麹町から霞が関を「ぶらり」~その二~ | 散歩おじさんの「ぶらりWalk」

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散歩おじさんが街中やら、公園やらを「ぶらり」した様子を載せています(^.^)

今日の散歩おじさん地方は、一日を通して曇り空!

雲はかなり厚く、実際には降りませんでしたが、雨が落ちて来ても不思議じゃない様な空模様でした(゜o゜)

さて記事の方は、昨日に続きまして麹町から霞が関を「ぶらり」の2回目ですv(。・・。)イエッ♪

井伊家中屋敷の跡地に建ちますホテルニューオータニの庭の池・・・それは言うまでも無く井伊家の庭の池だったわけですが・・・の眺めを楽しんだ後は、ホテルの中を抜けまして、清水谷公園へと向かいました!

きょう最初の画像は、その清水谷公園にありました「贈右大臣大久保公哀悼碑(ぞううだいじんおおくぼこうあいとうひ)」です!
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「右大臣大久保公」と言えば、歴史に疎い散歩おじさんでも、それが「大久保利通」であろうことは分かったのですが、この碑については、傍らに立っていた説明板からご紹介します!

少し長いですが、興味がおありの方は、以下の枠内の説明も読んでみてくださいな(^_-)-☆
 明治11年(1878)5月14日朝、麹町清水谷において、赤坂御所へ出仕する途中の参議兼内務卿大久保利通が暗殺されました。現在の内閣総理大臣にも匹敵するような立ち場にあった大久保の暗殺は、一般に「紀尾井坂の変」と呼ばれ、人々に衝撃を与えました。
 また、大久保の同僚であった明治政府の官僚たち(西村捨三、金井之恭、奈良原繁ら)の間からは、彼の遺徳をしのび、業績を称える石碑を建設しようとの動きが生じ、暗殺現場の周辺であるこの地に、明治21年(1888)5月「贈右大臣大久保公哀悼碑」が完成しました。
江戸の大名屋敷跡を案内している本を参考に、今回はその中でも江戸幕府の中枢と言える辺りを中心の「ぶらり」だったのですが、そういう地域だけに、明治になってからも政治家にまつわる事件の舞台にもなったのですね!

大久保公の哀悼碑の左を抜け園内の坂を上ると、公園の上にある紀尾井町ビルの敷地に出ます!

ガイド本によれば、この辺りにも大名屋敷の遺構があるはずなのですが・・・

ありました、ありました! なんと植え込みに隠れるように遺構の場所を示すプレートが設置されてましたよ!
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それにしても、ガイド本が無ければとてもこんな場所の史跡は見つけられませんよねぇ(^_^;

ガイド本とプレートの説明に拠れば、この場所は紀州藩邸があったそうで、残されている遺構はビル建設の際に発掘された物だそうです!
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ところで紀州藩邸と言えば、「伊徳川家」のお屋敷ですよね(^_-)-☆

実は昨日の記事で最初にご紹介した石垣は、「張徳川家」の石垣だそうなのです!

そして同じく昨日の記事でご紹介したホテルニューオータニおよびその庭の池は「伊家中屋敷」の跡地・・・

太字で表記した漢字3つをつなげると「・・・・・・」・・・

そうなんです!

この辺りの「紀尾井町」という地名の由来は、そこにお屋敷があった大名家の名から来てたんですよ~(^_-)-☆

地名の由来などを文書で読むのも興味深いですが、こうして実際にその地を歩いて、史跡を目の当たりにしてみるのも面白いものですね(^_-)-☆

地名の由来に感心しつつ頭上を仰げば、ビルの谷間の桜もようやく色付いたところでした!
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紀尾井町ビルの敷地を抜け、次なるスポットに向かう途中の文芸春秋社の前にも、立派な石垣が残ってましたよw(@o@)w
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さらに「ぶらり」を続け永田町に向かう途中、今度は工事中のフェンスが張り巡らされた一角があり・・・

フェンスには「旧李王家東京邸の歴史」などの文字も見え、中の建物の絵なども描かれていました(゜o゜)
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言うまでも無く歴史的建造物なのですが、工事中とあっては致し方無しと思っていたら・・・

何と運の良いことに、ちょうど工事用車両が出て行くタイミングに当たったので、開口部から建物を見ることが出来ました(*^^)v
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「旧李王家東京邸」と書けば、何の工事現場なのかお分かりになる方もいらっしゃるでしょうが、今日のところは記事もだいぶ長くなりましたので、何の工事だったかは次の記事でご紹介させていただきます!