睡眠時間売ります
昔から、惰眠をむさぼらせれば右に出る者はいない、ってくらい、何かあったら寝る。何もなくても寝る。という人間だった。夜勤職場だった20代後半のころは、深夜1時半に仕事が終わり、飲みに行って4時に帰宅し、目覚ましかけずに寝て起きたら午後1時。
元々、大学の教員の仕事だって、留学過程の講義がなくなり(論文書くだけになる)、息子が学校に行ったあとは自然と二度寝、という生活になってしまったため、早起きの習慣をつけようと始めたのだ。
今、私の平日は二重ロックをかけている。朝8時から大学の仕事があるのが週に3日。残りの2日は朝9時までに翻訳の仕事が来る。ということで最低でも9時には起きる仕掛けになっている(そう、仕掛けをつくらないと布団から出られない)。
しかし息子が去った今、土日は午前11時まで寝るのが常態化している。日が暮れるのが早い。そして11時まで寝ているのに、夜は11時に寝ている。
思い返せば1日7~8時間睡眠を1年間守れたのは大学受験のときだけだった。合格発表の掲示板の前で、週刊朝日の記者にインタビューされ、後日、電話で追加取材まで受け、「1日7時間寝ても〇〇大〇〇学部に合格できる」と特集された。
あの時の記者さんに会うことがあれば言いたい。1日7時間寝て〇〇に合格した人は今、1日に10時間以上寝ています、と。
年を取れば自然に朝早く目が覚めるようになるってのは、私には当てはまらないと思う。 今後も早起きできる気がしない。
そういうわけで今月から、週末の朝9時半から、家庭教師のバイトを入れることにした。余剰睡眠時間を金に換えるのだ。
この手の仕事はずーっと断ってきたのだが、背に腹は代えられない。
趣味のためにも、子どものためにも早起きできない私が、唯一布団から出られる重し。それが仕事。
子どもが小さいころも、一緒に早起きするために、土日の朝の習い事をいつも探していた。水泳、算数…、でも、大きくなって一人で通えるようになると、息子の習い事の時間が、至福の眠りの時間になってしまった。
朝自然に目覚められる人が本当にうらやましい。
ゴルフと結婚
結婚願望がさほど強くなくても、独身である限り「結婚問題」からは完全に解放されないように、
ゴルフを始めない限り、「ゴルフやるべきかどうか問題」は常にサラリーマンの心のどこかに存在します。
この二つの問題は、すごく似ている。普段は意識してなくても、周囲がばたばたと「する」側に行くと何となく焦ったり、何かの集まりでその話題になって黙って微笑んでると「すみませんね、内輪の話しちゃって」と気を使われたり。
そして、結婚もゴルフも、するかしないかは個人の選択であるのに、必ず「欠陥のない大人なら(サラリーマンなら)、やっておかないと」と言う人がいるのも共通しています。
得意な人もそうでない人も、合っている人もそうでない人も、後悔している人もそうでない人もいるのに、とりあえず「やっておくべき」と言外ににおわせる人が少数ながらいます。
だから、当事者も、もちろん私も、マジョリティに入っていた方が何となくいいんだろうなという損得勘定と、でも本当は別のことに時間使った方が自分のためだよね、という気持ちの間で揺れ動く。
どんなささいなことであろうと、マイノリティでいるためには、心の強さと、それをしないと人に説明できる理由(建前)と、1人か2人の同志が必要なのです。
私はゴルフが嫌いなわけではないですが、その時間を捻出するために犠牲にするものや、普段から息子の世話をしてくれている親の気持ちを考え、子どもが一定の年齢になるまで距離を置こうと決めました。でも、身近なところでコンペがあった翌日とかは、「やっとくべきかな」と揺れることあります。いまだに。来年には道具買ってるかもしれません。
飲み会も同様で、アフターファイブの付き合いって楽しいし、時間を忘れてしまうのですが(先週末も2時半まで飲んでしまった…)、家庭の事情や健康面の要因で、その場に参加したくてもできない人がいることだけは、忘れないようにと心がけています。そこにいるかどうかで商談や昇進、評価に影響が出て来る社会ってのは、不平等な感じがします。
結婚、離婚もそうですね。
法やルールで決まっているわけじゃないけど、「何となくやるべき」という暗黙の了解があるものとの付き合いって難しいなと時々感じます。
騙されやすい人
エイプリルフールは毎年参加してますが、騙されやすい人には共通点があります。
4月1日=新年度、という意識が強い人です。その日に人事の発令があったり、組織が変わったり、子どもが入園したり…。
先日読んだ本に、「人を暗示にかけるには、ほかの何かに意識が向いているときが一番いい」とあったのですが、まさに。思考が一点に集中しているので、ほかの部分は判断力が低下してるようです。
騙されないのは、「自分も嘘をつこうと思っている人」。裏表ですね。
それから、相手が「騙そうとしている人」をどう見ているかも影響します。
ある友人は、何を言っても「お前ならやりかねん」と信じてしまいます。話がどんどん進んでいくので、ネタばらしがしにくくなります。
そして私が全く信じてもらえない嘘は、「結婚」です。これも日ごろの行いですね。4月1日以外でも信じてもらえないかもしれません。でも、ここに、「パプアニューギニアの原住民とできちゃった結婚」「シリコンバレーの富豪をたらしこみ婚」などと修飾語をつけると、一気に信じてもらえる度がアップしそうです。そうい う気がします。
相談の半分は時間の無駄
さて、中国にいつまでいるかなと思っていたところに、キューバの求人を見つけて、待遇もまあまあで、何とスペイン語の無料授業も受けられるので(福利厚生で私が一番重視するとこ)、しばらくキューバの生活環境について調べていました。
モンゴルとかカンボジアくらいだったら両親と息子には事後承諾でいいけど、キューバだと事前承諾が必要だなと思いながら。
私は相談しない人間です。自分にとって大事な決断ほど、それによって影響を受けない人々の猛烈な反対に遭うからです。もちろん、仕事相手や家族など、影響を受ける人には「いいかな?」と聞きます。
例えばAさんに何かをすべきかどうか相談した場合、Aさんは「私なら…」という視点で助言をするわけです。けど、AさんやBさんの前提条件、目指しているものと私のそれは違うのです。
相談者がごくごく一般的な家庭構成で、相談内容が「マンションを買うべきか」などだったらAさんの回答は役に立つかもしれませんが、
例えばレース用のバイクで山道を走り回っているさなぢさんが、ワゴン車で公道を法定時速走行しているAさんに、「冬にバイクでアフリカ横断しようと思ってるんですが、どうですか」と聞いても、Aさんは「危ないよ。やめた方がいいよ」と言うでしょ、普通。
前提条件が違う人100人に聞いたとしたら、100通りとは言わないまでも10通りくらいの答えが返ってくるだろうし、その中に本当に役に立つものは多くないと思います。背中を押してくれるものばかりだったらエンジンになりますが、たいてい割れますしね。
ちなみに、私に何か相談事をした人はご存じでしょうが、私は「結局どうしたいの?」とか、「したいようにすれば」としか言いません。そのほかによく付け加えるのは、「まずは稼ぐことだね」です。
何かに踏み出せない場合、ネックになっているのはたいてい経済的事情であり、世の中のリスクというものはかなりの部分がお金で軽減できるからです。
例えば
①貯金はないが料理の腕が確かな若夫婦(幼稚園児の子どもあり)
②料理できないが資産100億円の富豪
が、レストランをオープンするとして、どちらがリスク低いかといえば、当然②です。失敗したときの打撃が全然違うからです。
「どうしよう」と迷っている=「あることを選択して失敗したらどうしよう」ですからね。
そうですね、「Aをするべきかどうか」といった場合は、それによって得られるかもしれない利益と被るかもしれない損失、その発生可能性をある程度考えることは大事です。しかしそのリスク許容度も人によって差があるし、家族環境や社会的立場によっても変わってきたりします。
先の例、レストラン経営では金がある方がリスクを取りやすいですが、
「万引き」をしようと思ったとき、
未成年や交流範囲の狭い人が旅行先で万引きしたときのリスクは限定的ですが(いいといってるわけじゃないですよ!)
内閣の閣僚がやってしまったら、それが消しゴム一個であっても首が飛ぶでしょうし、それどころか内閣が吹っ飛ぶ可能性があります。
私がボストンバッグに果物ナイフを入れていたとしても、「危ないですよ」と怒られて終わりですが、これが行政の幹部だったら…なんと辞職(というニュースがほんとにありましたね)。
どんな問題であれ、相談を受けた相手は、自分に引き付けてこたえてしまう。だから、自分の心の声を最優先する私は、「やりたいならやれば」「まず稼げ」「半年悩んでるなら、半年職業訓練しろ」とかいうわけですが、これだって相手によっては全く不毛なアドバイスです。
もし相談するなら、専門家か先駆者を頼るべきでしょうし、本気の人は当然そうしてると思います。それは、「リスクの見積もり」「準備」「トラブル回避」です。
特に先駆者から直接話を聞くことは、自分とその人を比べて、その人にできることが自分にできるか、その人にできないことが自分もできないか、不安材料の洗い出しと対処できそうかどうかが、それなりの精度で見えてきます。
もちろん、影響を受ける人、お金を出してくれる人への相談(そこにはお願い、説得、承認といろいろ含まれるでしょうが)は必要です。 ちょっとご相談ですが…のあれです。
私が地元に戻ったときに、旧知の友人などに「大学の先生になればいい」「コンサルに向いているんじゃない」と言われることがありますが、実際に大学の先生やコンサルに聞いてみると、「いや、君はこの業界の枠じゃないでしょ」と一刀両断にされます…。みんな、自分の知らない世界の、自分に影響が及ばない問題には、無責任なのです。というか、無責任にしかなれないのです。
子育て、外国語、留学、女性、異性問題、修羅場…とあちこちに足を突っ込んでいるので、多種多様な相談を受けるわけですが、結局私って、誰に対しても同じことしか言ってないじゃんと。リスクに対するキャパを増やすために武者修行しているような女なので、ほしい答えを言ってあげられなくても勘弁してください。ここで謝っておきます。
そんなわけで、身近にキューバに住んだ経験のある人はいないので、ブログなどで情報収集してたのですが、ほんとに情報が少ない。世界一周旅行のブログなんかでも、キューバだけすかすか。
一般的な環境ではネットが使えないようです。Gmail、FBはおろか、そもそも家庭でネットにつなげない。さすが反米国家!
ということで、ストレスをブログで垂れ流し、面白いものみたらブログで知らない誰かと共有しようとする私には、無理みたいです。米国との関係改善を待つことにします。
円安なのはいいけど
この数年、1年で一番気分が低調になるのが12月と3月。日本のSNSに忘年会と花見の写真があふれる時期で、自分は日本人として、国民的行事に参加していないような孤独感に襲われます。
特に桜ってのは「郷愁」の象徴でもありますね。実際は、サラリーマンをしていた頃、花見をする心の余裕なんてなかったわけですが。
さて、先日一緒に食事をした中国人の友人が「実は去年の秋に日本に行ったんだよ」と言いました。出張中の夫を頼って、娘と二人で2週間旅行に行ったそうです。
前回日本に行ったのは2009年。5年の時を経て、
①私の給料は2倍になった
②日本は円安になった
ため、5年前とは違う国に来たんじゃないかと思うくらい物価が安く感じられ、毎日買い物に出かけたそうです。味をしめて?今年5月にも2週間旅行に行くそうです(欧州系企業って休み取りやすいんですかね。羨ましい)。小6の娘ちゃんは日本での服やアクセの「爆買い」でおしゃれに目覚め、毎朝何着も服を着替えているとのこと。
彼女と別れた帰りに、私は別の中国人と会いました。2009年に大連に初めて来た頃の知り合いで、同世代の銀行員男性です。当時も親しかったわけでなく、その後は連絡もしていなかったのですが、今年初め、「日本に行くならこの化粧品買ってきてほしい。嫁が欲しがってる」と突然写真を送ってきました。
1本3万円の美容液。ネット見たらアマゾンで2万円で買えるので、その旨伝えると「3本買って」。
5年も連絡していない人のために6万円分も化粧品買って(しかも全然知らないブランド)、代金回収できるか少し不安だったのですが、キャッシュでいただきました。彼の嫁いわく、「中国で買うより3割安い」。
たしかに化粧品や電気製品は、関税や消費税(増値税)があるため、昔から日本で買う方が安かったのですが、その他の一般消耗品も今は日本で買う方が質が良くて安い。
100均の商品なんて、中国で作って日本で売っているわけだし、この円安でなお100円で売っていること自体が非常に不思議です(と思ってたら、最近の新聞で、千円ショップを開発すると出てましたね)。
実は4月、5月の3連休(中国)に帰国しようかとチケット調べていたのですが、往復4000元くらいでした。原油が下がっているので、サーチャージ分が少し安くなっているものの、円換算すると
2012年 3500元→約4万円ちょい
現在 4000元ちょい→8万円
です。「円換算すると」ってのがみそです。日本の通貨で考えると、外国での買い物はとにかくバカみたいに割高になっています。日本企業や行政機関の海外駐在員は、現地手当がかなり手厚いので日本にいるときよりいい暮らしできますが、その手当がなければ、中国だけでなく多くの国で、日本以下の生活を強いられると思います。
これは、
①外国のインフレ
②円安
③円安なのに日本の物価が上がらない
の3要因から来ているのですが、特に③の部分はほんとに異常です。デフレ慣れしているため、物価が上がって喜ぶ日本人はいませんが、こちらで買う日本行きチケットが円換算だと2倍になっているのに、100円ショップが100円のままなのは、どこかで誰かが(かなりの)無理をしているからでしょう。
そして、何かの拍子に円相場が高く振れた場合、あるいは日本でほんとにインフレが進んだ場合、中国人の爆買い減少もすっこーんと減ってしまうでしょうから(これは自分の消費行動を考えると容易に想像がつきます)、今、このあたりで儲けている人たちはどうするんかなと思います。2月の低調な消費を、外国人消費で埋めている小売店とか、「代理購入」ビジネスをやってる人とか…。
中国は何を目指しているのか
大きいタイトルを掲げたけど、身近なことです。
小6の女の子がいる同い年の中国人女性と1年半ぶりに会いました。2009年にこちらに来たときに大変お世話になった人です。 彼女の学部の専門は英語、今は欧州企業に勤務しているので、知り合った頃は英語で話していましたが、今は中国語で交流できるようになりました。
子どもの教育問題に話が及んだとき、彼女が「うちの娘が大学受験する頃には、英語は必要じゃなくなっているから」と何気なく言うので、「えええええええ!」と日本語で驚いてしまいました。
英語は中国の子供たちの習い事ナンバー1です。小学校1年生からネイティブ教員による授業があるし、日本のだいぶ先を行ってるのに、その英語がなくなるんですか? にわかには信じられない。
友人によると、今の大学入試の配点は「語言(国語)150点、数学150点、英語150点」(他教科もあります)ですが、2016年に「語言180点、数学150点、英語120点」に変更されるとのこと。タイムスケジュールははっきりしていないものの、英語の配点は少しずつ減っていき、将来は必修からも外されるとのことでした。
「日本と逆だよ。日本は英語教育の前倒しが進んでいて、先生足りるのかよ!って話になってるよ」と言うと、
「今はアメリカ人もイギリス人も中国語勉強してるし、外国人が中国語勉強すればいいじゃん、という考えなんじゃないの?」
中華思想ですか? 実際、彼女の娘さんは英語のレッスンをやめたそうです。
私はこの話を簡単には信じられず、翌日、やはり小中学生の子を持つ同僚数人に聞きましたが、大学入試で英語の点数が減るのは事実で、さらに「小論文」の配点が上がるとのことでした。
「何で?」同じ質問をすると、先日の友人とはちょっと違う答えが返ってきました。
「英語ができなければいい仕事につけないってのはもうみんな分かってるし、入試に組み込まれようが組み込まれまいが、みんな金かけて勉強させるから、大学入試でわざわざやることないってことじゃない?」
事実、この友人は、息子さんをアメリカの大学に留学させるため、さまざまな活動に参加させています(米国の大学は、学業以外のものを重視するため)。
理由がどうであろうが、もし日本の大学入試が英語を外せば、日本人はますます英語やらないでしょうね。
最近、翻訳の仕事でたびたびアジアインフラ銀行関連のニュースをみるので、中国は米国中心の国際勢力地図を本気で変えようとしているってのをひしひしと感じるのですが、
この、英語教育の方向性は何を示唆しているのでしょうか…。
海外に行くたびに思うこと
国内より国外で飛行機に乗ることが圧倒的に多い身としては、最近、航空機墜落事故が頻発していることがとても気がかりです。ブラジルにはドイツ経由、ルフトハンザ航空で行きましたし。
南米旅行は個人でフライトを予約したため、
全日空
ルフトハンザ(ドイツ)
アズール(南米)
GOL(ブラジル)
アビアンカ(ブラジル)
TAM(ブラジル)
LAN(アルゼンチン)
カタール(カタール)と、わずか半月で8社の便に乗りました。
で、客室乗務員が女性ばかりだったのは全日空のみで、フランクフルト-サンパウロは全て男性、残りの外資系航空会社も、男女同数か男性多数でした。
考えてみれば客室乗務員は重い物を持ち上げたり緊急時の避難支援など、力仕事を伴うサービス業であるため、求められる人材は→気は優しくて力持ち、ですもんねえ。実は職業の種類としては、佐川急便のお兄さんと同じ部類に入るのでは。
中国、韓国を含め、アジアは女性の客室乗務員が圧倒的に多いですが、この辺の職業観の違いはとても興味深いです。
男性客室乗務員は素晴らしい。笑顔でコーヒーを注いでくれ、腰をかがめて話しかけてくれ、大いに癒されました。清廉なホストクラブのようでした(笑)。聞くところによると、イタリア系航空会社の男性CAさんもおすすめだそうです。
ビジネス利用の女性が増えてくると、日本も男性の客室乗務員が増えて来るのかもしれませんね。
血が文字になるまで
教え子チョウさんが先ほど私の部屋に来て、文章を読む練習をしてからこう言った。
「自分の血が日本語になるまで頑張る」
日本語でこう言った。私は思わず口を半開きにしてしまった。頭の中には、大リーグ養成ギブスをつけた星飛雄馬と、ちゃぶ台をひっくり返す星一徹。そして電柱の陰から見守る花形の姉が順不同に登場した。
チョウさんは、星一徹のいない飛雄馬だ。
本当にやりかねん。「ほどほどにね。ほどほどだよ」と、二回言った。
昨年、チョウさんの同級生であるセイさんに「単語は書き取りして覚えてね。頑張ってね」と言ったら、それから7時間書き続けた、ってことがあったもんで、それ以降私は不用意に頑張ってを言わないようにしている。
チョウさんは私の精神状態のリトマス氏、バロメーターのようなもので、自分が自分のやるべきことをやっているときは何てことないんだが、「今のままじゃだめだなあ」などと思っているときに会うと、その強すぎるエネルギーにあてられて、気分が悪くなってしまう。天から「怠け者め~」という声が自分に降り注いでいる気がする。
ゼミのほかの教え子も言ってた。「私、チョウさんと話してると時々疲れるんです。本人は24時間やる気をみなぎらせて疲れないんですかね」
新聞記者をしていたころ、誰でも知っている経営者と交流する機会が時々あったが、彼らの「武勇伝」や「信念」もすごいものだった。私たち聞き手はひたすら圧倒されつつも、どこかで自分と相手の間に線引きもしている。彼らは既に事業をなしている向こう側の人だから、過去にどんだけ努力したか聞いても、自分の痛点には届かない感じ。
FBで知人の仕事がうまくいってるのを見ると、自分が怠けているときには「私何してるんだろう」と、複雑な気持ちになることがある。嫉妬も混ざっている。でもなんというか、お互い様なんだろうとも思う。
チョウさんは痛い。何たって現在進行形である。しかも自主的。「あの人は天才だから」「器が違うから」とも思わない。
普通の人が、普通じゃない努力をして、普通じゃない領域に達している。
こちらは何ら言い訳できない。
どの世界でも一流になる人ってこうなんだろうな、と強く思わされる。
チョウさんの一つ下の学年には、23時の消灯時間後に、トイレに移動して勉強するリー君という人がいる。
現時点ではまだまだという感じだ。私は要領がいい子どもだったので、高校や学生時代にリー君みたいな同級生見たら、「そこまで勉強してこんなものか」と思ったかもしれないけど、今は、こういう子がある日自分に合った方法や先生を見つけて、化けるんだろうなと思う。
星一徹がいないのに飛雄馬になれる人はほんとにすごいよ。私は花形のねーちゃんになります。
男社会
稲門会と三田会の合同懇親会&送別会に参加したら、想像はついていましたが、30人中たった一人の女になりました。
当然、自己紹介のときに「次は紅一点の」と前ふりをつけられるのですが、こういう場では、「適度な同化」と「適度な差別化」の両立が求められます。
適度な同化…「わが母校には、世の中には男と女とワセ女がいる、という言葉がありまして、私はそのワセ女代表としてやってきました」とおじさん風な切り出し方によって、ここにいる大多数の仲間、同種、安全な存在であることをアピールする。
差別化…ひげをそらない(ほかの毛はそっているが)、おしぼりで顔をふかない(化粧が落ちる)、ゴルフしない(とある事情で距離置いてます)
大学入学時から、ゼミにしろ、部署にしろ、趣味のグループにしろ「女は私だけ」という場面は珍しくなく、縦社会の群れとも言える男社会で、男の論理を聞き、男のジョークを聞き、男の愚痴にどっぷりつかってきたため、私の思考や価値観もかなり男寄りなのではないかと思っています。本質がどうかはさておき、おじさん思考はかなり共有できるし、自分の生活様式に取り入れられています。
実際、会社やめて女性の友達が増え、女子会などに参加するようになって、「女ってこんなこと考えてるんだ」とおっさんのようにびっくりすること多いです。
だから私は、おじさん中心の会(稲門会と三田会は、平均卒業年は1980年後半、最年少が35歳くらいなので、おじさんと言ってもいいでしょう)では、いっそおじさんの格好をして隅っこに座っていたいのですが、当然ながら見た目が女性なので、そうもいきません。
会場に着くと、「女性なんだから真ん中に」と言われます。だいたい目の前にいるのは、そのグループのボス格ですよね。恐るべし女性席(もちろん全力で逃げます)。
自己紹介も紅一点のとふりが入るし、みなさんビールを飲む手を止めて、注目してくれます。うかつなことは言えませんが、計算されたうかつさは必要です。
あと、「持ちネタが下ネタ」という人が、話しの途中で私の存在に気付き、「女性がいるので…」と尻すぼみになったり、二次会でお姉ちゃんがいるお店に行きたいのに、私がいるため、悩むそぶりを見せたり、そしてそういうお店に行くと、ホステスさんがやたらと私に気を使って話しかけてくれたり(自意識過剰かもしれませんが)、
私の存在が、何か流れを止めてしまう。立ち上がって中森明菜風に「女じゃないのよワセ女は、はっははー」と歌って、流れを引き戻したくなります(昨日はKOさんもいて、控えましたけど)。
早稲田の応援歌は、肩を組んで歌う習慣なんですが、お堅い職業の男性はちょっと遠慮がちだったりするので、自分からがちっと手をかけます。気の使いあいです。
構成員が駐在者、ビジネス関係者中心の飲み会になると、日本以上に女性が少なくなるので、気を使われるのがあれで(私、40歳なので、おじさんが一番気を使う世代ですね)、参加することに二の足を踏んでしまう。日本人の集まりって楽しいから、余計、完全同化したいなと思うこのごろです。
まずはおしぼりで顔をふくところからかなあ。
中堅シングルマザーとして
友人が、「寡婦控除のみなし適用制度」の欠陥について、東京区議のオフィシャルサイトに投稿したら、すぐに返事が来て、翌日、直接お話しできたと、SNSに投稿していました。
シングルマザーの苦境について、最近盛んに報じられているからでしょうか。
寡婦控除のみなし適用制度、というのは、未婚の母には認められていない寡婦控除を、みなし適用しますよという制度で、最近は東京の一部自治体が導入しているそうです。これが適用されるのとしないのでは所得税から保育園料からまるで変わってきます。月に万単位で変わってきます。
子どもが小さいころは、非常に不公平に感じており、「なぜ離婚は〇で未婚は×なの」と憤ったりしていましたが、最近この問題、忘れていました。
うちは子どもが小学校高学年になり、周囲の人にも特に自分から説明しない限り、「バツイチ」と思われます。先々月、8年来の付き合いの知人に「再婚しないの?」と聞かれ、「再婚も何も、離婚すらしたことないし」と答えると、その知人は目を丸くして、そこから質問攻めが始まりました。
やはり、未婚のシングルマザーは希少種です。
とはいえ、未婚の母って多くの場合、世間が思うほど悲壮感なく生きています。理由としては
① 妊娠期がどん底で、あとは楽になることが多い
妊娠期は、主に子父との修羅場(逃亡した相手を追いかける人も多いですね)、さらには周囲の「ほんとに産むの?」「大丈夫?」「子どもは幸せになれないよ」などという心配、同情、反対…。「無謀な女」「不幸な女」「あばずれな女」、とにかくこのような視線で見られがちです。
けれど、出産後は大変な中にも、産んでよかったなと思うことが増えてくるし、子どもが大きくなってくると、周囲の評価はなぜか、「えらいね」に変わります。未婚で産む女はあほなんですが、産んだ後はえらくなるんです。世間の物差しって不思議。出世魚みたい。そして、子育ては次第に楽になります。
② 何かが強い
上述のように、周囲の心配や同情、反対にもかかわらず産むのですから、何かが強いのです。経済基盤かメンタルか、あるいはその両方か。ほかにもあるかもしれません。
特い経済基盤の点は見逃せん。だいたい、「一人で育てられる」と判断してるってことは、安定的にそれなりの収入を得ているケースが多いです。ここは、一から職探しを余儀なくされるケースもある離婚と、大きく違う点です。
③ 笑うしかない
未婚の母は自虐ギャグを得意とします。自虐ギャグを共有し、結束します。そうそういるもんでもないので、交流は主にネットです。私にも、会ったことのない未婚母友達がたくさんいますが、特に子父に関する自虐ネタはシュールなものがあります。
このように、未婚の母は、基本「お気楽」です。実際は大変だったりするのですが、痛みに対し鈍く、笑いに変える人が本当に多いです。
ただ、日本の民法は、「未婚出産」を想定していないため、法的にはさまざまな面で不平等です。子どもが小さいころは、制度に不満があっても、「好きで選んだ道やろ」と言われることも結構あります。
なら、結婚して二人で子どもを育ててる人だって、好きで選んだ道やん。そういう人が子育て支援を訴えるのはよくて、何で私が言ったらだめなの、とかいちいち、いきりたちます。
最近は私は海外にいるし、息子は手がかからないしで、この問題を考える機会が激減してたのですが、区議に訴えたという友人が、「私は中堅シングルマザーとして」と書いているのを読み、
「中堅シングルマザーって何よ」と思わず突っ込んでしまいました(笑)
養育費だけでは暮らせないけど、正社員など安定した経済収入を得ており、ぜいたくはできないけどやっていける→中堅シングルマザーだそうです。
じゃあ、私もそうやん。
今日も、スザンヌが離婚を発表しましたね。シングルマザーって最近ではすっかり珍しくなくなり、一言でくくれなくなってきました。経済的にも、メンタル的にも、ぴんきり、多種多様です。みなを一律に福祉の対象にしてたら、国や自治体の財政は破たんすると思います。
ただ、言えるのは、小さな子どもを抱えるひとり親(シングルファザー含む)は、今日をやっていくことに精いっぱいで、支援を求めていても、窓口まで相談に行く余裕がなかったり、ニュースを読んだり見たりする時間もなかったり、何よりも、団結してもの申す余裕がほんとにないですね。
国の制度や法を変えようと思ったら、まず、同じ立場の人が団結して、できればその中に頭のキレる人なり、有名人なり「オピニオンリーダー」的存在がいて、注目してもらわないと始まらないわけです。
真面目に働いているひとり親の中に、そのようなことに労力を割ける人はほとんどいません。時間を割ける人は、一般的にやる気がありません。
どんな道を選んでも苦労はあります。しかし、未婚の母に限らず、1人で子どもを育てる人にとって今の社会は障害が多いのは確かです。もちろん、国が「結婚した二人が、子どもを育てる」社会を前提に制度設計しているからですが、現実は、どんどんどんどんひとり親が増えてますね。
友人の投稿を見て、比較的時間があり、大変なことも楽しいことも経験した私は、中堅シングルマザーとして、余裕のない人々に代わって頑張らないといけないなと思いました。
でも具体的に何やればいいかわからないので、ここで決意表明だけしておきます。ニュース読んで、自分にできそうなことがあれば、加わります。
