もう一人の自分 | サンベール社長ブログ

サンベール社長ブログ

サンベール社長ブログ

私たちは、自分は自分一人だと思っている。ところが、もう一人の自分がいるのである。

私たちは感覚で認識しうる存在を自分だと思い込んでいる。しかし、感覚で感じないところに本当の自分がいることを知らないで生きているのである。

 

分光器で見ると、人間の肉体のまわりを包んでいるひとつの気があることが発見されている。全ての人間、一人一人のまわりに存在するもので、それぞれ違った色で七つの層をなしている。ただ、波長が非常に短いために、赤外線や紫外線と同じように知覚することが出来ない。

 

私たちの体を包んでいる気は太陽光線と同じ原色で、紫と藍と青、黄色と橙色、桃色と赤の七色が層を成している。これは目に見えないもので、アストラル ボディー(非物質な霊体) という。この中に、いわゆる霊魂が存在していて、その気が私たちの肉体を守っている間は生きていられる。死という時は、この気は体から離れて、気という状態で宇宙の本源に還元する。

 

つまり、普段私たちは気づかないでいるが、私たちの体は極めて小さな波長の七つの層で包まれているのである。そして、肉体とこのアストラル ボディーの結合が正確に堅固に行われている時が、肉体も健康であり、精神的な状態も非常に良好だということになる。ところが、この結合があやふやな状態になると、肉体が病気になったり、精神的にも薄弱になったりする結果が生まれてくる。

 

いずれにしても、こういった話を聞いて、人生観ががらりと変わってしまう人は、批判的ではなく、無邪気に自覚的に理解した人である。一方、この話を聞いてもまだ、明日からの毎日が相変わらず、ちょっとした病気にも神経過敏になったり、ほんの些細な出来事にもおどおどとして落ち着かなかったりする人は、素直な気持ちではなく、批判的に聞いていた人である。

 

だから、成長していくためには、聞いたことを分かろうとしないで、分からないことはそのまま分からないこととして、心の中に受け止めればいいのである。批判的ではなく聞いていると、その時は何が何だか分からないように感じていても、何かのきっかけで分かるようになる時が来るのである。

 

“あるがままに生きる”

宗教的に言えば、人間の霊魂の姿である。霊魂というものの本心、良心には憎しみもなければ、愛もない。純白無垢なのである。そういう気持ち、心持ちこそ誠に尊い姿なのである。

 

もとより、人には不親切にするより親切にした方がいいに決まっている。しかし、親切にしようと思ってした親切は本当の親切ではない。何も考えず行った行為の結果が親切であった場合が本当の親切なのである。同じように、親孝行をしようと思ってやった孝行は本物ではない。やったことが孝行であった場合が本当の孝行である。

 

仲間との間でも、仲良くしようと思って仲良くしている時は本当の仲良しではない。仲良くしなくても、その結果、仲が良ければ、本当の仲良しなのである。自分のありのままをさらけ出して、相手にぶつけていく。相手もそんな自分を見て自然体でぶつかってくる。そこに生まれてくるのが本当の相互理解であり、信頼関係である。仲良くしようとか、信頼してもらおうとか、そういう気持ちは全く必要ないのである。

 

変に背伸びをしないで、自分の今の本当の姿を自覚し、さらけ出すことから成長は始まる。