鴻巣を「ぶらり」~その三~ | 散歩おじさんの「ぶらりWalk」

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散歩おじさんが街中やら、公園やらを「ぶらり」した様子を載せています(^.^)

今日の散歩おじさん地域は久しぶりに青空が見られました(^^)

どれくらい「久しぶり」だったろうかと思って気象庁のデータを見てみましたら、散歩おじさん地域では3月9日~14日の6日間のうち4日は「日照時間」が0時間でしたw(@o@)w

「日照時間」が記録されていた12日もわずか「1.1時間」と言うのですから、お日様とはずいぶんご無沙汰だったんですねぇ(^_^;

さて記事の方は駅からハイキングで歩きました埼玉県は鴻巣を「ぶらり」の3回目です!

前回の記事の最後には旧中山道と合流した辺りまでを載せましたが、合流してから600mほど進みますと、「鴻巣」の地名の由来ともいわれる「鴻神社」に着きました♪
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鴻巣の総鎮守という「鴻神社」には、母鳥が大きな蛇と戦って卵を守ったという「こうのとり伝説」が伝わっているのだとか(@o@)ホホォ~!
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「鴻神社」の境内を抜け、旧中山道の1本東側の道を300mほど移動しますと、お次のスポットは「法要寺」です!
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駅からハイキングのマップにはこちらのお寺にある、ハイキング好きの散歩おじさんとしては大変に興味をそそられる物が掲載されていたのですが、境内を探してもそれらしき看板や案内がありませんw(@o@)w

結論から言うと案内の看板などは一切無かったのですが、でも大丈夫(^^)v

ここにもボランティアスタッフさんがいましたので、その方に声をかけて案内していただきました(*^。^*)

散歩おじさんが興味をそそられた物とは、その名もズバリ「ハイキング碑」ですよ!
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マップの説明文に拠れば、・・・日本で最初のハイキング誌を創刊した小池利兵衛氏を称えた「ハイキング碑」・・・と言うことです!

小池利兵衛氏の功が無ければ「駅からハイキング」という名前も違ったものになっていたかも・・・(?。?)

「法要寺」から再び旧中山道に戻って300m足らず南下すると「鴻巣宿本陣跡」に至ります!
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本陣跡と言うからにはこの辺りが鴻巣宿の中心だったのだろうと思われますが、残念ながら本陣跡にはそれを示す石碑が建っているのみでした(^_^;

本陣跡からはまた旧中山道を離れて次なる目的地であります「鴻巣御殿跡(東照宮)」を目指しました!

「鴻巣御殿」とは徳川家康によって、鷹狩りや領内視察の折の宿泊や休憩所として建てられたものだそうでして、後に使用されなくなったため、やがて御殿も無くなった跡に東照宮が祀られたということなのですが・・・

イメージ 6むむむ・・・!
たしかに東照宮の幟がはためいてはいますが、こりゃまた細い路地を入るんですね~(^_^;

散歩おじさんが到着した時、ちょうど出てこられた人がいたので表で待機した・・・と書けば、人がすれ違えないほどの幅だということがお判りいただけるでしょう!

そして細い参道(?)を進んだ奥にあった「東照宮」がこちらですw(@o@)w
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まぁ・・・東照宮と言ってもいろいろなんですね(;^_^A アセアセ・・・

東照宮のミニミニぶりに驚きつつお参りをした後は、お次の「勝願寺」に向かいます!

今回の連載の「その一」をご覧になった方はご記憶かもしれませんが、鴻巣には「勝願寺」が二つあり、それぞれ土地の名を付けて呼び分けているのです(^^)

「その一」でご紹介した「登戸の勝願寺」に対して、これから向かうのは「本町の勝願寺」ということになります!

「本町の勝願寺」には真田家に嫁いだ「小松姫」のお墓があるとのことで、大河ドラマが放映されている今がPRの絶好期と思ったのか、お寺に近づくにつれてこの幟の本数がどんどん増えて行きました(^笑^)
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やがてお寺に到着すると、まずは立派な仁王門にビックリですw(@o@)w
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楼門のような存在感のある造りですが、もとは太鼓櫓だったものを門に作り替えたのだそうです!

本堂も仁王門と調和の取れた、存在感がある立派な建物でしたよ(^^)
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途中の幟は「小松姫」の物しかありませんでしたが、他にも「真田信重」なる人物のお墓もあり、みなさん興味深そうに説明を読まれていました!
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