅は、唐の軍隊を追い出して、朝鮮半島を統一しました」という点を考えてみよう。

 確かに、これは史実である。唐は百済の旧王族を温存して旧百済領を支配させ、高句麗領は植民地支配をした。新羅はこれを不満として、旧百済領に武力侵攻する。唐は怒って、新羅王の官位を剥奪するが、新羅は謝罪使を送りつつ、唐軍との戦闘は継続し、なおかつ日本に使節を送って、接近を図る。

 こうした新羅の「仁義なき戦い」に、さしもの唐も音を上げて、半島支配を諦めて本土に引きあげるのである。[4,p310]

 これに比較すべきは、大和朝廷が「300年のよしみのある百済が滅びるのを傍観していては道義心がゆるさない」事を第一の理由として出兵した姿勢であろう。

 近代日本は日英同盟でも、三国同盟でも、日米同盟でも、相手を裏切ったことがない。それに対して、新羅の外交姿勢は、今の北朝鮮を彷彿とさせる。こうした歴史を見れば、外交上の信義をおける国かどうかはすぐ分かるものである。

 新羅の朝鮮半島統一を言うなら、ここで述べた数行くらいは追加して欲しいものだ。それを隠して「唐の軍隊を追い出して、朝鮮半島を統一しました」と自慢するだけでは片手落ちである。

 東書版の著者たちには、どうも半島に対する祖国愛を抱いている人が混じっているようだとは、本シリーズで何度も述べてきたが、この一文でもそれを感じる。

 その祖国愛は見上げたものだが、それは韓国か北朝鮮の歴史教科書で発露すべきもので、日本人のための日本史教科書で他国への祖国愛を裨益されては、はなはだ迷惑である。


■7.防人の歌に見る兵士たちの真情

 ここで久しぶりに育鵬社版の歴史教科書に登場してもらおう。自由社版にもない、優れた内容があるからだ。万葉集に収められた防人(さきもり)の歌の紹介である[5,39]。防人とは、敗戦後、大陸からの襲来に備えて九州に太宰府が設けられ、そこに配置された東国の兵士たちである。

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父母が 頭(かしら)掻(か)き撫(な)で 幸(さ)くあれて
 言ひし言葉ぜ 忘れかねつる
(出発するとき私の頭をかきなで「元気でな」と言った父母の言葉が忘れられない)

水鳥の 立ちの急ぎに 父母に
 物言(は)ず来(け)にて 今ぞ悔しき
(水鳥が飛び立つようにあわただしく旅立ってきたので、父母に別れの言葉を言うこともできなかった。それが今となって悔やまれる。)

葦垣(あしがき)の 隈所(くまど)に立ちて 吾妹子(わぎもこ)が
 袖(そで)もしほほに 泣きしそ思(も)はゆ
(私が旅立つとき、葦の垣根のすみに立って、袖もぐっしょりとなるほど泣いていた妻のことが思われてならない)

唐衣(からころも) 裾(すそ)に取り付き 泣く子らを
 置きてぞ来ぬや 母(おも)なしにして
(私の服の裾にとりついて「行かないで」と泣いた子どもたちを置いてきてしまった。あの子らは母もいないのに)
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 現代なら、軍国主義に対する反戦歌などと教える教師もいよう。しかし、ここには自分を防人として徴用した国家への恨み辛みは微塵も感じられない。ただただ公の任務に立つ際の肉親を思う真情が溢れている。先の大戦での特攻隊諸士の真情と同じである。[c]

 国家の最初の公的な歌集に、こういう名もなき兵士の真情の籠もった歌を多く取り上げて、共感を寄せた所に我が国の国柄がある。唐や新羅の兵士も同様な真情を抱いただろうが、彼らの思いは後世に伝えられたのだろうか。


■8.愛国の人

 もう一つ、教科書には登場しないが、ぜひ中学生たちに授業の中で紹介して貰いたい逸話がある。

 白村江の戦いで捕虜になり、長安に連行された兵士の中に、大伴部博麻(おおともべのはかま)という若者がいた。日本書紀によれば、現在の福岡県八女市上陽町から出兵した一人である。

 博麻は捕虜生活中に、日本征服を企む唐の計画を耳にする。この情報を祖国に知らせようと、博麻は自分を奴隷として売って金を作り、それを捕虜仲間に渡して船を調達させ、帰国させる。彼らのもたらした情報をもとに、水城などの防衛施設が構築された。

 博麻はそれから28年後に奇跡的に帰国できた。時の持統天皇は博麻に異例の勅語を賜った。その一節に「朕(ちん)、厥(そ)の朝を尊び国を愛(おも)ひて、己を売りて忠を顕すことを嘉(よろこ)ぶ」とあり、これが「愛国」という言葉が我が国の歴史に登場した最初の例であったという。

 肉親との別れを悲しみながらも祖国防衛のために遠地に向かった防人、自らの身を奴隷として売ってまで祖国に危急を知らせた博麻、さらには68歳の老身に鞭打って九州まで出陣した女帝・舒明天皇、母の崩御に悲しむ余裕もなく半島遠征と敗戦後の国土防衛に打ち込んだ中大兄皇子。

 そうした人々の心の内に思いを馳せることが、未来の国民を育てるための歴史教育なのである。

(文責:伊勢雅臣)

■リンク■

a. JOG(788) 歴史教科書読み比べ(8) ~ 聖徳太子の理想国家建設
 聖徳太子は人々の「和」による美しい国作りを目指した。
http://blog.jog-net.jp/201303/article_1.html

b. JOG(799) 大化の改新 ~ 権力闘争か、理想国家建設か
 聖徳太子の描いた理想国家を具現化しようとしたのが大化の改新だった。
http://blog.jog-net.jp/201305/article_4.html

c. JOG(306) 笑顔で往った若者たち
 ブラジル日系人の子弟が日本で最も驚いた事は、戦争に往った若者たちの気持ちだった。
http://www2s.biglobe.ne.jp/%257enippon/jogbd_h15/jog306.html


■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 藤岡信勝『新しい歴史教科書―市販本 中学社会』★★★、自由社、H23
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4915237613/japanontheg01-22/

2. 五味文彦他『新編 新しい社会 歴史』、東京書籍、H17検定済み

3. 坂本太郎『日本の歴史文庫〈2〉国家の誕生』★★★、講談社、S50

4. 熊谷公男『大王から天皇へ 日本の歴史03』 ★、H20、講談社学術文庫
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4062919036/japanontheg01-22/

5. 伊藤隆他『新しい日本の歴史―こんな教科書で学びたい』★★★、育鵬社、H23
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4594064019/japanontheg01-22/

6. 占部賢志「愛国の人 大伴部博麻 祖国守護に生きた勇者の物語」、産経新聞、H24.05.05