第五福竜丸展示館 | 散歩おじさんの「ぶらりWalk」

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散歩おじさんが街中やら、公園やらを「ぶらり」した様子を載せています(^.^)

今日の昼間は気温もちょうど良く、穏やかな天気だった散歩おじさん地方ですが、週末はまたも天気が思わしくないようですね~(+o+)

平日の天気が良いのが、よけいに忌々しいです(^_^;

まあ天気に文句言っても始まらないので、空模様を見ながら週末を過ごすことにしましょう!

さて今日の記事は、昨日までアップした「夢の島熱帯植物館」と同じ公園内にあります「第五福竜丸展示館」です!

ご存じの方も多いと思いますが、「第五福竜丸」とは、1954年(昭和29年)3月1日に、太平洋のビキニ環礁でアメリカが行った水爆実験により、放射性物質を多量に含んだサンゴ礁のチリを浴びる被害を受けたマグロ漁船です。

放射性物質を含んだチリは「死の灰」と呼ばれ、これにより乗組員全員が急性放射能症になり、その内の一人、久保山愛吉さんが亡くなるという痛ましい事件でした。

実はここも2008年に一度アップしていまして、そちらでもう少し細かく記述していますので、よろしければ↓のリンクからご覧ください!


ところで今回は館の外にある塚と碑から、放射能による汚染や被害の痛ましさを感じ、福島の原発事故による被害も思い起こされましたので再び記事にしました。

こちらは「マグロ塚」です。
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塚のそばにあった説明板に拠れば・・・

(前略)米国が太平洋のビキニ環礁でおこなった水爆実験で被曝した第五福竜丸から、放射能に汚染された魚が水揚げされ、消費者の手に渡る前に中央卸売市場築地市場の一角に埋められました。このような核の被害が再び起きないことを願って、「築地にマグロ塚を作る会」は募金活動を行い、募金に参加した大勢の子どもたちと共にマグロ塚を作りました。(後略)
願わくは、福島沖合で獲れた魚の塚なんて物が、現実になりませんように・・・

イメージ 2マグロ塚のすぐそばには、「第五福竜丸事件」で亡くなった、久保山愛吉さんを悼む碑が建てられています。

碑文には「原水爆の被害者は わたしを最後にしてほしい」という、久保山愛吉さんの言葉が刻まれています。
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碑文の言葉は久保山さんの悲痛な叫びだったのでしょうけど、その久保山さんも、57年後の今、原水爆ならぬ原発の事故で、日本人が放射能の危険に晒される事態になろうとは想像もしなかったことでしょう。

続いて、少し館内の様子もご紹介します!

「第五福竜丸」の船尾付近から船首に向けて撮った画像です!
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奥の方に人が立っているの、お判りになりますか(?。?)

人との対比で見ていただくと、船体の大きさもご想像いただけるかと思います!

船体の脇には見学用のデッキがあって、そこに上がると甲板を見ることが出来ますよ!
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それにしても、逃げ場の無い洋上で、ここに死の灰が降り積もったのかと思うと、ゾッとしますね!