今日は東京で初雪を観測したということで、散歩おじさん地域も朝のうち降っていた雨に白い物が混じっていましたよ
さて記事の方は藤代から牛久を目指した「旧水戸街道歩き」の3回目です!
前回の記事の最後に載せました「旧若柴宿」の途中にあった立派な門のお宅のすぐ先に、「薬師寺跡」という木札がありました(@。@)
ご丁寧に矢印まで書かれていたので、その矢印に従って行きますと、途中で「他所様のお庭に入っちゃうんじゃないの?」というような路地を通り、なんとホントに「他所様のお庭」のような所にある「薬師寺跡」に行きつきました( ゚Д゚)
↑の画像に写っている家は雨戸が閉まっていてどなたかお住まいなのかどうか判然としませんでしたが、仮にお住まいの方がいらっしゃったとしても、矢印付きの木札に従って入ってきたのだから見咎められることは無かろうと思って、お庭(?)の「薬師寺跡」を見物させていただきました( ´艸`)
図らずも「他所様のお庭訪問」となった「薬師寺跡見物」から街道に戻り、250mほど進むと街道は大きく右へとカーブして、カーブの先が若柴宿の北側の端だったようです!?
ちょうどカーブの所にあったお寺の名前が書かれた石柱から、参道を150mあまり進むと「金龍寺」さんのご本堂に至ります!
そして立派なご本堂の裏には、なんと「新田義貞」のお墓がありました(@。@)
「新田義貞」は鎌倉時代から南北朝時代にかけての武将で、歴史に疎い散歩おじさんでも名前を知っているぐらいに有名な歴史上の人物ですが、そのお墓に水戸街道の道中で訪れることになろうとは思ってもみませんでした(-人-)
調べてみたところ、もともと金龍寺さんは新田義貞の子孫により「義貞追善」のために群馬の太田で創建され、後に新田氏の移封とともにこの地に移転したという歴史があるそうで、なるほどそれなら新田義貞のお墓があって不思議じゃないですね!
金龍寺さんから街道に戻り5分足らず進むと、若柴宿の北の外れにあります「星宮神社」に到着です(^.^)
鳥居をくぐったすぐ先の参道にあるこちらの石燈籠は、幕末期の江戸大相撲で活躍したご当地出身の「一力長五郎」なる力士が奉献したものなのだとか(@。@)ホホォ~!
拝殿は大きくせり出した庇の曲線が存在感ありましたよ!
ご本殿には覆い屋が設けられていましたが、柵の間から建物を拝見しましたら、ご本殿の下部に彫刻が施されているのが見えました(p_-)
ご本殿に彫刻がある神社は、取手宿では八坂神社、藤代宿では相馬神社を拝見しましたが、取手宿→藤代宿→若柴宿と、3つ続いての旧宿場でご本殿に彫刻が施された神社があるというのも興味深かったです!