中国レポート -3ページ目

生きていくスキル

 私が中国に来たとき、レシピを見ずに作れる料理は、カレーと肉じゃが、チャーハンのみだった。ちなみに、カレーと肉じゃがは材料が同じである。ってことは、シチューも作れるってことか。
亭主関白のおっさん並みのレパートリーのなさだが、会社員時代に晩御飯を食べられる時間に帰宅できなかった、というのが最大の理由ではある。初任地の大分では、職場の周りのロイホ、ローソン、金龍(ラーメン屋)にローテーションで行っていて(どこも24時間営業)、「魔の三角地帯」とか勝手に名づけていた。ロイホは常連すぎて、元旦に行くと、店長があいさつに来てビール券をくれた。

 ただ、そんな境遇でも、週末などの空き時間に料理をつくる人はいる。

 私が料理を忌避したもう一つの理由は、母がそれに命をかけていたからだ。
 うちの母は家事全般が得意、というより、自分のアイデンティティが料理、という人だった。私が中学のときについに専門学校に通い始め、調理師の免許までとってしまった。その後、中洲の料亭で実際に調理場を担当していた。直近でも、パート先は学生寮の朝食づくりなど、だいたい料理関係だ。
 運動会や正月が近づくと殺気立ち、「そこまで不機嫌になるならやめればいいのに」とすら思うのだが、自分のアイデンティティだから、やめられないのだと思う。今は、喜んで食べてくれる孫もいて、ますます料理に傾ける情熱が上がっている。

 この分野において自分に厳しい母は、私にも厳しかった。卵焼きを作るのだって、ものすごく大変なんだと語られ、手順をちょっと間違うと「もういい。私がやる。どいて」という感じで、私にとって料理とは、たいそうな心の準備が求められ、たくさんの基本があり、習得するまでに膨大なコストを要するする、といったものだった。

 調味料を入れるときは横で監視されるし、それこそ袋ラーメンをゆでる火加減まで何か言われるので、結局私は台所から遠ざかり、でも、母と領域がかぶらないお菓子作りには熱中し、今でも時間があるときは、簡単なケーキを作る。母も、おやつだけは何のダメ出しもせず、喜んで食べてくれる。

 今、実家に帰っても、私はほとんど料理をしない。母が作ってくれる料理を上げ膳据え膳でありがたく食べている。けど最近になって、料理が嫌いでないことに気付いた。
 クックパッドのおかげで。

 中国で息子の晩御飯に一品足すため、「簡単」「10分」みたいなキーワードから、自分にもできそうな料理をつくるところから始まり、今は外食に行って「これ自分で作れるんじゃないか」と思うと、家に帰ってクックパッド。店と同じ味は無理でも、自分の食欲を満たす程度のものはできる。

 そうこうしてるうちに、FBで料理写真をアップする人に、盛り付けの方法を教えてもらうようになり、食器を買いに行き出す。

 そうやって私は今、キャラ弁一歩手前まで来ている(嘘です)。

 ただ、相変わらず実家の台所は使いづらいので、帰国したときは電器コンロが一つだけついている自分のアパートで、せっせとおかずと作っている(中国だと食材の制約があり、作りたくても作れないことが多い)。
 たまによくできたものを実家に持っていくと、母は嬉しそう、ではない。
 自分は免許まで取って何十年も修行してきたのに、あんたはコピペで楽をしている、的反応である。
↑これって、フラット化社会の本質ですね。

 何事も、基本は大事だ。私は私が食べたいものを適当に作ってるだけだからいいけど、実際には包丁の使い方はめちゃくちゃで、せん切りとかみじん切りしている姿は人に見られたくない。
 でも世の中、一部のプロだけができればいいスキルと、万人が持っておいた方がいいスキルがあって、料理は完全に後者であると思う。

 特に海外生活していると、自炊できないってのはばかにできないリスクだ。
 「プロから趣味まで幅が広いけど、万人にとって役に立つスキル」としてほかには、外国語、自転車、コンピュータ、そんな感じだろうか。
 この手のスキルは、入り口はなるだけ広く、習得することの難しさよりも、できたときの楽しさ、有用さに重きを置いて、少々作法から外れてても、本人の意欲を尊重した方がいいんだろうな。と、今更ながら思う。

 たしかに私の料理はめちゃくちゃかもしれないが、このスキルは自分にとって金を稼ぐためのものではなく、もっと大きな意味で、生きていく、あるいは生活コストを下げるためのスキルなんだから。

 ということを、自分の子どもや自分の教え子と接するときに、常に心掛けておこうと思う。
 自分の得意なこと、本業ってどうしても厳しくなる。私も。けど、それが人の天井を作ってしまうこともあるし。

ってことで、これが朝ごはん。クックパッドは見てません(笑)

 


1000の仮面を持つ女(下)

 「ワイン会終わったら合流しよー」と声を掛けてくれたSさんから再び連絡が入ったのは夜9時前。

「今、一緒にいる女友達が、イケメンがいる店に行きたいと言ってるから、鳥耕作集合で」と指定される。


 島耕作 じゃなくて 鳥耕作です。 老眼の人は文字を拡大してください。


 15分ほど歩いて店に入ると、Sさんと一緒にいる女性が、店員に文句を言っていた。

「どうしたんですか?」

「イケメン、病気で実家に帰ってるって。わざわざ来たのに。キー」とハンカチをかんで悔しがる(嘘)その人は、ネイリストだった。


 そうなんですよ、日本人美容師やネイリストってこの地で需要高いんです。大連で日本人美容師から髪を切ってもらうと、中国人美容師の15倍くらいする、どころか、日本で切ってもらうより高いのだが(ネイルも同じ)、みなさん儲かっている様子。


 既に出来上がっている2人に映画の話をすると、「おもしろいじゃーん」と酒も入ってノリノリなので、シラフに戻らないうちにと、監督と李さんに「2人捕まえました!」と連絡をする。

 写真がほしいと言うので、店員にビールジョッキ持った姿を撮ってもらって送りつけると、「女性は30半ばから40歳2人と、もっと若い単純そうな1人がほしいから、そのネイリストさんはヘアメイクでお願いしたい」と我儘極まりない要望が来る。


 さすがに向こうも我儘だと分かっているのか、グループチャットでなく、私個人宛のメッセージだったが。

 単純そうな若い女性ってあんたねえ・・・と呆れながら、このブログで知り合った東京の女性に連絡してみる。彼女の妹(20代)は大連で働いており、しかもこの秋にロシアに転職するのだ。


 単純とは程遠い、どちらかというと小悪魔っぽい長髪の女性だが、大連生活もあと1,2か月だし、思いでつくりとしてこのバカ企画に付き合ってくれるんじゃないか。この前、東京バナナの偽物見つけて喜んでたし、ユーモアも分かるんじゃないか、とお姉さん経由で打診してみたら


「何それ面白そう」


 ということで、極めて困難と思われた、渡辺淳一原作、中国人脚本監督(中国語)、登場人物全員日本人、という大作?のキャストが当日のうちに揃ってしまった(男性も確保できた)。


 さすが、中国生活長い日本人のみなさんは話が早い!。ということで、来週、打ち合わせをすることになりました。


 監督に「私も含めてこの中の3人は、夏に大連離れるよ」とくぎを刺すと、「6月末には撮影終わるから問題ない!」


 まじかいな。ということで、みなさん、公開の日を心待ちにしといてください。女性は全員独身なので、いいお見合い動画になると思います。


終わり


 

1000の仮面を持つ女(中)

 仕事が順調なのは結構だが、そこからもたらされる負の作用も当然ある。「日本語教師」のポジションが固まるにつれ、周囲は日本語が分かる人ばかりになり、中国語能力が著しく落ちているのだ。

 でもあなた翻訳者でしょ。そう、翻訳者だから、字面見て訳せても、それを正しく発音できるかは別問題。息子が帰国して夜に出歩けるようになった結果、日本人との付き合いも増え、飲む店はやっぱり日本料理店なもんだから、行動範囲も固定化している。


 仕事をしていない頃には、「日本人」で良ければ何でもいい話が時々入ってきたのだが、今はとんとご無沙汰である。私自身、私に新しい色をつけてくれる人を探す必要性を痛感していたところに、この映画話だ。


 そして先週土曜日、待ち合わせのカフェに、友人の李さんと監督は現れた。

 李さんは働き始めて4年目の銀行員。そして監督は、ポーカー番組を制作しているテレビ局員ということだった(ポーカー番組は大人気なのです)。


 監督は座るなり、映画の構想について語り始める。「どぅーびえん、どぅーびえん」と連発する。

 「渡辺?」  あ、渡辺淳一!!!。

 そう、渡辺淳一は中国で、村上春樹に次ぐ人気作家なのだ。いわく、渡辺淳一の小説3作を一つにまとめたストーリーが今回のシナリオという。まとめたんかい。30分のショートストーリーに。

 なるほど。だから、主人公作家なんだ。だからオチがない男女の話なんだ。と、ようやく点と点がつながる。


 監督によるとこのシナリオは3年前から温めていたのだが、何せ本人は日本語ができず、日本人の友人もいないため、温めっぱなしの状態だった。そこに、日本に留学経験のある李さんが現れ、一気に火が付いたというわけだ。


「あなたは料理店の女将をやってくれ。あとは日本人の女2人と男1人を探してほしい」

 どんどん話を進める監督。ちょっと待て。と遮る私。


 ①大連に暮らす日本人は多くが男性で、女性は留学生か奥さんがほとんどだ。そもそも母数が少ないよ。40歳前後と30歳前後とか、一番おらん層よ。

 ②その少ない母数の中から、このギャラもない、ネタとしか思えない企画に協力してくれる人がどれだけおるか、私には分からん。


 でも、男はいる。

 仕事を辞めて中国語の勉強に来ている30代男性ってのは、そこそこいるのだ。詳細を告げずに首を縦に振らせることくらいはできるだろうな、と心当たりの数人を思い浮かべる。


 李さんもこんな話に付き合わされて大変ね、と水を向けると、意外にも大喜びしている。

「最近、職場のプレッシャーがきつくて、見てこの吹き出物。今週はずっとポジティブシンキングの講座に通ってるの。いい気分転換になるわ」


 そ、そっか…。2人の期待に満ちたまなざしに、

 じゃあ、私も役者やってくれそうな人探してみるね。と言って別れた。


  40代前後の時間と無駄なやる気がある女なんていないやろと思っていたら、ふいに、適役が身近にいることを思い出した。

 大連で仕事歴8年。日々3時4時まで飲み歩く酒豪Sさん。先日、経費を落とすためにタクシーのレシートが必要になった時、朝帰りのレシートを気前よく300元分くれた太っ腹Sさん。


 料理店の女将にぴったりじゃん。とりあえず「女優やりませんか」と連絡してみると、

「えーーー、何それ。場末のスナックのママ役ならやってもいいよ。とりあえず今、ワイン飲んでるからあとで~~~」

 なんと、自宅からタクシーで1時間以上離れた、かつ私の家のすぐ近所で飲んだくれていることが判明した。


続く


 


 

1000の仮面を持つ女(上)

 6年前に知り合い、1~2年に1度会う中国人の友人から、「映画監督が日本人キャストを探しているんですが、さなぢさん、興味ありませんか」と連絡を寄越して来た。

 興味あるともないとも言わずに、「何それ?」と聞いたら、「とりあえずシナリオを読んでください。感想を聞きたい」と、完全中国語の短編シナリオが送ってきた。


 日本と違い、中国で「こんな話があるんですが」というときは、大抵構想(思い付き)段階なのだが、発案者は「絶対実現できる」と確信して突っ走るので、日本人が日本の感覚で真に受けると、振り回されて大変なことになる。最終的には実現しないことも多いからだ。しかし、人生のネタは凝縮されているので、私は時間があるときは首か片足を突っ込むことにしている。両足は突っ込まない。


 シナリオはこんな感じ。


 日本人の売れっ子作家がサイン会で大連を訪れる。そこでは大学時代の同級生の女性が日本料理店を経営しており、空港まで迎えに来て、自分のお店でおもてなしをしてくれる。売れっ子作家の来店に目を輝かす若い店員(これまた日本人)

 料理店の店主は、作家に「あなたの初恋の相手、A子は今、大連にいるのよ」と教える。驚く作家。A子のことを思いだし飲んでるうちに、すっかり酔いつぶれ、若い店員にホテルに送られ、そのまま襲われそうになる。

 しかしぎりぎりで思いとどまり、日本へ帰国する日、空港からA子に電話をかけ、彼女が中国人と結婚して幸せな生活をしていると聞いて安心するのだった。


 ふむふむ。おい待て。


 登場人物、全部日本人じゃないか。台詞は中国語で書かれているが、実際は何語で撮影するんだ。そして観客は何人を想定しているんだ。


 ストーリーにもツッコミどころが満載である。

 大連で生活している人は分かるだろうが、大連にある日本料理店のオーナーは基本、中国人だ。あるいは日本人の夫×中国人の女という夫婦。専業主婦大国の日本の女が、海外に行って日本料理店を経営するなんてのは、同じ日本人としても想像しがたい。

 ついでに言えば、その店の若い女性店員も日本人だが、これまたほとんど見かけない。開発区の日本料理店の店員は、多くがうちの大学の日本語科の学生だ。

 そもそも、大連の日本人の男女比率は4:1くらいで、女性の半分は夫の駐在に付いて来た妻。このシナリオのシチュエーションはありえな過ぎる。


 シナリオを送ってきた友人も「大連である必然性はないですよね。どこででも起こる話です」というので、「李さんはこの監督とどういう知り合いなの?」と聞くと、「実は一週間前に友達になったばかりです」


 こんなところもザ・中国である。

 しかし私は、これは久々にブログネタ来た、と内心小躍りし、監督の紹介をお願いしたのである。


 



網と紙の間に⑤5年後にどこで何を

 1997年の暮れごろ、正確な時期は忘れたが、私はダイヤルアップ回線で自宅からインターネットにつないだ。

 後輩の部屋で最初にインターネットをつないだ1995年ごろは、閲覧できるサイトもホワイトハウスくらいしかなく、「だから何なの?」という感じだったが、前述したように、この頃になると十代からパソコンをいじっている若者が、普通の人向けに色々なサービスを提供するようになっていた。


 私はとりあえず大学のサイトに行き、そこからどこかのサークルが運営している掲示板に流れ、最後は学生が立ち上げたチャットにたどり着いた。

 掲示板に好き勝手書いていたら、ある日突然、投稿主「さなぢ」を祀り上げるスレッドが立ち、「さなぢの性別は」「きっとこんな顔に違いない」など、本人不在のまま投稿があふれるようになった(私のネット名は以後20年間、「さなぢ」のままだ)。

 今でいう炎上の最も原始的な形態で、学生だった私はそれで受ける被害もなかったが、自分の「発信する」という行為に明確な反応を呼んだ初めての経験だった。


 私はこの時点で新聞社の記者職に内定していた。しかし考えてみたら、自分の書いた文章を人に見せるという経験は皆無で、今になってみるとなぜ自分が記者職を選び、そして会社に選んでもらえたのか不思議で仕方がない。やっぱり大学の雰囲気にのまれたんでしょうね。

 大学の小さな掲示板に、思いついたことを適当に書き込んでいただけだが、ネット人口の少ない当時、2000年代初めまでは、それが簡単にリアルと結びついた。入社した会社の人事部に、「さなぢはこんなやつだから、あまり厳しい仕事をさせないでくれ」と匿名のメールが来たり(このメール発信者と私が知り合いかどうかすら分からない)、会社に大量のカニやジャガイモが送ってきたり。


 私は元々コンピュータに詳しかったわけではなく、大学に入ったときにたまたま不景気で、そして、焦って手に職をつけようと選んだものが、たまたまwin95導入前のビジネス文書作成スキルで、一太郎やofficeを使えるようになったんだからと高価なパソコンを買い、そうやって人より早く、ネットの世界に流れ着いた。

 まだまだ牧歌的な時期に、「個人情報の特定」「ネットからリアルへの波及」「炎上」を一通り体験し、ネットとの距離感を学んだ。今思えば極めて幸運だったと思う。


 そしてチャットでは知らない人と朝まで会話し、文字だけでやり取りするあやうさも十分に認識した。ネット上ではリーダーっぽい人が実際に会うと人と目も合わせられなかったり、あるいはその逆であることもあった。男か女か分からないようなハンドルネームの人は大抵美人で、そんな名前だったチャットメンバーも、後にアナウンサーになった。

 ハンドルネームにはそれなりに意味がある。なりたい自分だったり、本質を隠すコートだったり。

 今、私はネットで知り合った人でも機会があればどんどん会う。「怖くないの?」と聞かれるけど、とにかく会わないと始まらない。会わないと分からない。バーチャルの世界で気が合った人と、バーチャルだけの付き合いにとどめるには、自分にとって大きな損失であると思う。


 卒業間近になって私は、この掲示板やチャットを開設した人が、半年ほど前に私が毎日のように見ていた「みんなの就職活動日記」を立ち上げた人でもあり、今は出版社の新入社員であることを知った。

 その1年間、ずっとたった一人の人が、私の案内人であり続けていたことを知り(今思えば当時のネットの世界はそれだけ狭かったということに過ぎないのだが)、とても不思議な気持ちになった。


 そうして卒業後の1998年4月、私は新聞社に就職し、間もなく大分県に赴任していく。


 要するに私は、ネットのマインドを持って、紙媒体の業界に入ったのである。社会がものすごい勢いで変わっていく中で、私は網と紙の間に生まれ落ちたんだろうなと。就職活動が1年ずれていたら、早い方、遅い方、どっちにずれていたとしても、自分のマインドは全く違うものになっていただろう。

 


中国での広告宣伝考

 あまり名刺を配ることはありませんが、私はある日本の法人の顧問らしき職についていて、その業務範囲に「中国での広報」も含まれているので、中国人が商品、サービスの情報をどのように収集・分析し、買う買わないを決めるのかについて、注意して観察しています。個人的考察の範囲を出ませんが、そこで気づいたこと。この分野について知識、経験をお持ちの方にはぜひご意見いただきたいところです。


 まず、中国人は広告や宣伝を信用しません。最近、「中国で物を売るときは誇大広告にした方がいいんでしょ」的質問を受けましたが、これはイエスでもあり、ノーでもあります。

 というのは、中国の広告は基本、「誇大広告」「虚偽広告」ですが、消費者だってそれを分かっているから、あれですよ。

 日本で爆買いが起こるのです。


 中国の消費者は、自分の国の広告宣伝は信用しておらず、とりあえずメードインジャパンについては信頼を置いている。

 だったら日本のモノを売ろうとする場合、「日本製」で勝負をすればいいわけで、中国のあやしい物品と見分けつかなくなるような真似は避けた方がいいんじゃないか、というのが私の考えです。


 そして、広告を信用しない中国人が頼るのは「知り合いの推薦」です。

 これは本当に、あらゆる分野に浸透しています。例えば、中国の大学が日本語教師を採用する場合、求人サイトやエージェントを使うのは一般的に、「最後の手段」です。出来る限り、ツテをたどって探そうとします。

 実はうちの勤務先も新しい先生を探しており、そのような方法で確保したのですが、こちらに履歴書が届いたときには、何人も人を仲介しているわけです。例えば、

 うちの大学の中国人教師→彼女の学生時代の同級生→その同級生の同級生である、北海道在住の人→その友達


てな感じです。こうなってしまえば、信頼性の担保もくそもない、と考えるのは日本人の思考パターンで、うちの大学は、電話やネットで面接さえすることなく、その人の採用を決めました。

 責任者は「●●先生を信頼しているから」といい、●●先生は「友達を信頼しているから」。その連鎖です。

 つまり、うちで日本語教師として働きたい場合は、私と友達になるのが一番の近道なのです。


 そういう「ツテ」や「紹介」「口コミ」の中でもとりわけ強力なのが、「先生の推薦」です。

 中国では小学校から高校まで、在籍中は担任の先生が変わらないため、先生の生徒に対する影響力は半端なく大きいです。

 高校教師のもとには、若い子に何かを売りたい業者が日参することもよくあるそうです。


 特に若い世代は、何か迷っているときは、まず先生に聞きます。私も昨日、「●●の資格は役に立ちますか」と質問されました。

 若い世代だけではありません。GWに日本に帰ったとき、息子が通っていた託児所の先生から、「ファンケルのサプリメント買ってきて」とメッセージが入り、私は頼まれるまま2万円分買いました。

 よっぽど気に入っているんだなと思いながら持っていくと、

「あなたの学校の××先生がいいというから」。

 えー、それだけで2万円分サプリを買う?

 サプリだけじゃなくて、美顔器などもそうです。私は実年齢より若く見え、さらに日本に詳しい日本人なので、何気なく「これいいよ」と言おうものなら、次回の帰省時に買う羽目になります。昨年は3万円以上する美顔器を買い、このGWに修理に出すことまで頼まれました。


 こういうのを見聞きすると、「先生の立場を利用して副業できるじゃん」という思いが頭をかすめるのですが、実際やってる人は多いのかもしれません。

 先日、「私の先生はすごい」というテーマで作文を書いた学生が、高校時代の先生を取り上げ、「教師の仕事をしながら、自分で会社を立ち上げて儲けている。本当にすごい」と称賛していました。

 日本なら懲戒ですよね…。


 そんなわけで、私もここで一銭にもならないブログを書くことをやめて…とは言わないまでも頻度を減らして、中国のアメブロみたいなところで、「おしゃれ日本人番長さなぢのおすすめ商品」なんてことやった方が、稼げるんだろうなと夢想するわけです。あるいは、30キロ台の体重を生かして、ダイエット商品の宣伝員になるのもありか。「あなたもこれでモデル体型に スレンダー番長さなぢのブートキャンプ」とか。


 番長って、中国語に訳したらどういうのか知りませんけど。


 ということで、商品の誇大広告に対して、私は否定的ですが、「人間の誇大広告」は十分効果があると思います。

 

金持ち学校

 家庭教師先の韓国人高校生は、日本語が第4言語だが、まあ流暢なこと流暢なこと。家庭は韓国語、外では中国語、そして学校は近くにあるインターナショナルスクール。学費が高く、いわゆる金持ち学校。


 インターナショナルといっても学生の大半は中国人なのだが、今日、この子に聞いてみたら、高校は1学年1000人いるって。

 日本語で説明するので、ケタか数字を言い間違えたんじゃないかと思い、「クラスはいくつあるの?」と質問を変えてみたら、「1学年でさんじゅう…」と言うので、ああ、ほんとに1000人いるんだと納得した。


 その、30数クラスのうち、外国人は1クラスに固められているらしい。ってことは、残りは全部中国人でしょ。インターとは言えないじゃん、とツッコミたいが、授業は全部英語でやってるからインターとのこと。まあそっか。


 休憩時間の雑談に、「授業中に携帯電話触る人いるでしょ。先生はどうするの?」と聞いたら、「没収して1か月返してくれない」と答えるから、やっぱり高校は厳しいねー、と思っていたら、

「でもみんな金持ちで、携帯電話は2台か3台持ってるから、1台なくても問題ない」


 ほーーーー。


 うちの大学も同級生に、有名人の子どもがちらほらいたのだが、普通の人の方が圧倒的だった。高校は女子高で、中学から上がってきた子の中には金持ちがいたが、グループができちゃっててあまり接点がなかった。


 ということで、生徒みなが金持ち、という環境はどんなものか興味津々で聞いてたら


「前の席の人は一生懸命勉強して、真ん中はみんな寝てて、後ろはみんなゲームしてる」


 こういうところでモチベーション保つのも大変かもしれませんね…。


 

④5年後はどこで何を

 私が就職活動をしていた1997年は、首都圏の企業が採用活動にネットを利用し始めた年だった。と言っても、企業は情報提供を自社のホームページでする程度で、資料請求や面接の通知などははがきや電話。結果をメールで連絡、ってのもなかったから、就職活動を機に携帯電話やPHSを持つ人が増えたという時代。


 私の大学は全学生にネットが使えるIDを配布しており、そういうのに興味がある学生は、学内のPCルームで利用していた、が、送られてくるメールなんて、普段顔を合わせる同級生、下手したら同じPCルームにいる友達からの、「届いた~?」とかいうものばかりだった。


 学生が使えるPCは就職課にもあり、そちらの方が空いているし入室手続きも必要なかったから、私は時々そこでネットを使っていた。そしてたまたま見つけたのが(たぶん、ブックマークされていた)、就職活動の口コミ掲示板「みんなの就職活動日記」だった。


 後から知ったがこれは、私より一学年上の同じ学部の先輩が、自分の就職活動の際に何となく立ち上げたものだった。だから私がそのサイトを見つけた頃も、掲示板の利用者は限られていたが、それゆえに、採用側の企業はそこの存在すら気づいていなかったため、今だったら決して投稿できないような有益な情報がごろごろしていた。


 そこで私は、マスコミ用掲示板(その頃は会社別じゃなくて業界ごとのカテゴリーしかなかった)で、顔は知っているけど話したことがない同級生が同じような企業を回ってることを知り、そのうちメール交換を始め、内定が出て夏休みが始まる頃に付き合い始めた。今だったら、すぐ近くの人が投稿していても、それが匿名だたら特定できないだろう。牧歌的な時代だった。


 秋にはその彼に府中競馬場に連れて行かれて、完全に競馬にはまり込んだ。ピルサドスキーとエアグルーヴ、バブルガムフェローが三つ巴の戦いを演じた、あのジャパンカップだ。それまで私はパチスロにのめり込んでおり、リクルートスーツを着て日本最大のパチンコホールに面接に行くほどだったのだが、これを機に完全に競馬に鞍替えし、過去20年くらいの重賞レースのデータを見たり、本や雑誌を買い集め、今からでもJRAを受けなおせないかと本気で考えた。いっそのこと牧場に就職しようかとまで思ったが、朝が弱すぎる(今も)のであきらめた。


 そしてその頃、私は何かの拍子で、大学のIDを使えば自宅からもインターネットにつなげることを知った。1994年に入学した私は、就職難で右往左往する先輩を見て、専門学校に行ってPC関連の資格をいくつか取得しており、アルバイトして30万円のノートパソコンも買った。が、プログラミングに興味があるわけではなく、その高すぎる機械を持て余していた。

 1997年、大学4年生の冬ごろ、私はダイヤルアップで自宅からインターネットにつなぐことに成功した。今思えば本当にそれは、自分がその後の自分の方向を決定づける何かとつながった瞬間だった。

 

 

 

③5年後はどこで何を

 昨夜、大学の先輩で、今はメーカーの管理職をしている友人と焼肉を食べた。大学の先輩と言っても年齢はだいぶ離れており、こちらに来てから知り合った。

「自分もマスコミ志望だったんだけど受からなくて今の会社に入った」

と聞いてもさほど驚かない。50代半ばから少なくとも私の世代までは、私の出身大学(文系)の場合、マスコミを一社も受けていない方が少数派だからだ。


 志望度の差こそあれ、学生の90%以上がテレビ、出版、新聞社のいずれかに応募している。私なんて家にテレビもなかったのに、人についてキー局のアナウンサー試験の面接に行き、NHKも面接を受けた。

 周囲の女子学生はみな、「場馴れするため」とか言ってアナウンサー採用の面接に行ってたので、自分もそれが分相応とか何も考えなかった。環境のなせる技だろう。


 今、大学教授をしている人、東証上場企業の部長をしている人でも元はマスコミ志望者。それがうちの大学だ。


 だから、今も昔も「なぜ新聞記者に」と問われれば、「周囲がみなそういう雰囲気だったので」というのが偽らざる回答となる。

 当時の私は「明確なマスコミ志望者」ではなかったので、都銀もメーカーも企業説明会に足を運び、リクルーターに会った。そうやってふらふらしていたのに、新聞社だけは全国紙からブロック紙まで、すべて最終面接に進み、周囲から「何でお前が」「受けてたのか!」と色々言われた。


 たぶん、塾講師を長くやっていて、筆記試験に抜群に強かったのと、何だかんだ言って一人暮らしでもずっと新聞を購読していて、新聞社の商品をよく知っていたからだろう。


 私は決して多くない生活費の中から、ずっと新聞1紙か2紙を購読するための費用を出し続けた。といっても、特別新聞が好きだったわけでなく、何かを読むのが好きだっただけで、週に1、2回は雑誌のある喫茶店に行き、週刊朝日、現代、宝石、サンデー毎日と読み漁っていた。今より自由に立ち読みができたので、ビッグコミックスピリッツ、モーニング、サンデー、ジャンプ、マガジン、コーラス…と漫画雑誌も網羅していた。それでも時間が余るときは、小説に手を出した。


 だから、本当に行きたい業界は出版社だった。

 行かなかったのは、出版社の採用試験が始まる前に新聞社の内定が出て、それ以上就職活動を続けるのが嫌になったからだ。当時の私は弱くて弱くて、リクルーターの質問に答えられなかったり、面接で戸惑ったりするたびに、大きなダメージを受けた。

 業界研究もろくにしておらず、準備不足だった。全国紙の最終面接で、「趣味について話してください」と聞かれ、「雑誌を読むこと」と、上に挙げたような話をしたら、「じゃあ出版社に行けばいいじゃない」と言われて、黙り込んだこともある。ああ、そうだよなあと納得しちゃったのだ。私がもっとハングリーだったらうまい切り返しができていただろうが。


 内定を得たときに、「ああ、これでもうスーツ着て面接に行かなくてい」と力が抜け、全てを打ち切って、北海道旅行の計画を立て始めた。

 とかいう話をすると、私より上の世代の「元マスコミ志望者」は目を吊り上げて怒る。新聞社に落ちて丸紅に行った同級生にも怒られた。今の大学4年生は、全国紙と大手商社を同時に受けたりしているのだろうか? 想像がつかない。


 けど、生まれるのが1年遅れていたら、自分の行き先はまったく変わっていたのではないか。というのも、大学4年生の秋、私には今もなお没頭している2つの趣味に出会ったからだ。


 

いつか来た道

 今学期、勤務先は名称が「学院」から「大学」に変わった。ついでに言えば、学部の名称も変わったそうだが、この手の情報は外国人労働者はいつも蚊帳の外だ。おかげで、記念式典の日に教員食堂で出された「アワビ」を食べ損ねた。


 まあ、アワビはこの際いいのだ。名称の変更ってのは、大学にとってはそれなりのお祭りごとらしくキャンパスには観光地にあるようないろんなものが出現している。

 顔だけはめて写真撮るパネルあるよね。名前何と言うのか知らんが、卑弥呼とか、忍者とか、あんなのが学内にちらほらある。もちろんここは中国なので、卑弥呼とか忍者ではなく、少数民族の衣装に顔をはめるようになっているのだが、当然ながら撮ってる人はいない。だってここは大学だもん。


 そして春先に出現した大量の植樹。



 これが3月の光景。ほんとにあちこちに植樹され、歩行スペースが少なくなったなと思っていたら、暖かくなって木には緑が茂り、そして…




 (写真が横になっててすみません)

 まだ何かの工事をするようで、一帯は通行禁止になってしまった。どうするつもりなんだ。


 何となく伝わってくることは…、うちの大学には金がある! 予算がある!

 だからか、一昨日、突然勤務先から昨年11月の出張手当とかで200元もらった。

 200元=約4000円。


 木でなく、人への投資を増やしてほしいなーーーーんてね。