旧川越街道 大和田宿から大井宿へ~その一~ | 散歩おじさんの「ぶらりWalk」

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散歩おじさんが街中やら、公園やらを「ぶらり」した様子を載せています(^.^)

今日の散歩おじさん地域は日中の最高気温が30℃と暑くなりましたが、日が暮れるとスッと涼しくなり、季節の進んでいることが実感できる気温の変化でした!

さて今日の記事は今年の6月以来となる「旧川越街道歩き」です!

前回はこの画像の右に鳥居が見えている「神明神社」にお参りしたところで終了しましたので、今回はここから道中再開となります(^.^)


ところで旧道歩きは昔の宿場を辿って行きますので、記事は「○○宿から△△宿へ」という形で掲載し、次の時は当然のことながら「△△宿から・・・」となるはずなのですが、前回の連載が「白子宿から膝折宿へ」であるにも関わらず、今回は「膝折宿から・・・」ではなく、膝折宿の次の宿場であります「大和田宿~・・・」となっているのです!

これはナゼかと言いますと、前回たしかに「白子宿から膝折宿へ」歩いたのですが、実は「膝折宿」を通過して「大和田宿」の直前にある「神明神社」まで歩いた結果、今回は「大和田宿から・・・」ということになるのです!

けっして散歩おじさんが「膝折宿」と「大和田宿」の間でズルしてるわけではありませんので念のため・・・(^笑^)

神明神社は前回の記事でご紹介していますが、今回も道中の無事を見守っていただけるようお参りしましたので、拝殿の画像を載せさせていただきますね(^人^)


大和田宿の直前から道中を再開しましたので、歩き始めて1分足らずで「大和田」の町に入りました!

もちろん今の町の区画と昔の宿場の範囲が一致しているわけではないでしょうけど、どうやら「大和田宿」は近いようですv(。・・。)イエッ♪

この日の最初の立ち寄りスポットは、こちらの「鬼鹿毛(おにかげ)の馬頭観音」です!


小さな石碑の馬頭観音と比べると、こちらのはお堂(?)も設けられた立派な観音様です(@。@)


人や荷を運んだ馬が亡くなった際、その馬が働いた街道沿いに馬頭観音が建立されることも多いそうですが、ここに「馬頭観音」が建立されたのには、こんな話が伝わっています!

~以下「鬼鹿毛の馬頭観音の前の説明板」より引用~
昔、秩父の小栗という人、江戸に急用があって、愛馬鬼鹿毛に乗り道を急ぎました。大和田宿に入ると、さすがの鬼鹿毛も疲れが見え、この場所にあった松の大木の根につまずき倒れました。しかし、さすがは名馬、ただちに起きあがり主人を目的地まで届けたといいます。所用を終えた主人が先ほど馬をとめたところまで戻ると、いるはずの鬼鹿毛の姿が見えません。不思議に思いましたが仕方なく家路を急ぎました。やがて、大和田の地にさしかかると、往路愛馬が倒れた場所に鬼鹿毛の亡きがらを見つけました。鬼鹿毛は主人の急を知り亡霊となって走り続けたのでした。村人は、のちに鬼鹿毛の霊を弔って馬頭観音を建てたといいます。
~以上~

つまり鬼鹿毛という馬は、松の根っこにつまづいた所で亡くなっていたにも関わらず、その亡霊が主人を江戸まで送り届けたというのですねぇ(@。@)

いくら昔の話とは言え、馬の亡霊にまたがってお江戸まで駆けるのは無理だと思いますが(^^;・・・、きっとそういう伝説が生まれるような逸話が小栗氏にあったのでしょう!?

 

なお、説明文にも「この場所にあった松の大木」とあるとおり、鬼鹿毛がつまづいた松の木は現存しないようですので、観音様の横にある木をそれとお間違いなきように!

 

そんな鬼鹿毛を供養している観音様はこういうお姿ですよ(^人^)


供えられた折り紙の毬がとてもきれいで、今でも地元に方の信仰を集めていることが伺えました!!


「鬼鹿毛の馬頭観音」を後に道中を進めると、散歩おじさんの好きな旧道カーブもありましたよ( ´艸`)


民家の中で異彩を放つ建物を見つけましたので、スマホのマップで確認したところ観音堂でして、いろいろ調べてみましたら、少なくとも江戸時代からこの地に観音堂があったようなのです!

もっとも今の建物が江戸時代から続くものではないようでしたが・・・

それでもお堂の前の仏像の台座には「享保4(1719)年」の文字が刻まれていました!

例によって享保4年を散歩おじさんの自作年表で確認すると、「江戸に町火消組合が設置された」年となっていますが、歴史上の人物にまつわる出来事で言いますと大岡越前が江戸の町奉行になった2年後です(@。@) ナルホド~!

道中には立派な蔵もありました!

蔵はそれほど古いものではないようですが、道中でこういう建物を見つけると旧道の雰囲気を味わえます(^_-)-☆