中国レポート -7ページ目

ブラジリアの思い出


 ブラジリアで私が一番興味を持って見ていたのは、オスカーニーマイヤーの建築物でも大統領府でもなく、さもん&くえるだ夫妻+おこさんMちゃん2歳でした。


 独身者はいつまでたっても「家族ぐるみ」の付き合いというと、自分が子どもという立場から脱却できません。

 子無し独身の方々だけでなく、子あり独身の私も、「友達夫婦(家族)と一緒に旅行、レジャー」という機会はゼロに等しいです。

 したがって我々は、よそのお宅を覗き見ることもなく、自分のペース、空気、空間を着々と築き上げ、さらに人と生活において調和できない(私だけかもしれませんが)体質になってしまうのです。


 今回、私はずーっと「夫婦ってこうなんだ」といつも観察していました。

 「食器ってどっちが洗うの?」から始まって、「お風呂はどっちが入れるの?」。あれやこれやあれやこれや。


 この二人は私の気質を良く知っているので、私がここぞとばかり二人の生活に立ち入って質問しても、淡々と答えてくれます。子どもが泣いたときやわがまま言ったときの対応も私とは全然違って、次に生かす機会があるとは思えないんですが、目に焼き付けていました。ついでにくえるださんは、私の世話をあれこれと焼き、下着まで洗ってくれます。


 私は教え子が福岡に5日間の旅程で遊びに来たのに、マンションの鍵渡して半分くらいしか面倒を見ず、中国語のガイドブック渡して「好きなとこ行きな」という感じで自分が南米に飛んでしまいました。後からおかんに、「何であんたはお客さんが来てるのに、自分が旅行行くわけ」と怒られました。だから、気の配り方の落差に愕然としました。


 私のようないろんなものを捨てて、捨てて、これがないと死ぬというものだけ小脇に抱えて走っている人間は、こういう目配り一生懸命やる人に支えられて生きてるんだなあとつくづく思いました。


 私が何事においても無反応なので「ほんとに楽しんでる?」と聞かれましたが、あまりに楽すぎて思考停止になってただけです。


 思考停止になりながらも写真だけは撮ったので、ブラジリアについて一応紹介しときます。



←ブラジリアの街の形。なんだけど一望できない。

←ニーマイヤーがつくった…何だっけ、これ。


←さもんによると、ブラジリアで唯一見るべき場所とのこと。


 では、次の目的地に行ってきます。



 

 

YOUは何しにブラジルへ

 ブラジル行きにあたって、随分多くの人から「仕事ですか?」と聞かれました。仕事かビックイベントでもなけりゃ、そんなとこまで行かないだろう、ってのが世間の感覚なのかもしれません。
 正確には「仕事でブラジル」ではなく、「仕事あるのにブラジル」です。


 15年前、私は自分のホームページを開設していました。日々の日記と、友達リンク、チャットルームに趣味のコーナーというありていのものでしたが、ネットアイドルという言葉の全盛期でもあり、私は写真入りでタウン誌に取り上げられたりしていました。このホームページで知り合ったのが、同じように社会人2、3年目のさもん君です。東京で官僚やってたさもん君が、なぜ大分で働いていた私のHPにたどり着いたのか、本人も覚えていませんでしたが、私たちはその後、新宿アルタ前で合コンをし(当時の参加者で、私以外は全員結婚したようです)、彼が九州某県の実家に帰る年末には、だいたい福岡に立ち寄ってお茶飲んだりランチしたりしていました。


 30歳前後の頃には、「自分の職場は海外赴任があるんだけど、マイナー国の方がチャンスが早く回ってくる」とかで、ヨーロッパ言語の勉強を始め、その次の記憶は、2006年。
 私の仕事周りでそこそこ大きな事案が勃発し、8月の炎天下の中、ある会社の前で延々と張り込みをしていたときに、やはりお盆の帰省中だったさもん氏は、汗だくの私の元まで差し入れだか土産だかを届けてくれました。その時、彼は別れ際に「彼女が待ってるから、じゃ」と去っていったのですが、それから間もなく、mixiに「彼女」を名乗る女性、クエルダさんから友達申請が届きました。
 その後はさもんと同郷だというクエルダさんも含めて会うようになりました。しばらくして彼は、独裁政権国家として名前は知れ渡っているけど実情はよう分からん某国に赴任していき、彼と結婚したクエルダさんもその国に渡りました。
 私たちの交流は今日まで主にネットで続いており2人が帰国した際には、東京で飲みに行ったりしていましたが、今度はブラジルに赴任するというので、「じゃあ、遊びに行くから」と送り出し、今回、本当に遊びに行ったわけです。


  本来、私が仲良かったのは夫のさもんの方で、クエルダさんと初めて会ったときなんか、女としてあなたを警戒してた的なことを言われたわけですが、その後もずっと、交流を制限されることなくここまでやってこれたのは、実にありがたいことだと思っています。結婚を機に疎遠になる男友達って、それなりにいますしね。私は無害よーと叫びたい。いや、そんなに無害とも断言できないけど。

 ただ、2人が住んでいるのは経済都市として日本人になじみ深いサンパウロでも、オリンピックが開かれるリオでもなく、人工的につくられた首都ブラジリア。オーストラリアのキャンベラと並んで、入試で間違えやすい首都ブラジリア。
 本人たちも「ここは何もないけどね」と言うし、私も「ブラジリアは興味ないなあ」(と言えども、南米の都市はほかにほとんど知らない)と思っていたのですが、このブログで知り合った大連のある駐在員さんが、
「ブラジリアですか。オスカー・ニーマイヤーの建築物がたくさん見られるなんてほんと羨ましいです」と何度も言うので、ニーマイヤーだかミッタイマイヤーだか知らないけど、とにかく人がうらやましがるほど良い都市なのかとその気になって本格的にチケットを探し始めたのでした。


 ブラジリアは大変興味深い都市でしたが、今後、私が政府機関の関係者にでもならない限り、再訪することはないでしょう。
 機能的すぎて、機能不全になっているような都市でした。大事なものをしまいこみすぎて、どこにあるのか分からなくなるうちの母のように。
 スポーツセンターという地区には、スポーツセンターしか建てられない。在外公館エリアも在外公館だけが並び、スーパーやレストランは一切ない。たしかにピザの宅配の人は迷うことはないでしょうけど、「ちょっと近場でお茶」なんてことができません。カフェでしか仕事できない病の私にとっては、何とも住みにくい場所です。
 さもんとクエルダのところには3泊することになっていて、「ずっと私の世話をさせるのも悪いから、昼間はぶらぶらしてよう」と思っていたのですが、街歩きをする構造になっておらず、結局ずーっと車で案内してもらいました。
 この後サルバドールに行くつもりだというと、飛行機で2時間かかるところなのにお付き合いいただき、結局5泊も共にしたのでした。


←ブラジリアの空港で、このような紙で出迎えられたw

小さくなる世界


 日本との時差は12時間、サンバの発祥地とも言われるサルバドールという都市にいます。

 サルバドールは日本で言えば京都、中国で言えば西安的な存在でしょうか。ポルトガルがブラジルを植民地化した16世紀、ここに総督府が置かれました。以来、首都がリオに移るまで200年近く首都だった街は今、世界遺産となっています。

 また、ここでは原住民のインディアンだけでなくアフリカから多くの人が連れてこられ、奴隷にされました。今でも人口の80%がアフリカ系だそうです。


 広い広いブラジルを見て、一番行ってみたいと思ったのがここでした。

 


 市中心部です。






 街には個性的な教会がたくさんあり、4カ所訪問しました。







 宿泊したのはビーチ地区。



 部屋からの眺め



  今は、南十字星を探しています。

 

  そしてサルバドールの空港に着いた時、隣に立っていた人の着信音が聞き覚えのあるものでした。

  私は今、iphoneとサムスン、華為と、3台の携帯を持っていて、たぶんそのどれかと同じメロディ。そういえば、着信音が鳴って「私のかな?」とスマホをチェックすることが最近は多い。


 今回は途中から一人旅なので、日本から持ってきた自撮り棒。

 私自身、1月に日本に戻って存在を知り、わざわざビッグカメラで買ってきたのですが、地球の裏側でも驚くほど多くの人たちが使ってました。

「東洋人が変な棒持ってると思われるかな」という心配は、完全に杞憂でした。市場ではむき出しの自撮り棒が売られていました。


 一般消費者向けのエレクトロニクス商品は、今後、「主に国内を市場とするメーカー」が一層淘汰され、片手で数えられるほどのグローバルメーカーに集約されていくのかもしれません。スマホだけでなく、パソコンも、テレビも。そこに日本の企業は何社食い込めるのでしょうか。


 そして、流行が世界の裏側まで届くスピードは、私たちが思っているよりもずっと早いということです。


 商品や流行だけでなく、「人材」の国境もなくなっていくとしたら、それはちょっと怖いことだと感じました。

 


 




④ユニクロを着ない人を日本人とは呼ばない




←傍目には合コンにしか見えないユニクロ会。


 催眠術師のAさんは無論、催眠術が本業であるわけではないが、数か月前にFBの投稿で勉強していると書いていたため、実際にやってみてもらった。
 Aさんが勉強している催眠術は、相手の無意識を利用するものだから、「かけられる人の無意識が協力的」であることが前提条件だという。
 この場ではみながほぼ初対面だったにもかかわらず、「(女性の)Mさんが一番かかりやすいのではないか」という見解で一致し(要するに一番素直な感じがした)、結果、試してみたところ、Mさんは

・左腕が右腕より長くなった
・飲んでいる水がピーチ味になった



初対面とは思えないあうんの呼吸を見せるAさんとMさん。

 AさんとMさんはグルじゃないかと思わされるような仕事師ぶりだったが、全員ユニクロという仲間感も、もしかしたらMさんの無意識にプラスに働いた…かもしれない。


 19時から始まったユニクロ会は22時を過ぎても話題が尽きず、第二回の開催計画が誰からともなく提案された。

「今度はハードルを上げて、レストランヒラマツでやりませんか」
「それより、YOU TUBEにアップする動画を撮影しましょう」
「場所はどうするんですか」
「あ、うちのオフィス使ってください」
「もう次回は、食事は軽くでいいですね。むしろワークショップ形式にしませんか」
「こんな有意義な意見がたくさん出てるのに、なぜここにユニクロ社員がいないんだ」
「誰かつれてこーい」
「ラポール万歳」
「ラポール最高」
(議事録より)





 最後はグランドハイアットのスタッフに記念写真を撮ってもらい、解散しようとすると、若いI君が
「これお土産です。部屋に置いとくと何かと便利ですよ」
と私に布きれを手渡した。布きれじゃない。トランクスやん。ユニクロのトランクスやん。
「新品だよね」
「いや、8年ものです」
「ぎゃーーーーー☆○×」



パンツを近づけられて本気で嫌がるMさん


 ユニクロと距離を置こうとしていた私の目論見は、ユニクロが差し向けた(と思われる)人々の布教活動によって、あっさりと崩れ去ったのだった。

 おまけ
 深い満足感とともに自宅に帰ってFBを開くと、東京で一人ユニクロ会をしていた友人が、写真を送ってくれてました。



このかっこうで通勤したそうで、次回はぜひ東京支部長として、分会開いてください。この取り組みがユニクロ公認となり、ユニクロから懇親会の一部助成が出る日をめざし、共に切磋琢磨していきましょう。


おわり。

③ユニクロ旗艦店に侍集う

 東京の人たちは結局、各々全身ユニクロで固めて「一人ユニクロ会」をすることで落ち着いたようだが、言いだしっぺが「この日は昇任試験なので、ユニクロは下着だけで勘弁してください」とひよってしまった。

 福岡組は19時にキャナルシティのユニクロ旗艦店で待ち合わせと決めていたので、19時前から「今、ユニクロに向かってます」とメッセージが入りだす。

 が、旗艦店だけあり店内は異様に広く、さらにお互い顔を知らないため、簡単に出会えない。そして時間ぴったりに到着した私は、みんなを探すよりも先に大型店限定品に気を取られ、試着してしまう。

 まず、数日前に知り合ったばかりのマッサージ師さんと会えた。しばらくすると正面から、「今日は仕事だったので、わざわざ着替えてきました」と、30歳すぎの男性が歩いて来た。

 ほかの参加者も集結し、エスカレーター前でたむろしていると、上から3年前に一度会ったっきりの男性が下りてきた。

 お互い

「えー、ユニクロにそんな服売ってましたっけ」

「とても全身ユニクロとは思えませんね」などと盛り上がるが、

「全身ユニクロに見えない」ことが褒め言葉なんて、ユニクロもまだまだだなと思ったりもする。

 1人は遅れてくると連絡を受けたため、6人で向かった先は、グランドハイアットのレストラン。

 オーダービュッフェのメニューに載っている料理を一通り注文した後、自己紹介が始まった。



 自己紹介なのに「ウールのヒートテックを出してほしい」と要望が出たり、

男「ヒートテックタイツは静電気のせいで、すね毛が抜けるのが難点」

女「だったら、脱毛の手間が省けるかも」

男「いや、まだらに抜けるから汚いですよ」

と、みなユニクロから離れられない。

 しまいには、「私は、ユニクロの看板が人の形だったころから着てました」などと、付き合いの長さを張り合ってしまう。

 仕事で遅れていた女性も8時前に到着し、「7人の侍~ユニクロ版」が一同に集まった。大ざっぱに分けると、男性はユニビズ(仕事に着て行けるユニクロ)2人、ユニカジ2人に分かれ、女性はスカート2名、パンツ1名だった。

 30歳そこそこから50代まで、本当にユニクロ以外に接点がないのに話が弾む。参加者の催眠術師の男性が、

「これは、ラポールというんです」と説明してくれた(ラポールについてはぐぐってください)


②催行のめど立つ~ユニクロ会


 そんな文章をFBに投稿したら、想像通りいち早く投稿したのは、東京と大連のみなさんだった。

「東京でやってくれたら行きます」

「大連開催ならぜひ」

 私が今福岡におり、半分は他人事だから面白がってるし、手を挙げてるでしょ、あなたがた。


 そんな中でも、ユニクロ談義は少しずつ盛り上がり、お互い面識のない人たちが「今、80%ユニクロです」「集合場所は旗艦店ですかね」と独り言とも交流ともしれないコメントをしているのを見て、私は「最低でも4人は集まるだろう」とめどをつけて日程調整に入った。

 参加の意向を示した福岡の人々、たとえその意向がどんなに淡くても気づかないふりをしてグループチャットに招き、2月4日でロックオン。それぞれほとんど面識がなく、私が会ったことのない人すらいた。


「3年前にシングル問題研究会(シン研)を開催したときには、ほどよくつながっている独身集団ということで、大変盛り上がったが、今回のユニクロというテーマ設定は果たして正しいのか…」



 一抹の不安をぬぐえないまま、前週の土曜日に、知り合いが主催する街歩きツアーに参加してたら、歩きながら何となく話していた男の人が、上着を脱ぐなりユニクロのウルトラライトダウンを着ていることに気付いた。

「突然ですが、来週ユニクロ会するんですが。来ませんか?」

「来週ですか? 20時すぎなら。てか、いいんですか」

「もう、今のかっこうで十分参加資格あるんで、ぜひありのままでお越しください」


 そうやって、福岡のメンバーを固めつつ、東京はほんとにやるのか気になりながらその日が近づいた。





「ユニクロ会の開催を検討しています。あなたはできますか、全身ユニなコーディネート」

① 〇島ユニクロやめるってよ

 私の住む大連・開発区に11月中旬ユニクロができた。開発区の日本人は年が明けても余韻冷めやらず、忘年会、新年会でユニクロが話題にのぼらない日はなかった。

 だが、私は年明けに同僚から「日本語を教える先生は、学生に夢を見せるためにアッパーな暮らしをしなければならない(もしくはそのように見せないといけない)」と言われ、この冬はユニクロから離れようと心に決めた。


 そんなある日、内輪の飲み会で、ユニクロのコアターゲット層と思われるおじさんAが「俺、ユニクロ卒業しようと思うんですよ」と言いだした。

 理由は忘れたが、当たり前のようにユニクロを身に着けている自分に対し、「これではまずい」と思ったらしい。

「だいたい、ユニクロ行くと、買いに来ている人がみなユニクロ着てるじゃん」


 ここにもユニクロからの卒業を見計らっている同志がいるんだ、と共感したのもつかの間、同席していた50代男性、N氏が「いや、ユニクロは素晴らしいですよ。自分はいかにユニクロに見えないコーディネートをするか、日々努力しています」とユニクロ擁護を始めた。


 ユニクロのことなら皆、一言は語れる。それぞれが持論を展開しているとき、40代男性のOさんがふとつぶやいた。


「みなさん、ユニクロ持ってるんですね。僕、買ったことも着たこともないです」


 一同、話を止めて視線を一斉にOさんにそそぐ。

「まじすか?」

「奥さんが買ってきたのを、ユニクロと知らずに着てるんじゃないですか」

「タグ外されてるんじゃないですか」

「じゃあ僕が2枚セットのトランクス買ったときに1枚あげるから、一度トライしてみてよ」


 なんにせよこのご時世、ユニクロバージンというのは極めて貴重なのではないか。

「40overでユニクロを着たことない人の比率ってどれくらいなんでしょうかね」

「メディアでアンケート取る価値ありますよね」


 この会でのユニクロ談義はこんなところで終わったのだが、この後、全身ユニクロでファッションショーをするユニクロ会を開こうという話が誰からともなく持ちあがり、どれくらいの賛同者がいるものかととりあえず手っ取り早い手段としてFBで投稿してみた。


続く

幸せになりたい

 先日、ユニクロ友の会なるものを開きまして、その内容は後日にでも書きますが、参加者の中に催眠術師がいました。別の参加者が被験者となり、面白いようにかかりまして、いいもの見せてもらいました。


 催眠術のキーワードは「暗示」だそうで、それを聞いてあることを思い出しました。

 私は昨年、日本語関連では最難関の日本語一級試験クラスを開講したのですが、最前列に座っている学生は全員合格し、合格率は後ろに行くほど下がりました。

 じゃあ最前列に座っている人たちが優秀なのかと言えば、必ずしもそうではなく、席の近さと私への「信頼度」「好き度」が比例しているということです。


 試験勉強は単純です。決められた範囲の知識を、いかにこぼさず網羅していくかです。

 ただし、言うは易し、行うは難し。少なくない人が途中で挫折したり、色んな方法、テキストに手を出してどれも中途半端になってしまいます。

 私の役割は、学生たちを目標に向かってわき目ふらずに走らせること(期限を決めたテスト対策ですから)。その為には何よりもまず、「さなぢ先生の走っている方向は正しく、さなぢ先生に着いて走れば、必ずゴールに到達できる」と信じてもらうことが重要なのです。


 「教え方が上手」という言葉がありますが、それは「暗示をかけるのが上手」と非常に意味が近いようにも感じます。

 勉強するのもテストを受けるのも学生たちですから。


 催眠術も、その本質は「相手の無意識を引き出す」らしいです。だから、かける人よりかかる人がカギとか。

 自己暗示もしかり。「幸せになりたい」と思い続けててはだめだそうです。それは無意識に「自分は今幸せじゃない」と言い聞かせているのと同義ということです。

 「私は幸せ」もしくは「私は幸せになる」が正しいそうです。


 知り合いの投資家が、「起業が成功するには運が必要だ。運がいいということは、運が良くなる生き方をしていることだ」と言ってて、これも催眠術に近いなと思いました。

 レベルは小さいけど、私の口癖「何とかなるよ」も同義かもしれませんね。


 というわけで、ユニクロ会は途中から催眠大会になり、私も帰宅後「催眠術」とググろうとしたら、関連ワードに「催眠 口説く」「催眠 ナンパ」と出てきました。


 みんなやっぱりそこなんですね。


 


 

 

貧乳がマンモグラフィーをやったら(下)

 私は採血がほんとに苦手で、20代前半までは毎回倒れてました。最近はそんなこともないのですが、できれば注射は避けたい。緊張は血を採る人にも伝わるみたいで、問診段階で「大丈夫ですか?」と聞かれることもあります。


 とにかく、健康診断は自分にとってかなりプレッシャーを感じる場なんですよね。


 今回も採血は横になってしまいた。気分が落ち着くまで寝てたら、年配の女性が来て「ついでに心電図も撮りましょう」と、私のタイツをずるずる引き下げ、器具を装着して、一気に終わらせてくれましたが。


 そしてマンモグラフィー。乳房を上下から板で挟んで、ぺちゃんこにして撮影する。どんだけ痛いか、という話もだいぶ聞いていたけど、私が一番気になっていたのは、


 乳房を挟めない人はどうするの?


 物理的に無理なんじゃないかという思いで、これまで一度も受けたことがなかったのですが、年末に、同じくらい細い人から

「私でもできました。あの方たちはプロですから、何とか集めてくれます」

「男性でもできるんだから、さなぢさんも大丈夫」


と妙な激励を受けて、自分を奮い立たせてみたのでした。


 実際は、あまり大丈夫じゃありませんでした。

 まず、脱衣スペースの貼り紙に、「ありえない圧力がかかります。豊胸している人は、中のものが破裂する恐れがあります」と書いてあるのを見て、恐怖に襲われます。

 だいたい、「ありえない圧力」って表記なんですか。日本語にはもっと適切な形容詞があると思うんですが。たしかにすごさは伝わりますよ。伝わりますけど…。


 技師さんは何度か「うーん、難しいな」とつぶやく。私も謝りそうになるが、謝ったらこの人は返す言葉に困るだろうと思って黙っている。

「もしかして、マンモ初めてですか」

「はい」

「そうですか~~~」


 乳房がないことに加え、がちがちに緊張していることで、さらに難航している模様。


「もう、先に横から撮りましょう」と技師さんは機械を横にした。

 横から集めた方がまだやりやすいらしく(確かにそうですね)、こっちは何とか撮影に成功。その後正面からやりましたが、


 痛いのも痛いんですけど、それは何とかなりました。「いたっ」と声を上げたら緩めてくれるし、足つぼぐりぐりやられるよりましかも。

 それよりも、検査はほんとにできてるんでしょうか。「この辺でいいや」という心の声が聞こえたような(被害妄想かもしれませんが)。

「手際が悪くてすみません」と何度か謝られたが、こっちも

「挟むものなくてすみません」「お手間とらせてすみません」な心境だ。


 あれですよね、超薄毛の人に「パーマかけてください」と言われた美容師さんとかも同じ気持ちかもしれませんね。


 夜、同世代の男性とラーメンを食べた際に、服の上から胸を触らせてもらったら、明らかに私よりありました。

「男性でもマンモはできる」との言葉は、

「ビール大好きな中年男性の胸なら、マンモはできる」と正確に表現してほしいものです。

貧乳がマンモグラフィーをやったら(上)

 この問題は、私もずいぶん情報収集をしたので、あえて検索に引っかかりやすいタイトルにしてます。そしてマンモ以外の記載も多いので、お食事中の方は読まないでください。


 会社員を辞めて縁遠くなったもの、それは健康診断。

 私が中学時時代に移り住んだ実家マンションは、19世帯のうち5世帯に同級生がいたのですが、うち2世帯のお母さんは、60歳前にガンで亡くなりました。その頃から「会社で健康診断を受ける機会がない人は、病気の発見が遅れるのではないか」と思っていたのと、同世代にがんにかかる人がぽつぽつ出てきたので、思い立って、自治体のミニドックに行ってきました。


 会社員時代に受けたことがなかったものは、大腸がん検査。月曜日の検診なのに、「採便キット」が郵送されてきたのが土曜日夕方(私の申し込みも遅かったのですが)で、「2日に分けて採ってください」の説明書きに「無理じゃないか」と不安を感じました。

 日曜日に実家で読んでいると、おとうまんに「やるなら自分の家でやってくれ」と心無い言葉を投げかけられ、「別にトイレでして、流すんだから迷惑かけんでしょ」と言い返す。言い返しながらも便意は来ない。おとうまんがあまりにも拒否感を示すので、息子にも伝染し、「自分の家でう●こしてこい」キャンペーンが始まり、心の中で涙しました。


 結局、検査の日までに1回しか採れず、ブースで担当者にその旨告げたら

「やはり2日分あった方が、正確に検査できるので…今できませんか?」と言われました…。

「朝ごはんも食べてないし、そんなに器用ではないので」

「それはそうですよね。じゃあ、私11時までここにいますので、それまでにできたらということでお願いします」(現在10時)

 これからバリウムも飲むのに、そんなにうまくはいかんだろうと思いながら、返却された採便キット1回分受け取りました。



続く

 あれ、マンモに話がいかないまま続いてしまいます。 お昼時にすみません!