旧日光街道 春日部から杉戸へ③ | 散歩おじさんの「ぶらりWalk」

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散歩おじさんが街中やら、公園やらを「ぶらり」した様子を載せています(^.^)

今日も各地で、11月並みという気温の所が多かったようですが、今晩からは気温が下がって、明日以降は最高気温が15℃に届かない日が続くそうですね!

だんだんに寒さも本番を迎えますから、風邪などひかない様に気をつけましょうね(^.^)

さて記事の方は春日部から杉戸を目指して歩いた、旧日光街道を「ぶらり」の3回目です!

前回の記事でご紹介した「すきすきすぎーと36」から、1.2kmほど進むと「九品寺」というお寺さんがありまして、その境内には「堤根の道標」があります!
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「堤根」とは、この辺りの地名なのですが、道標は1784(天明4)年に、村の農民が協力して建てた物だそうです(@o@) ナルホド~!

「天明」というと「天明の大飢饉」や浅間山の大噴火が有名ですが、調べてみましたら天明4年は浅間山の大噴火の翌年になります!

そういう年に村の農民が協力して道標を建てたというのは、自然災害への畏怖と何らかの関係があったのでしょうか(?。?)

こちらは「堤根の道標」から700mほどの所にある「馬頭院」です!
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馬頭院には「新知学校跡」という説明板がありましたので、その内容を抜粋してご紹介しますと・・・
新知学校跡

 明治五年(一八七二)文部省は、新しい学校の制度「学制」を公布した。埼玉県では、明治六年 埼玉県公私小学校規則が施工され、四民平等の教育が行われるようになった。
 新知学校は明治六年(七年の説もある)堤根村と本郷村との連合で設置され、仮校舎をここ馬頭院に、分校を本郷村に開校した。
・・・後略・・・

~馬頭院境内の説明板より~
「ナルホド~!」などと説明を読みながら、「四民平等」なんて言葉で、小学校の社会の時間を思い出したりしましたよ(^.^)

さらに杉戸の宿場に向かって進むと、やがて「三本木一里塚」に到着です!
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・・・えっ? 一里塚はどこにあるのかって?

えへへっ! 一里塚の面影は既に無いのですが・・・ほらほら、生垣の中に「三本木一里塚」の説明板が立ってましたよ((^┰^))ゞ テヘヘ
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杉戸の町役場前を通過して進むと、かつての宿場の入り口辺りかと思しき所には、関口酒造さんの風情のある建物がありました!
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関口酒造さんは、その名もズバリ「杉戸宿」というお酒を造っているのだそうですよ(^_-)-☆

宿場の中心の方を向いての眺めは、こんな感じですよ(^^)
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江戸時代の面影を求めるのはいくらなんでも無茶ですが、昭和の雰囲気は残ってる感じがしませんか!?

この交差点は「本陣跡地前」という名前でしたから、どうやらこの辺りが宿場の中心部かと思われます!
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その交差点の角に、現在では「三井住友信託銀行」があるのですが、その店頭には「明治天皇御小休所跡」の碑が建てられてました(@o@) ホホォ~!
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さてさて、今回の旧日光街道歩きは「杉戸宿」を目指して歩いて来ましたので、ひとまず目的の場所には到着したのですが、参考にして歩いているマップは、杉戸宿の出口の所がマップのつなぎ目になっていましたので、この日はそこまで歩きました!

・・・と言うことで、今回の連載はもう一回ありますので、よろしかったらまた遊びに来てくださいね(^.^)