今日は二十四節気の「大暑」だそうでして、散歩おじさん地域は「夏の暑さがもっとも極まるころ」という説明に相応しい暑さとなりました(;^_^A
さて記事の方は「旧水戸街道歩き」の続きです!
前回の記事の終盤に書きました、街道が大きくカーブしている所から40mほど進むと道標がありましたが、これがまたご覧のような所に保存されていて、撮りにくいことこの上なしって感じでした(^O^;タハハッ!
道標の表面には「従是子神道」の文字が刻まれ、これはここから道なり距離で1.5kmほどの所にある「子之神大黒天」への道標だとのことです!
道標の近くにあった説明板には古い地図に「現在地」が付記されていて分かりやすかったです(^.^)
因みに「現アビスタ」ともありますが、「アビスタ」は我孫子市の生涯学習センターですので、地元の方ならさらに分かりやすいでしょうね!
道標から60mほどの所に我孫子宿の「本陣」があったようですが、残念ながら説明の柱が立てられているだけで、それらしい痕跡な~んにも無かったです(^^;
本陣跡の説明柱から90mほど先にあった茅葺屋根のお宅は、Google Mapによると「旧我孫子宿名主・小熊邸」となっていました(@。@)
さすが名主さんのお宅は立派ですねぇ!
前回の記事でご紹介した「割烹旅館 角松本店」 の前で南東方向から北東方向へと向きを変えた旧水戸街道は、「旧我孫子宿名主・小熊邸」の先で再び南東方向へとほぼ90度向きを変えますが、そのカーブの所にある交差点、実は散歩おじさんには馴染みの交差点なのです!
散歩おじさんが良く行く「あけぼの山農業公園」から手賀沼へ移動する際には、この交差点を画面左側から右奥へ向かって通過するのですよ(^^)
そして手賀沼に向かう途中、↑の交差点から400mあまりの所にあります、「交差点の中」にある石塔群が気になっていたのですが、このたびの旧道歩きでゆっくり見物することができたのです(^_-)-☆
ここは「水戸街道」と「成田道」(散歩おじさんが既に歩いた「成田街道」とは別ルート)が分岐する、いわゆる「追分」の交差点なので、「成田山」と刻まれたものや「青面金剛尊」と刻まれたものなど、いろんな石碑、石塔が並んでいました(p_-)
そう言えば葛飾区内でも、柴又帝釈天へ向かう道が水戸街道から分岐する所に石仏群がありましたから、やはり「追分」には道標の意味や道中の安全を願って、石塔や石仏がたくさん建立されたのでしょうかねl?
・・・ということで、気になっていた石塔群の見物が出来た所で、このたびの旧水戸街道歩きを終えることとしました(^.^)
「追分」から左へ向かう道が「旧水戸街道」ですので、次回はここから道中再開となります!