松本城 | 散歩おじさんの「ぶらりWalk」

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散歩おじさんが街中やら、公園やらを「ぶらり」した様子を載せています(^.^)

今日の東京地方の最高気温16.0℃は3月下旬並みということで、半月以上季節が逆戻りしちゃいました(@。@)

先週後半は25℃を超えて夏日の日もありましたから、日ごとの気温の変化に注意が必要ですね!

さて今日の記事は4月の半ばに行きました長野県の松本城です!

新宿駅を8時ちょうどに出発する「あずさ号」で一路「松本」へという行程でしたので、「8時ちょうどの あずさ2号で~♪」と歌いながら乗り込みたかったのですが、残念ながら今のダイヤでは8時ちょうどに出発するのは「あずさ5号」でした(^笑^)


松本駅に着いて構内の案内に従ってお城がある駅の東側への出口へ向かったのですが、そちら側の出入り口が「お城口」となっているのを見て、松本城がいかに市民のみなさんにとって身近な存在であるかが伺えました!


「お城口」からお城まではゆっくり歩いても15分ほどですよ(^.^)


ところで↑の写真を撮った後、何気なく目を左方へ転ずると、松本城を無料で案内いただけるというまことにけっこうな看板が見えましたので、さっそくご案内をお願いしました!

申し込む時に「時間はどれくらいかかりますか?」とお尋ねしたところ「お客さんのご都合次第で・・・」とのことでしたので、松本に一泊の予定だった散歩おじさんが時間は充分にある旨お伝えしましたら、なんと1時間40分あまり実に興味深いご案内をいただけまして、一人で見物したより間違いなく10倍は楽しめたと思います(^o^)

もし「松本城見物」に行かれる方がいらっしゃいましたら、無料案内はお勧めですよ(^_-)-☆

 

なお、そんな具合にお城見物を楽しみましたため、以下の記事の中にはちょっと説明が長い部分もありますので、「そういうことはあまり興味がないよ」っていう方は、適当に次の画像まで飛ばして読んでくださいな( ´艸`)

 

松本城は「現存十二天守」と呼ばれる江戸時代以前に建てられたものが今でも残っている天守の一つで、築城主は「石川数正」という武将なのですが、案内人さんが今の大河ドラマで「松重さんが演じている武将」って説明してくださったのが分かりやすくてありがたかったです(^.^)

なお、大河ドラマでは今のところ石川教正は家康の忠臣として描かれていますが、後に豊臣方に寝返ったのだそうで、その後小田原城の落城によりほぼ天下を手中に収めた秀吉により江戸に移封された徳川家康を見張るため、秀吉に命じられて松本城を築いたというのも興味深い説明でした!

そして松本城は画像からも分かるように「黒い城」という印象なんですけど、これは秀吉が「黒い城」を好んだので、当時はそれにならった城が多かったのだそうですよ!

天守の手前に見える赤い手摺のある「月見櫓」は、七代城主「松平直政」によって増築されたのだそうですが、当時は既に徳川が天下を治め城の増改築が認められなくなっていた中、松本城の月見櫓がナゼ増築できたのかということについても、案内人さんは↓以下のような興味深い話を詳しく説明してくれました!

月見櫓が増築されたのは、時の将軍「三代家光」が上洛した帰路、善光寺への参詣を希望しその際に松本城に泊まることとなったからだというのです(@。@)ホホォ~!

なんたって直政は「松平」姓からも想像できる通り家康の孫だというのですから、家光が京からの帰りに親戚である直政が治める松本に寄ってみたいと思ったのも不思議じゃ無いですよね!

そんなわけで「将軍 家光」が松本城に来たら月見の宴でもてなそうということで作られた月見櫓ですが、ちょうど家光が江戸を目指していた頃に信州の辺りで地震が頻発したため、大事を取った幕府のお偉いさんたちの判断で家光は江戸に直帰しちゃったので、せっかく作った月見櫓が使われることは無かったんですってぇ(^^;

そしてその後の記録を見ても月見櫓が宴席として使われたことは確認できないのだそうですが、昭和になってからある市長が月見櫓でまさに宴を開いたことがあり、「国宝の建造物で宴会とは怪しからん」ってことで、新聞にも載るほどの騒ぎになったことがあるのだそうですよ( ´艸`)

そんな話題も案内人さんの手持ちのファイルに綴られた当時の新聞記事から説明いただけた・・・、って書けば、案内人さんのおかげで散歩おじさんが松本城を10倍楽しめたってことも納得頂けますでしょ(^_-)-☆

だいぶ話が横道にそれちゃいましたが、この辺りで元に戻しましょう(^^;

石垣は「野面積み」という説明を聞きながら「石垣の傾斜がゆるやかで直線的ですね!?」という見たままの感想を述べたところ、案内人さんは「よくぞそこに気付いてくれた!」ってな調子で、実は地盤が軟弱なので石垣の裾を広げることで天守を支えているということを説明してくれました!


こちらは城の東側にある「太鼓門」という門の脇にある塀でして、四角や三角の穴は城外に向けて矢を射たり鉄砲を撃つための「狭間(さま)」と呼ばれる穴なのですが、案内人さんの説明で「なるほどぉ~!」って思ったのが塀の内側にある柱です!

塀が内側に倒れないように補強する目的があるのはもちろんなのですが、柱と塀の間にある横木の上に板を渡しその上に城兵が乗ることで、塀の上からも弓や鉄砲で対抗できたっていうことも案内人さん独自の説明だったようで、大いに興味深く見学できました(@。@)ナルホド~!

城内の画像はうす暗いのと撮影のスペースが狭いので記事に乗せられる画像が少ないのですが、「柱」が案内人さんの説明を聞いていたおかげで「手斧削り」であることが分ったのも面白かったです!


ところで松本城の内部は「階段付近での写真撮影」が禁止でして、「階段付近」限定で撮影禁止なのは階段が急で危ないからなんだと思うんですけどね・・・

どんくらい「急」かって言いますと、こちらは階段を横から見ることが出来る「階段付近じゃない」場所から撮った画像なのですが、うす暗いので動いている人がブレちゃっているのはご容赦いただくとしまして、白いラインで示した角度を見ていただければ、「梯子段」と言ってもおかしくないような急角度であることがお分かりいただけると思います( ゚Д゚)

いさ合戦となったら、具足を着けてこの階段(ほぼ梯子段)を上り下りする当時のお侍さんはたいへんだったろうなぁって思うと同時に、現在のお嬢さんたちが松本城見物に行くならミニスカートはNGだなってことが分りました(^笑^)

ところで当日のお天気はと言いますと薄曇りで水平方向の視程が良くない状況でして、↑5枚目の画像でも肉眼では天守の奥に薄っすらと北アルプスの残雪の山が見えていたのですが、画像に納められなかったのが残念~(^^;

そして案内人さんの手持ちファイルには天守の周りの木々が紅葉している素敵な写真もあり、さらには市内の文化財巡りの良さげなコースも見つけましたので、お城の四季折々の眺めを楽しみつつ市内観光もするべく、ぜひまた松本を訪れてみたいと思いました(^o^)