麹町から霞が関を「ぶらり」~その三~ | 散歩おじさんの「ぶらりWalk」

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散歩おじさんが街中やら、公園やらを「ぶらり」した様子を載せています(^.^)

今日は房総半島の中ほど辺りまで出かけたのですが、午前中は好天に恵まれ気持ち良く「ぶらり」することが出来ましたよ(^_-)-☆

ただ青空は気持ち良かったものの、気温は低かったですよね~(^_^;

さて記事の方は麹町から霞が関を「ぶらり」の3回目です! 今日で最終回にしたいと思いますので、ちょっと画像が多めになりますが、よろしければお付き合いくださいな(^.^)

「その二」の最後にご紹介した「旧李王家東京邸」のキャプションに、「何の工事現場なのかお分かりになる方もいらっしゃるでしょうが・・・」という様なことを書きまして、実際ズバリ正解のコメントを下さった方もいらっしゃったのですが、その工事現場とは「赤坂プリンス」の解体工事現場だったのですよ~!
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この手の画像は、解体工法を報じるニュースなどでも流れてましたので、似たような画像を見た方もいらっしゃるかもしれませんね!

因みにビルの上部に黒っぽく見える部分で解体の現場を覆い、その中で解体を進めるという工法なのだそうです!

ニュースでは、今後老朽化により解体される高層ビルがどんどん出てくる事が予想されるので、建築会社では高層建築の解体の方法を開発している・・・という様な事が報じられてましたが・・・

・・・ってことは、作る時点では壊す方法は考えて無かったってことなの(?。?)

まあ解体の方法をいつ考えたかはともかく、事故の無いように工事を進めてもらいたいものです!

解体されている「赤プリ」を見上げる場所には、江戸城の赤坂見附跡があります(^^)
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「見附跡」より遥か後に作られた「赤プリ」の解体を「見附跡」が見上げてると言うのも、なんだか面白い眺めでしたよ!

赤坂見附の所で国道246号(青山通り)を渡ると、参議院議長公邸があるのですが、そこにも松江藩松平家の石垣が残っていました!
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石垣埋め込まれているプレートは「東京女学館発祥の地」という物で、東京女学館がこの地で開校したとの説明が書かれていました!

参院議長公邸から246号を皇居の方に向かって進むとやがて「三宅坂」でお堀に突き当たるのですが、三宅坂の交差点をお堀の方に渡らず、手前の坂を上ると、ご存じ国会議事堂前に出ますよ(^_-)-☆
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それにしても当日の天候故にこういう画像になったのですが、なんだか議事堂の上に暗雲がたれ込めてるように見えるのは気のせいでしょうか(;^_^A アセアセ・・・

「その一」の記事に書きましたが、実際に歩いたのは11月17日でして、奇しくも衆院解散の翌日でした!

・・・ので、ここには議員さんが居ないという状況だったのでしょうねぇ!?
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それにしても相変わらず警察の車両も多く、散歩おじさんが議事堂の写真を撮ってる時も、背後にはパトカーが止まってたくらいの警備の状況でした(^_^;
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なんだか不穏な動きをしたら、たちまち職務質問かなんかされそうで、落ち着かないですね(^^ゞ

議事堂前にあります憲政会館の辺りは井伊家屋敷跡だそうです!
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え~っと・・・「その一」の記事ではホテルニューオータニが井伊家の屋敷跡ってご紹介したのですが、あちらは中屋敷跡だそうで、こちらには上屋敷があったのだとかw(@o@)w

いくら大名とは言え、呆れるほどの広さのお屋敷を2つも3つも持ってたってんですから驚きですよね~!

ところで井伊大老が暗殺されたのは、「桜田門外の変」とも言われるように桜田門外である事を念頭に、↑の画像をもう一度見ていただきたいのですが・・・

画像に写っている2本のアンテナ塔のうち、左側は警視庁のアンテナです!

桜田門の真ん前に建っていることから、警視庁の事を俗に「桜田門」なんて言う事もあるそうですが・・・ってことは、井伊直弼の暗殺現場は、あのアンテナ塔の近くってことですよねぇ!?

こうしてみると井伊直弼が暗殺された現場が、屋敷から近かったことも分かって、なかなか興味深かったです!

その桜田門は足場とネットに覆われて、なにやら修復工事中の様でした!
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そして警視庁の通りを挟んだ向かいは法務省旧本館なのですが、そこには米沢藩上杉家の屋敷があったそうで、その事を示すオブジェがあり、台座に当時の絵図が描かれているのも面白かったです(^^♪
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最後は日比谷公園の方に向かって「ぶらり」を終えたのですが、そのわずかな距離の間にも石垣がありまして、尻尾まであんこが詰まった「たいやき」の様に、最後まで楽しめましたよ(^笑^)
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あっ・・・最後の石垣は福岡藩黒田家上屋敷の物だそうですが、あった場所は外務省の敷地です!

明治維新の直後からこの場所が外務省として使われ、その後も一貫して外務省であったので、石垣も綺麗な形で残っているのだそうですよ(^.^)

さてさて、最後はちょっと画像も多めで記事も長めになっちゃいましたが、江戸幕府の中枢とも言うべき辺りの「ぶらり」のご紹介でした!

連載にお付き合いくださったみなさん、いつもながらありがとうございました<m(__)m>