今日の散歩おじさん地域は雲が多く、直射日光でガンガンに炙られるような天気でなかったわりには気温が上がり、湿度も高かったようでジットリ汗が出るような不快さでした!
なかなか涼しくならないねぇ~(;^_^A
さて記事の方は「成田街道歩き」の続きです!
9月11日に②をアップしてから少し日にちが経っててしまいましたが、連載で始めましたからには③を載せずに「終了!」ってわけにもいきませんので、もう一回お付き合いください((^┰^))ゞ テヘヘ
前回の記事の最後に載せました「成田道伊篠の松並木跡」から5分あまり進むと、街道脇に台座を含めた高さが2mをはるかに超える石碑がありました!
↑の石碑からわずか100mほどの所にも、形が少し違いますが同じぐらいの大きさの石碑がありまして、どちらも正面に「永代護摩木山」の文字が刻まれています!
これらの石碑は「成田山護摩木山供養碑」と言って、成田山で護摩を焚くのに必要となる「護摩木」を用立てるための土地を、信者が寄付したことを記念して建立した石碑なのだそうです(@。@)ホホォ~ッ!
なるほど、成田山としては護摩木の材料となる木材をどうにかして調達しなければいけないのは当然のことですが、土地ごと寄付した信者の方もいらっしゃったのですねぇ!
成田山護摩木山供養碑のすぐ先でまたまた国道と合流しましたが、この度もわずか70mほど歩いた所で左側の道へ分岐し、再び旧道歩きとなりました!
行った日はかなり暑かったのですが、この辺りは木漏れ日がチラチラと楽しく、いい具合に風も抜けて気持ち良かったです(^.^)
街道沿いの塀の前に2基の石碑を発見~(p_q)
向かって左側の石碑の正面には、下の方が草に隠れちゃって読み取れなかったのですが「奉納永代護摩」の文字が見えましたので、↑と同様の「成田山護摩木山供養碑」なのかな?
また向かって右側の石碑には、願主の居所として「中山道巣鴨宿」の文字が見え、さすがは成田のお不動様には中山道の方からも願い事のために石碑を奉納する人がいたのですね(-人-)
因みに2基とも塀と針金で結ばれていましたが、まさか石碑を塀の支えにするような罰当たりなことはしないでしょうから、石碑が倒れないよう塀で支えているのでしょうね( ´艸`)
2基の石碑のすぐ先で視界が開け、田や畑が広がる光景を見ることが出来ました!
田んぼを背にお地蔵様がいらっしゃいましたよ(^人^)
お顔は目も口も鼻も分からないほどに風化していましたが、背後に令和五年の日付が書かれた塔婆が立っていましたから、今でもこの辺りの方の信仰を集めているのでしょうね!
お地蔵様から200mほど進んだ所で国道と合流し、さらに国道を600mほど歩くと、いよいよ成田市に入りましたよ(^_-)-☆
成田市に入ってすぐの所にあったこの丁字路を左へ向かうと京成線の「公津の杜駅」ですので、今回の道中はここまでとして「公津の杜駅」から帰ってきました!