誕生寺と鯛の浦(^.^) | 散歩おじさんの「ぶらりWalk」

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散歩おじさんが街中やら、公園やらを「ぶらり」した様子を載せています(^.^)

今日、散歩おじさんは今年初のセミの声を聞きましたv(。・・。)イエッ♪

どうやら一匹だけのようでしたので、せっかちなのが早くも鳴き始めたかなとも思ったのですが、今日の散歩おじさん地方は「梅雨明けしちゃったの(?。?)」って思えるような天気でしたので、セミの方が気象庁より敏感に反応したのかもしれませんね

さて7月11日の日曜日、千葉県は大多喜町の麻綿原高原で紫陽花を楽しんだ散歩おじさんは、その後太平洋に向かって山を降り、鴨川市の小湊に向かいました(^.^)

小湊という町は、今では鴨川市小湊ですが、鴨川市と合併する前は安房郡天津小湊(あまつこみなと)町という町名だったんですよ!

町村合併のメリットもいろいろあるのでしょうが、地名に関しては旧町名の方が良かった・・・というようなケースが少なからずあるように感じますが、いかがでしょうか?

千葉県の小湊と言えば有名なのが「誕生寺」!

ご存知、日蓮宗の「日蓮聖人」生誕の地に建立されたというお寺ですチョキ

1276年(建治2年)10月、日蓮の弟子の日家が日蓮の生家跡に、高光山日蓮誕生寺として建立。
しかし、その後、1498年(明応7年)、1703年(元禄16年)の2度の大地震、大津波に遭い、現在地に移転された。

~Wikipediaより~

仁王門(千葉県指定有形文化財)は1705の建立との事ですが、「1758年の大火災にて諸堂全焼せるも類焼を免れる」という説明が書かれていました(@o@)ホォ~!
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門には「日蓮大聖人御降誕800年に向かって」と書かれた大きな板が掲げられてましたが、その期日は「平成33年(2021年)2月16日」となっていました!

いつから掲げられているのか分かりませんが、今年から数えても10年に渡る大プロジェクトですね~目

こちらの「誕生堂」の中には、日蓮聖人御幼像と御両親像が奉安されていまして、お堂の外から拝見することが出来ますよ(^.^)
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イメージ 3仁王門の内側の境内には「日蓮大聖人ご幼像」という像がありました!
 
傍らに立っていた説明板によりますと、12歳の時のお姿の銅像で、昭和10年に60世上人が造立されたとの事でしたよ

こちらは「祖師堂」だそうです!
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特にそこが見どころという説明があったわけではないのですが、散歩おじさんは彫刻に目をひかれました(^_-)-☆

さて、小湊にはもう一つ有名な観光の場所として「鯛の浦」があります!

誕生寺の目の前の海の事なのですが、日蓮が誕生した際に鯛が舞い踊ったという話が伝わっていて、昔から手漕ぎの和船で鯛を見物させるような事をしていたのだそうです

鯛が日蓮の生誕を祝って舞い踊ったのかどうかはともかくとして、ここの鯛は「特別天然記念物」に指定されているんですよ!

それというのも、鯛(マダイ)は本来、比較的水深の深い所を回遊する魚だそうで、ここのように浅い(水深10~20m)所に群で居付くことは無いのだそうです目ヘェ~!?

現在の遊覧船は、さすがに手漕ぎの和船ではなくこういう船ですよv(。・・。)イエッ♪
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もちろん乗って来ましたが、この日は波が高かったようで、防波堤の外に出た途端に船がエラク揺れて大変でした~(^_^;

この岩礁のことについても船内の放送で何やら説明してましたが、船の動揺に耐えて写真を撮るのに夢中で、良く聞き取れませんでしたよ(^O^;タハハッ!
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左が「小弁天島」、右が「大弁天島」です!
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「島」とは言うものの、ご覧の通り実態は岩ですよね(^_^;

そして、この二つの島の辺りが「妙の浦」と呼ばれているそうですv(。・・。)イエッ♪

・・・って、「鯛の浦」かと思ってたら、いきなり「妙の浦」が出てきて驚かれましたか((^┰^))ゞ テヘヘ

「鯛の浦」と「妙の浦」については、遊覧船の船着場の資料館にあった説明によりますと・・・
・・・(前略)・・・日蓮宗門の一高僧が、聖人の主唱された妙法蓮華経の五字を配し妙の浦、法が台、蓮華が淵、経巻掘と名づけました。
鯛の出現するこの“鯛の浦”は、ほぼ発音が同じなので、妙の浦と名づけられたといわれています。
住民はこの命名以後、この浦を“妙の浦”と呼び親しんできたのですが、観光的な名声は“鯛の浦”のほうが高く、特別天然記念物指定での名称も文化庁は“鯛の浦”としております。
観光的名称は“鯛の浦”地名的名称は“妙の浦”とご理解いただきたいと存じます。
・・・ということだそうです!

なるほど「鯛」の音に「妙法蓮華経」の「妙」の字を当てたわけですね(^_-)-☆

それにしても、戦中、戦後の食糧難の時代にも、この土地では鯛を捕って食べようという人は、一人もいなかったと言いますから、信仰とも相まって鯛が本当に大切にされてきたのですね!

ところで船頭さんたちの着ているこの半纏、最近になって70年ぶりに復活したものだそうですよ(^.^)
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躍動感のある鯛の図柄がカッコイイのですが、船頭さんたちにも好評なんですって~!

こちらは港に戻る途中の眺めですが、誕生寺祖師堂の屋根が画面ほぼ中央に見えているの、お分かりになりますか(?。?)
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↑の「誕生寺」の説明にある通り、二度の津波でお寺の場所は変わっているそうですが、場所はともかくとして、海上から漁師さんたちがお寺の建物を眺めて、漁の無事や豊漁を祈ったであろうことが想像できますよね(^_-)-☆

以上、「誕生寺」と「鯛の浦」のレポートでした~\(^o^)/

・・・えっ?「鯛の浦」の鯛はどうしたのかって?

もちろん見てきましたよv(。・・。)イエッ♪

港に戻る途中で一度船を止めて、船頭さんがエサを撒いてくれますから、船の周りにワラワラと集まる鯛を見ることができましたグッド!

・・・えっ?写真ですか?

いや~っ・・・何枚か撮ったんですが、全滅でした~(^O^;タハハッ!

晴れていて水中に光が差し込んでいてくれれば、まだどうにかなったかも知れないのですが、ご覧の通りのあいにくの空模様でしたので、水中が暗くて、肉眼では十分見見えましたが、写真はダメでした((^┰^))ゞ テヘヘ