えどがわ百景を「ぶらり」~その三~ | 散歩おじさんの「ぶらりWalk」

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散歩おじさんが街中やら、公園やらを「ぶらり」した様子を載せています(^.^)

今日の散歩おじさん地域、昨日までの暑さはおさまりましたが、やや風が強かったです!

夜になって降り出した雨が、明日の通勤時間帯まで残る予報になっているのが厄介ですねぇ(^^;

さて記事の方はイベントに合わせて自宅に近いエリアを巡った「えどがわ百景」の続きです!

前回の記事の最後に載せました「えんま大王」から5分ほど移動しますと「えどがわ百景№136」の「河原道の記憶を残す本城寺」に到着です!
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画像からお分かりいただける通り、建物や門は比較的最近に建て替えられている様子でしたので、「はて? どこに『河原道の記憶』が残っているのかな?」と門をくぐりますと・・・

門のすぐ内側に「鹿骨の庚申塔河原道石造道標」がありました(@。@)
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前回の記事にも書きましたが、かつてここから東の方に下総国河原村(現在の千葉県市川市河原)へ渡る「河原の渡し」があり、そこに至る「河原道」と呼ばれていた道が近くを通っていますので、この庚申塔道標もその道沿いにあって旅人に道を知らせていたのでしょう(^^)

本城寺さんから道なり距離で500mほど歩きますと「えどがわ百景」の№97に「旧鹿骨村 鹿島神社のお祭り」が挙げられている鹿島神社に到着です(^.^)
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ここで前回の記事からの再掲になりますが、この辺りの鹿骨(ししぼね)という地名の由来について書きますと・・・
・・・前略・・・
鹿島大神が常陸(茨城)から大和(奈良)に向かう途中、大神の杖となっていた神鹿が急病でたおれたので、塚を築きねんごろに葬った所だと伝えられています。・・・後略・・・

~鹿見塚の説明板より~
・・・ということなのです!

一説によると、村の草分けとなった入植者が、↑の地名の由来の縁として、建立した神社を「鹿島神社」と名付けたとも伝わっているそうですよ(^^)

そういう言い伝えがある土地の神社ですから、境内には「神鹿」の像がありますよ!
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ともかく「鹿」が大事ですから、お賽銭箱にも鹿の角が描かれています(^.^)
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鹿島神社にお参りした後は、昨日の記事に載せた「親子鹿の像」の方に戻るように親水緑道を進み・・・
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もう少し進むと「親子鹿の像」に至るという交差点際にあるのが「鹿見塚(ししみづか)神社」で・・・
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イメージ 8その境内にあるのが、「鹿見塚の石碑」です(^.^)

今回の連載でも鹿骨の地名の由来として、2回ほどこの石碑の説明文の一部を載せました!

記事の構成を考えるなら、この鹿見塚神社と鹿骨の地名の由来を最初にご紹介した方が分かりやすかったかもしれませんが、なにしろ土地勘があるが故、知っているスポットをフラフラ巡っちゃったのでこの神社が最後になっちゃいました(^_^;






・・・ということでこの度の「地元をぶらり」はこれで終了ですが、「えどがわ百景マップ」のおかげで知っているエリアの知らないスポットを訪ねることが出来て面白かったです!

「えどがわ百景マップ」は他のエリアの物がまだありますので、機会を見つけてまた地元「江戸川区」を歩いてみたいと思っています!

そして今回も連載にお付き合いくださったみなさん、ありがとうございました~♪