今日の散歩おじさん地域の最高気温は平年差-6.2℃の6.2℃と寒かったのですが、一日を通してどんより曇り空の寒々しい空模様のせいで、実際の気温よりさらに寒く感じたような気がします(-_-;
さて記事の方は牛久から荒川沖を目指した「旧水戸街道歩き」の2回目です!
前回の記事の最後に載せました通り、国道6号線から旧水戸街道に入ったと思ったらわずか400mで再び国道に合流してから、しばらく国道6号線を進みました!
旧道から国道へ合流した所から800mほど進むと、街道沿いのテニスクラブの駐車場に大きな木を見つけました(p_q)
木の傍らにあった説明板によりますと推定樹齢250年のスダジイだそうです(@。@)ホホォ~!
散歩おじさんの自作年表にて「だいたい250年前」を確認しましたら、時代としては江戸時代後期でして、「杉田玄白がターヘル・アナトミアを翻訳して『解体新書』を作った」とか、「平賀源内がエレキテル(静電気発生装置)を復元した」とか、そういう時代でした(^_-)-☆
スダジイから350mほど進むと、お堂というより簡易な覆い屋というべき建物の中に石仏様がいらっしゃいました!
Google Mapには「猪子の地蔵群」・・・猪子は地名です・・・と記載されていましたので、並んでいらっしゃたのはお地蔵様なのでしょうけれど・・・
普通によく見るお地蔵様もいらしたのですが、この2体のお地蔵様はナゼか細い布でグルグル巻きにされてました(@。@)
布が細くて白いので、全身お怪我されて包帯を巻かれているようにも見えましたよ(^笑^)
この辺りは国道6号線と常磐線が並走しているので、通過して行く列車が見えます(p_q)
蔵のような建物があるお宅は、古くからの農家さんなのでしょうかねぇ(?。?)
「猪子の地蔵群」の後は特筆すべき史蹟などは無く、淡々と30分あまり歩くとやがて前方に一里塚が見えてきました(p_q)
矢印で示した通り街道の両側に塚が残っている、貴重な一里塚なのだそうです!
ところでこの一里塚、ナゼか左右で名称が違うのです!?
水戸方面に向かって右側は「中根一里塚」!
反対側は「荒川沖の一里塚」と名付けられているのです(?。?)
双方の塚にそれぞれ説明板があるのですが、ちょうどここが牛久市と土浦市の境であるせいか、「中根一里塚」の説明板は「牛久市教育委員会」、「荒川沖の一里塚」の方は「土浦市教育委員会」の設置でして、どちらも同じような説明文なのに対面の一里塚と名称が異なることについては説明が無かったんですよねぇ・・・!?
ひょっとしたら「塚の名前」のことに触れてほしく無いような「何か」があるんじゃないのぉ?・・・(^笑^)
冗談はさておき、一里塚の所でちょうど土浦市に入りましたので、足元のマンホールも「名峰筑波山と霞ヶ浦の帆曳船」に変わりました!
一里塚から1kmちょっと進んだ所に旧道との分岐がありまして、右へ分かれる旧道に進むのですが・・・
旧道との分岐の所からちょいと脇へ逸れた所に「八幡神社」がありました!
見えているのはお社を守っている「鞘堂」でして、鞘堂の中には小さなお社が二つ祀られていました(^人^)
因みに鞘堂の前にありました石碑に刻まれた碑文によりますと、この鞘堂は神社の氏子総代の方が寄進されたものだそうです!