旧川越街道 大和田宿から大井宿へ~その三~ | 散歩おじさんの「ぶらりWalk」

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散歩おじさんが街中やら、公園やらを「ぶらり」した様子を載せています(^.^)

今日の散歩おじさん地域は、青空が広がったものの大きな雲もいくつか浮かんでいて、その雲の動きにつれて太陽が顔を出したり隠れたりを繰り返していました!

断続的とは言え日差しがありましたから、気温は27℃ぐらいまで上がったようですが、風がやや強めでしたので日向で吹かれるとちょうど良い感じでしたよ(^.^)

さて記事の方は大和田宿から大井宿を目指した「旧川越街道歩き」の3回目です!

前回の記事の最後でご紹介しました廣源寺さんを後に、街道を400mほど進むと、また大きな木と石碑が見えてきました(p_q)


ここにも並木が残されていて、参考にしているマップの情報によれば、こちらは松並木だそうです!

立派な松の木がメインですけど、違う種類の木も植わっているので、いわゆる「松並木」と聞いて想像する景観とは少し趣が違いますね(^.^)

この並木は約900mほど続き、並木を抜けた先200mほどの所には、目指す「大井宿」の江戸側の出入り口があったことを示す「下木戸跡」の柱がありました!

ところでお江戸側に下木戸があったということは川越側に上木戸あったはずで、「あれれ? お江戸の方が『上』じゃないのかな(?。?)」と違和感を感じたのですが・・・?

そこで、これまで通ってきた街道沿いの説明板などの画像を探して良~く見直したところ、上板橋宿の説明板に川越側から「上宿/中宿/下宿」と区分けされていたとの説明があることが確認できました(@。@)

その説明を読んだ当時は迂闊にも「上/下」まで気にしていなかったのですが、どうやら川越街道は川越側が「上」と区分されるようですね(^^)

何故「川越側が上」なのかということまでは解明できていませんが、ひとまず「お江戸側に『下木戸』があった理由」は分かったので良しとしましょう(^笑^)

下木戸跡を通過したということは、既に宿場に入っているわけで、次に訪れたのはかつての宿場内にあります「徳性寺(とくしょうじ)」です!

前回の記事に載せた廣源寺さんはご本堂の前に仁王様がいらっしゃいましたが、こちらはご門前にいらっしゃいました(@。@)

徳性寺さんは大井宿の中心的な存在だったとのことですが、残念ながら明治時代の大火で寺の全てが焼失してしまい、その後、他所から仮本堂として移築されていた建物も老朽化のため解体され、現在の本堂は昭和48年に新築されたものだそうです!


本堂の前にはなんとも可愛らしい「六地蔵様」がいらっしゃいました~(^人^)

なんだかちょっと「やんちゃ」っぽいお地蔵様もいらして、微笑ましかったです♪

門の内側には、近くから出土して移されたという「弘安の板碑(板石塔婆)」がありました!
弘安四年(1281年)の銘があるとのことですから、鎌倉時代のものなのですね!

徳性寺さんから250mほど進んだ所にあるカフェの駐車場の一画に「大井宿本陣跡」がありましたよ(^.^)


これは「本陣跡」の説明板に描かれていた宿場の図なのですが、この図でも川越側が「一番地」となっていますから、↑の「下木戸跡」の所で考察した「川越側が上」と一致するようです!?


「大井宿本陣跡」から400mあまり進むと、こちらは「旧大井村役場」です(^^)

むろん江戸時代の史跡ではありませんが、建物は国の登録文化財となっています!

因みにいろんなサイトに載っている画像と比べると外観がきれいになっていたので、比較的最近に外装の塗り替えが行われたようです!?

「旧大井村役場」から100mほど歩くと道が二股に別れ、例によって左側の細い方が旧道ですので、ここからまた国道と別れて進みますよ(^_-)-☆