オラはモノ知らず
12年前の7月、産休に入った私が最初にやったのは引っ越しだった。
当時住んでいた借り上げ社宅は、エレベーターのない五階建てで、私は五階に住んでいた。お風呂とトイが一体化しているユニットバスだった。会社からの家賃補助がその月で切れることもあり、出産前にエレベーターがあって、お風呂とトイレが別々の部屋に移り住むことにしたのだ。
私はたいがいのことは一人でできる。する。が、それが裏目に出ることもしょっちゅうある。
この時は、産休に入って時間があるんだから、と業者を使わずに引っ越しをすることにした。8月20日が予定日で、7月10日あたりから荷造りを始め、その一週間後に搬出、搬入作業を決行した。
トラックを借りて、手伝いはおとうまん一人だけ。お腹の子供はだいぶ大きくなっているというのに、エレベーターのない5階から、さらにベッドや冷蔵庫を運び出しているとき、口の中に違和感を感じた。
奥歯が欠けた。
そういえば、妊娠中ってお腹の子にカルシウムを取られて歯が弱くなるんだっけ、と思い出したがもう遅い。
ただ、幸か不幸か引っ越し先の階下に、歯科医がテナントで入っていた。
さすがに歯が欠けた状態で分娩するのは不安だったため、荷物の搬入を終わると、私はエレベーターで下に降り、歯医者のドアを開けた。
歯科医は真っ先に出産予定日を聞き、「レントゲン撮っても大丈夫なのかな」「麻酔していいのかな」と心配し、私のかかりつけの産婦人科に電話し、おそるおそる、かつタイムリミットが迫る治療が始まった。
奥歯に詰め物が入ったのが8月4日。そして私は6日に破水し、予定より12日早い8日に息子を産んだ。
今年6月、あのとき詰めた詰め物が中国でぽろっと取れ、今日、12年ぶりに同じ歯科医を訪れた。
12年ぶりなのに、診察室に入った途端、「あー、名前見たときそうじゃないかと思ったんだけど」と言われた。
私にとっても12年ぶりの歯医者通い。詰め物を取ってもらうつもりが新たな虫歯が見つかり、そのうえ
「親不知(おやしらず)が4本全部生えてますね。上はとりあえず抜いた方がいいんですね」と言われ、
「え? これ親不知なんですか?」と聞き返してしまった。
親不知にまつわるエピソードは色んな人から何度も聞いたというのに、自分に生えているとは全く自覚がなかった。
長く、痛い夏になりそうです。
➁個人旅行者はなぜ新宿御苑が好きなのか(上)
インバウンドに強い関心を持つ知人が、「トリップアドバイザー知ってるか? あのサイトで東京の観光地人気ナンバーワンだったのが新宿御苑なんだよ。なんで???」と言うので、私は「あなたは、実際の旅行計画を立てる際に、トリップアドバイザー使ったことある?」と質問した。
答えはもちろん、ノー。彼は、インバウンドの周辺情報を調べる過程でトリップアドバイザーを知り、のぞいたに過ぎない。
実は私は最近、旅行サイト「トラベルコちゃん 」から仕事をいただいた。下調べのために数人を訪問し、「トラベルコちゃん知ってますか?」と聞くと、
「ああ、一時期使ってました」などとはっきり知っている人…3割
「名前は聞いたことあるけど、何やってるんだっけ」…4割
まったく知らない人…3割
くらいだった。母数少ないけど。
トラベルコちゃんとトリップアドバイザーはどちらも旅行情報の比較・口コミサイトで、トリップアドバイザーは世界規模、トラベルコちゃんんは日本での展開というのが大きな違いだ。
トラベルコちゃんをよく使っていた、と答えたのは、遠距離恋愛をしていた知人だった。彼女の元に通うための安いチケットを探すのに、利用していたとのこと。
私も同じだ。昔は東京に行くときに、直近ではブラジルに行くために利用した。だから、ここから仕事のお話をいただいたとき、すぐに状況が呑み込めたし、やってみようかなと思った。
一方、「トラベルコちゃんをまったく知らない」のは、自分で航空券や海外のホテルを取ることがほとんどない層だ。
トラベルコちゃんでブラジル行きのチケットを検索すると100くらい商品がヒットするし、トリップアドバイザーでホテルを検索しても、楽天トラベル以上の件数がヒットする。
なので出張やツアーで移動する人にとっては非効率極まりないサイトと言える。
個人旅行者御用達のトリップアドバイザーやトラベルコちゃん。そして個人旅行者の特徴は、「同じルートを回るにしても、ツアー客より日数が長い」点にある。
だいたい、アジアなら3、4日、ヨーロッパ、北米なら7,8日まではツアーの方が圧倒的に安い。
私は2月にブラジルに半月超行った。首都では友人宅に3泊させてもらったし、国内移動はすべて現地の航空会社のサイトでチケットを予約し、かなり安く調達したが、それでもトータルの費用は50万円を超えた。値段だけ見ればツアーに参加した方がより安く、効率的に多くのスポットを見ることができる。片道30時間かかる南米クラスだと、3週間以上滞在しないと、割安感は生じないし、ほかの地域でもツアー旅行の倍くらいの日程でないと、価格的には割高になることが多い(ソウルなど調べてみると、よくわかると思います)
つまりオリジナルな旅をするために、あえて非効率な選択をするのが個人旅行者と言える。つまり、彼ら(私たち)は、いかにもいろんな仕掛けをして、観光客を歓迎しているようなスポットをむしろ敬遠する傾向がある。
続く
爆買いバブル(1)
- 今回、日本に戻ってきて「ああ!」とつながったことが二つある。キーワードは「owned media」と「インバウンド」もしくは「爆買い」。今回は、後者にフォーカスして、思うことを徒然なるままにつづっていきます。
この数か月、訪日中国人旅行者関連の問い合わせ、仕事依頼が激増していて、爆買いの余波が自分のところまで到達しているのを実感するのだが、以前も書いた通り、私は新聞記者をしていた2010年に、中国出航のクルーズ船をテーマにした連載記事を担当した。
当時からかれこれ5年以上インバウンドや中国人旅行客をウォッチしてきているだけでなく、中国で中国人に囲まれて生活しているので、爆買い外国人をターゲットにしたビジネスには、いくつも言いたいことがある。
まず気になるのは、身の回りでインバウンドという言葉を聞かない日はないが、それどころか2日に1回は、「インバウンドとわが社を結びつけるビジネスプランはないか」とか、「○○のような商品はどうか」と聞かれるが、そういう旗振り役をしている人に、旅行好き、特に個人旅行好きをあまり見かけないということだ。
個人旅行をあまりせず、外国人(中国人)の価値観を直接的には知らない人が、間接的に得た情報や想像、あるいは願望をもとに、個人旅行者向けのビジネスプランを作っていることがあまりにも多い。
私は先週、東京に行った際に、ビジネスホテルに3泊、外国人客が9割のゲストハウスに3泊、ユースホステルに1泊した。
「今、ゲストハウスに泊まってて。同室は黒人女性だった」とこちらの友人に話すと、「えーーー。大丈夫?」と驚かれたり、「金銭的に大変なの?」と聞かれたりするけど、欧米の長期旅行者は割とそういう宿が好きで、家族連れがごろごろいる。
ってか、本当の個人旅行の場合、ゲストハウス、ユースホステルの方が豊富な日帰りプランを用意していて、パンフレットや資料もそろっているし、洗濯機もあるので、私はどこに旅をしても、数日に1泊は挟むようにしている。
ゲストハウスに泊まっている私を「大丈夫なの? 危なくないの?」という人が、インバウンド事業を…とか言ってるのは、一体どういうことよ、と思ってしまう。
外国人旅行者にはまずツアーと個人旅行があって、個人旅行も大雑把に分けても、カテゴリーが3、4つくらいに分類される。例えば①お金と時間がありあまっているから、個人旅行を選択しているけど、行き先はツアーと変わらない層、②リピーターさんだったり、語学堪能だったりして、個人旅行の方が動きやすい層、③長期旅行のため、個人旅行しか選択肢がない層-ってな感じで。
「○○○みたいな企画はどう?」と聞かれたときに、「どういった層を想定してるんですか?」と質問すると、すごくぼんやりしていることが多い。
断続的に続く
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スカイツリーと3人の男
東京へは遊び? 仕事? と何度か聞かれましたが、今の私は、大学で教える以外はファイルを受け取って送り返す仕事が中心なので、寝る場所さえあれば、どこにいても同じなのです。
とはいえ、宿を転々とする生活には限界があり、2年ぶりの滞在は1週間。パソコンを持ってうろうろしながら、人と会っていました。
「東京は全然分からない、どころかほとんど外国人だから」とアピールして、食事場所はほぼ他人任せでしたが、なんと絶景ポイントから東京スカイツリーを3度も眺めさせていただきました。
月曜日↑日本橋のマンダリンオリエンタル東京37階の中華料理店(嫌がらせ?)
(23時に消灯することを確認)
火曜日↑品川出発の屋形船クルーズにて。
(20時にタワーの色が変わるのを確認)
日曜日↑飛行機の操縦が趣味だという友人のフライトにて。
そうなんです。スカイツリーは陸、川、空のどこからでもきれいに見えるのです。
火曜日の屋形船は、スカイツリーの近くで15分ほど停泊し、また隅田川を引き返していくのですが、同乗していた友人と、
「この屋形船、スカイツリー無かったころはどんなルートだったのかね。何が目玉だったのかね」
と話しました。そもそも、これだけ強気の価格(1万円)で今ほど人が呼べたのだろうかと。ちなみに、私たちが乗った日は満席でした。
日曜日も同じことを思いました。その日の午後に九州に帰る私は、あまり時間がなかったため、友人は「じゃ、近場でスカイツリーでも行こうか」と言ったのです。
スカイツリーがなかったら、どこに行ってたのでしょうか。
そう考えながら、月曜日に行ったマンダリンオリエンタル東京を調べてみると、そこは2005年の開業なんですね。
スカイツリーは2012年開業。もちろん建築計画はその前からあったわけですが、マンダリンが土地を取得したとき、窓から見える場所にスカイツリーができることは分かってなかったでしょうし、目の前ににょきっとあれが生えたのはラッキーだったのかもしれません(詳細は知りませんが)。でも、あれがあるのとないのでは、全然インパクトが違います。
私たちにとって、「タワー」は長い間のぼるものでした。けどスカイツリーは、のぼるだけでなく、見るもの、撮るものなんですね。
例えば屋形船から東京タワーも見えたのですが、夜に写真を撮ろうとすると、ほかのビルに埋没してあまりきれいじゃないのです。
私の地元の福岡タワーも、最近は季節季節のライトアップをしてとてもきれいなのですが、周囲に高層ビルがたくさんあるので、徒歩5分くらいの距離まで近づかないと、見えません。
私の実家は、福岡タワーまで徒歩20分の高台にあるのですが、それでもタワーは先っぽしか見えないのです。
福岡タワーを眺めながら食事ができるホテルは、たぶん1つか2つしかないと思います。
ああ、だからスカイツリーは、高い建物が少ない下町にあるのか(wiki見ると、電波が受信しやすいようにとありますが)。周りに高層ビルが少ない地域にどーんとあるから、どこからでも見えるんだ…。
たしかにその高さもすごいんだけど、ポジショニングの勝利だよな、としみじみ思いました。
週に3回もスカイツリーを眺めた私は、まったく飽きることなく、見る場所によって表情の違うその姿を堪能したわけですが、
自分もそうやって、引き出しをいくつか持ってて、そして自分を引き立てるポジションを探さなければなと、妙に気持ちを新たにしたのです。
会うのが怖い人
4年ほど前に、ソーシャルゲームにはまってしまい、2~3年ほど戦争に明け暮れてたわけですが、経験から学んだこと。強いプレーヤーは①社畜 ➁社長 ③ニートのどれか。
そのゲームは同盟をつくって城を落としたり戦争するため、個人の力だけでなくチームワークが大切。
①社畜は責任感が半端ないので、ゲーム中は寝る時も携帯を手放しません。与えられた任務は、勤務中にトイレの個室からでも遂行する。
➁社長には時間と金がある。最近のソーシャルゲームは、手間暇かかることはたいてい課金で解決できる。
そして社畜も社長も勝てないのが、24時間をすべてゲームにささげることのできるニート。時は金なりというけど、そのとき、時>金だと悟りました。
ゲームの同盟でも一緒に戦っているうちに、個人情報はだんだん明らかになってくるわけで(戦争が起きると、スカイプで会議したり、緊急連絡先を交換したりする)、火曜日は同じ同盟の人と感動の対面を果たすことができた。
初対面ではあるが、戦場を共にした仲間。2人で屋形船に乗って隅田川をクルージングして、五反田のカラオケで二時間。戦場を共にした仲間なので、「17時半に到着します」じゃなくて、「17時半に着弾します」とメッセージを送る。
って話を昨日のランチの相手にすると、
「ネットで知り合った人と会って、怖くないの?」と言われた。
心の中で
「あんたと会う方が怖いわ!」と3回くらい叫んだ。
目の前の男性は、私が若いころに3年間付き合っていた、いわば元カレ!である。
ある日、家に行ったら、クローゼットの中に女性を隠してて、警察まで呼んでしまった元カレ!
まあ、スタバで待ち合わせしたとき、ガラス越しに目が合ってすぐ分かったくらい、外見上は変化がなくて一安心。
初対面の相手にはそう期待しないけど、久しぶりの再会ってのは、変貌リスクが大きい。25歳から40歳だと、別人みたいな人、私の周りにもたくさんいるし。
クローゼットの件は、昼ごはん食べて駅前で別れて、トイレ探してるときにふと思い出したので、どんな衝撃的なことも風化するってことです。相手の女性の名前は、今もフルネームで思い出せるけど。
人間は忘れます。今、人生がつらいみなさん。きっと大丈夫です。
今夜は大学のクラスの同窓会なんですが、名簿見てたら思い出せない人がいます。
どうでもいいことばかり覚えてて、忘れてはいけないことは記憶から抹消される私の脳のメモリは何とかすべきですけどね。
東京へはもう何度も行きましたね
幼少の頃、埼玉に1年間住んでいたのを別にすれば、私にとって初めての上京は、駿台の夏期講習でした。
御茶ノ水のビジネスホテルに一週間泊まり、一人で外にご飯を食べに行き、見知らぬ地で地下鉄を乗継ぎ、短い滞在ながらも友達ができ。ちょっと歩いたら神保町の古書街でした。
今回は大連から東京に来て、最初の2泊は日本橋に宿を取り、昨日から神保町の外国人宿にいます。
それだけで感傷です。
日曜日の夜に到着し、
月曜日
前の勤務先の後輩と昼ごはんを食べ、夏休みに受けた仕事の発注先の韓国人社長と打ち合わせをし、mixiで何年も前に知り合ったテキ屋の女性と晩ごはんを食べ、 学生時代の憧れのお兄さんと夜食を食べ、
火曜日
高校時代に通っていた河合塾の友人と昼ごはんを食べ、4年前にオンラインゲームで知り合い、一緒に戦った人と屋形船で晩ご飯を食べ、
水曜日
高校1年生のときの同級生と昼ごはんを食べ、今の勤務先の同僚とお茶をして、mixiで知り合った5人で会い
木曜日
新入社員時代の恋人と昼ご飯を食べ、大連で知り合った元駐在員と晩ご飯を食べ、
金曜日
大連で知り合い、5月末に帰国した元駐在員と昼ごはんを食べ、大学の語学のクラスメートたちと晩ごはんを食べ
土曜日
中学校の同級生と昼ごはんを食べ、大学のサークル仲間と20年ぶりに晩ご飯を食べ
日曜日
会社をやめた後に福岡で知り合った友人と遊びに行く
過去から現在まで、たくさんの道の交差点に立っているような気持ちです。
右見て左見て前見て後ろ見て。
40歳ですから。
30代のころは振り返る余裕すらなかっし、集まることも難しかったけど、落として来たものを取りに戻ったり、過去に行って未来を探すことが
できるようになった気がします。
ゲーム翻訳の市場性
「任務完成」を日本語に訳すと? ってのは中国語をかじったことのない日本人でも答えられると思いますが、これがゲームで出てきた場合は…
クエストクリア
です。
中国人の場合、特に若者はアニメやゲームで日本に関心を持つケースが多いので、日本のゲームやアニメを中国語翻訳する人材はごまんといます。
でもその逆となると、ほとんどいないのではないかと思います。
周囲を見ても、韓国語はドラマや文化が学習動機という人が多いですが、中国語となると圧倒的にビジネス目的。勉強してるのはおっさんか就職活動の泊付けをしたい大学生ばかりです。
ゲームユーザーと中国語学習者の重なりがすごく薄いんですね。
一方で、スマホの普及でによって、面白いゲームは国を超えて世界中に広がるようになりました。ゾンビと植物がバトルするあれなんて代表例です。
仕事は増えるけど、この分野の翻訳者は今後も増えないはず、と目星をつけて、たまに案件が出るとノウハウ蓄積のために応募しています。
ただ、一旦受注するとほんとにしんどいです。発注側もラッキーとばかりに、何万字という業務をぽんとおろしてきます。
私はゲーム好きですが、中国のゲームはほとんどやったことがないので 単語だけを見ても分からないものばかり。ゲーム好きの教え子に聞いて、その子が「××〇〇××」と説明し、決められた字数に収める。
夕方は「挂机」という単語と格闘。教え子が、「いろいろケースがあるけど、ログインしてるのに何もやらないことです」というような説明をしたので、「あ、放置だ」と気づきました。
この仕事は8月開始の予定が、昨日、「さっそくだけど10日までにお願いしたいものがある」と言われ、今朝から朝4時半起きでやってます。
時給換算すると500円くらいです。2年前にニュース翻訳を始めたときも、最初はそんなもんだったので(今は1時間かからない分量が5時間かかってた)、数こなすうちに効率上がってくるのは分かっていますが、私の「市場は大きくなるけど、翻訳者は増えない」という読みが外れたら、今苦労する意味もあまりない。
ある人が「起業とは、未来にはって(賭けて)いくことだ」と言ってましたけど、自分のできそうなことと、大きくなりそうな分野を、ある時は理論的に、あるときは勘で絞り込んで、持ってる資源を投入する。
このゲームはRPGですが、私もRPGの主人公のようです。酒場行って仲間探さないと。その前に晩御飯だ。ホイミ!
仕事あれこれ
今週いっぱいで大学教員の仕事は一区切り。論文関係の資料も昼に留学先の教授に送り、ほっとしてたら、国際電話がかかってきました。
私のスケジュールを知ってるはずはないだろうけど、スポット的に
①大連の名所、グルメ、ホテルを紹介する記事30本
②ゲーム翻訳
という仕事が入ってきて、夏休みもフル稼働が確定しました。来週一週間滞在する東京では、ユースホステルの相部屋を予約してたんですが(個室に泊まると引きこもってしまう)、遊んでいる場合ではなくなって、個室に変えようか考えています。が、それも今日には固めないといけない。
地元以外からいただく仕事は、単価にかかわらずなるだけお受けするようにしています。私の人となりを知らない人や会社の方が、「あ、私、こんなこともできるんだ」と自分自身が発見できるような課題をくれるから。
でも、やってみた結果、「やっぱり向いてない」と思うことも増えてきました。
①の大連の観光スポットの紹介記事は、旅行者向けなのである程度定番を押さえなければならない。けど5,6年住んでいると自分の行動範囲も固定化して、2年前にオープンしたウォーターフロントも、昨日慌てて見に行ってきました。
心の負担になってます。
昨日、そこに立ち寄る前に旧知のホテルのマネージャーにこの話をしたところ、
「大連は食べ歩きブログを書いている人がいくらでもいるのに、なぜさなぢさんに振られるんでしょうね」と彼にも聞かれました。ほんとね、自腹で食べ歩いて、ブログにアップしている人こそ、やるべきタスクです。趣味と実益を兼ねて。
とりあえず急な仕事が降ってきても先約は変えられないので、もうすぐ大連を去る教え子ちゃんと食事に行ってきます。
完・五年後はどこで、何を
先日降ってきたスポット業務の報酬が、小6の息子の夏期講習代とほぼ同額だった。
今の私は、業務単位で報酬をもらって、その積み重ねが「月収」になる。大学教員の仕事は月給ではあるが、1日の拘束時間が2時間そこらなので、報酬体系としては非常勤の「コマ換算」に近いのではないかと思っている。
翻訳も、ニュースは1日〇本×1か月という計算。個人的に来た依頼は、先に文書を見せてもらって、見積もりを出す。
こういう働き方に転じて、金銭感覚が多少変わった。例えば息子の夏期講習代も、「私の労働これくらい分」という換算になる。決められた収入に対して予算を立てるのではなく、「これをするには、あとこれくらい稼がないといけない」という感覚で、だから今の私は、急に降ってくる面白い、新しい、あるいは割のいい仕事に対応できるように、決まった仕事の上限を1日4時間、と決めている。
ボーナスや退職金がないのが不安材料である点は、認めざるを得ない。
少なくとも数年先までの収入がはっきり見えるけど、報酬には業務だけでなく、「拘束料(時間だけでなく心も)」や何の役に立つのか分からない雑務の分も入っているサラリーマンと、今の生活の両方を経験して、どちらの方がいい、というのはまだ断言できない。私にはこれから金のかかる子供と、60代後半に差し掛かった両親がいるから。
若いころに確立された価値観が簡単には変わらない、ということも、ひしひしと感じている。
たとえば、私のメールボックスにはリクナビなど数件の転職サイトから定期的にメールが送られてくるが、つい目が行くのは、よく知られた、自分の古巣に近い企業や公的機関の求人だ。
自分には大きすぎる組織は合わないし、歴史のある会社の良さも悪さも身をもって知っているのに、気を抜くとそこに引き付けられる。
私は今も、組織で、人の下で働きたいと思っている。自分がビジョンを描いて突っ走るタイプの人間ではなく、人が描いたビジョンの課題を見つけ出して、現実的なものに落とし込んでいく方が得意だと思っているからだ。けど、帰属先を固められないまま、このまま何となく年を取っていきそうな感じもあり、一人で食っていくための自己武装をやめるわけにもいかない。
私は未婚の母というマイノリティの路を歩いている。そして今は、言葉回りの仕事をしながら、フリーランスに近い働き方を選んでいる。
こういう生き方、働き方をしていると、私自身が私の経営者だ、という思いを強く持つ。
古巣は先日異動の内示があり、「誰がどこに行く」という噂が私の耳にも入ってきたが、
今の私に内示を出すのは、ほかならぬ私である。日本語教師としてはある程度実績ができてきたし、翻訳はそれこそどこにいてもできるので、今後は中国でも日本でも、あるいはどこの国にも行くことができる。
でもあまり遠くに行くと、日本でもらい始めている「日本語での執筆」は諦めなければいけない。
サラリーマンの場合、不本意な場所に異動させられても、「3年の我慢だから」なんてこともあるけど、私にそれはない。自分で選べる分、その責任も自分で取らなければならない。「つつがなく過ごせばいい」なんてことはあり得ない。
だから私の頭の中はいつも忙しい。今年は何をするか。この3年は何をがんばるか。2020年はどこにいるのか。
ただ、5年前の私は、そう、5年前は前の会社を退職したのが7月末で、今頃は激励されたり心配されたり飲んだり飲まれたりと多忙の極地だった。
地図のない海に漕ぎ出す前で、泳ぎ切るという覚悟だけはあったけど、どこに行こうとしているのかはまったくアイディアがなかった。
今いる場所は、5年前の私にはまったく想像もつかなかった小島のような場所だ。
ちゅーか、5年前の私は、今頃、大航海を終えて埠頭に戻っている、くらいの考えだった。
5年後にどこで何をしているのか、それを考え続けなければ、私はどこかで溺れてしまう。
しかし、いくら考えたところで、5年後にいる場所は、きっと今の想像とはまったく違うのだろう。
抱えている仕事はすべて自分の意思で選んだ。金銭以外のもの含めて、正当な対価を得ている。ただし、どこにでも行ける、何でもやれる、という働き方、生き方は所在なさと紙一重ではある。
そもそも所在は必要なのか。私はその問いと、しばらく向き合わざるを得ないのだろう。
終わり
本文とは関係ないですが、近所に現れた看板です。誰かスペルミスに気付かなかったのだろうか…。
肥大化する欲求
友人が、自分のサインを書いてくれた。小学校時代にはみんな、自分のサインを持っていたような気がするが、私はもう忘れてしまった。
2年前に飲食店で陣内孝則と会った。見かけた、ではなく、店でたまたま一緒になった知人が「高校時代の同級生」である陣内孝則とご飯を食べていて、紹介してもらった。
プライベートだし、写真は厚かましいだろうと思って、握手してもらった。
3年前には俳優の田中健と会った。彼が出演している演劇の、控え室だった。私が何も言う前に(というか、名前が分かりませんでした。ごめんなさい)、彼の方から「写真を撮りましょうか」と声を掛けてくれた。
私はどちらも、すぐ後にFBで速報した。
サインをもらう、というのは思いつかなかった。
サインは、普通の人々がカメラを持ち歩かない時代に、有名人と会ったことを証明する手段として生み出されたものなのだろう。
カバンやポケットにカメラが入っていて、しかも多くの知り合いに自慢できる今、サインを有効活用できるのは、ラーメン屋とか屋台とか、そういった店くらいかもしれない。
とっさにサイン、じゃなくてとっさにスマホ、の今。
承認欲求や自己顕示欲をより簡単に満たしてくれるツールとしてスマホが登場し、そしてツールが手に入ったことで、自分の承認欲求や自己顕示欲も、自分ではコントロールできないほど肥大化している感覚がある。
私は25歳から31歳の頃、内勤部門で働いていて、6年間で配った名刺は30枚くらいだった。
ご褒美出張(というものがあった)のときに、庶務の人に申請して名刺を作ってもらい、そこで配った後は存在を忘れていた。
部署内での自分の評価には大いに関心があったが、その範囲を超えて認めてもらうことに、意味を感じなかった。
当時から匿名でブログを書いていたが、自分の本名で何かを認めてもらおうという期待もなかった。
あの頃に中国で来ていたら、私は自分の職場での仕事に没頭し、それをちゃんとやり遂げることだけを考え、かつての知り合いや日本の人に、自分の働きぶりや、そこで発見したことを伝えようなんて思いもしなかっただろう。
日本にとって重要な外国である中国を、現場の目線で発信するという使命感と、
そこで頑張っている私を発信するという承認欲求の境目が、私自身にも見えない。