成田街道~小岩市川の渡しから八幡宿へ②~ | 散歩おじさんの「ぶらりWalk」

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散歩おじさんが街中やら、公園やらを「ぶらり」した様子を載せています(^.^)

今日も散歩おじさん地域は、昨日に続いて日差しタップリの良い天気!

昨日に比べると風が強かったですけど、南から吹く風は暖かい空気を運んで来てくれたようで、日差しも気温もご機嫌な一日でした(^.^)

さて記事の方は「成田街道」歩きの続きですが、成田街道・・・この辺りは「千葉街道(国道14号線)」という呼び方が一般的ですが・・・と言っても、特にJRの「市川駅」近くはご覧の通り道路の整備が進んでいますので、旧街道という趣は全くありません(^^;


ただ街道を歩いていると、北側の所々にかなり高い松の梢が見えるのです(p_q)

 

総武線の車窓からも見える梢が前々から気になっていたので、街道をちょいと逸れて木の所まで行ってみますと・・・

なんと住宅街の中に、立派な松並木がありましたよ(@。@)

こういう木が残っているのですから、市川市の木が「クロマツ」であることも納得できます!

 

それにしても、戦後復興や高度経済成長期など、宅地造成がガンガン行われた時代を経て、よくもまあこういう所に松並木が残ったものですねぇ(@。@)

 

松並木から街道に戻った所には「新田胡録神社」があります(^人^)

こちらのお社も大きな木に囲まれていましたが、中でも参道の方へちょっと傾いている松の木は、あたかもお社を守っているかのような風情でした!

新田胡録神社を後に100mほど進んだ所には2基の道標が並んでいました(p_q)

元々の道標が民家のブロック塀にピッタリくっつくような都合の良い位置にあったとは思えませんので、道路の整備とか宅地の区画整理とかの際に、今の位置に移された考えるのが妥当でしょうけど、いずれにしても昔の街道にあった物が残されているのはありがたいことです!


どちらもかなり風化していて読み取れる文字が少なかったですが、画面左側の石柱の上部には道標らしく「左」の文字が見え、画面右側の道標の正面には「寛政十一」(1799年)の文字が辛うじて読めました(p_-)

建てられた年が分かったところで、例によって散歩おじさんの手作り年表で「寛政11年」を検索してみましたら、江戸時代の江戸前寿司職人「華屋与兵衛」が誕生した年でしたよ(@。@)ホホォ~!

 

・・・と言っても散歩おじさんに「華屋与兵衛」についての知識があるわけではないので、和食のファミレスしか思い浮かばなかったのが残念でしたが・・・(^O^;タハハッ!


2基の道標の先30mほどの所には「諏訪神社」の一の鳥居があります!

ご覧の通り普通のお宅とマンションに挟まれた狭い参道なのですが・・・

なんとその狭い参道にも、市川市の保護樹木となっているクロマツがずらりと並んでいます( ゚Д゚)


参道は約70mあり、表からの見た目で想像する以上に長く、街道から拝殿までは100m以上あるのですよ!


ところで信州の諏訪大社は勇壮な「御柱祭」で有名ですが、こちらの諏訪神社も平成18年の例大祭の折、御柱奉上の神事を行ったとのことで、拝殿の前にはその際に奉建されたという御柱がありました!


 

諏訪神社のすぐ先には国道298号線との大きな交差点があります!

2018年に首都高速の外環道を地下に伴った国道298号線が通ったことで、この辺りの景観は一変したのですが・・・

298号線を過ぎると、道路の様子は↑1枚目とだいぶ変わって、旧道らしく緩やかに蛇行する道筋も見られるようになるのですよ(^.^)