今日の東京は一日中雨でした!今夜にかけて雨脚が強くなって、明日まで降り続くそうです(+o+)
さて、新宿御苑の記事を続けてアップしてきましたが、ようやく四谷~新宿散策に戻ります(^^ゞ
先日の記事で、「坂が多かったですよ!」というような事を書いたのですが、この辺りはJRの駅名を並べても、「市ヶ谷」,「四ツ谷」,「千駄ヶ谷」など、「谷」の付く地名が多いんですよねぇ!
やはり元々、谷地だったのでしょうか?そのせいで坂が多いんでしょうかね~?
まあ、ホントのところは分かりませんが、そういうことですので(どういうことだろう?)、散策中に通った、あるいは見かけた坂などを中心にご紹介します(^.^)
闇坂(くらやみざか)です!
「闇」一文字で「くらやみ」と読ませていますネ(゜o゜)
坂の両側のお寺の木々が繁って、薄暗かった事からこう呼ばれたそうです!
狭くてかなり急な坂です!
江戸の人たちは下駄や草履でしょうから、雨でも降ったら難儀したんじゃないでしょうかねぇ(^_^;
「闇」一文字で「くらやみ」と読ませていますネ(゜o゜)
坂の両側のお寺の木々が繁って、薄暗かった事からこう呼ばれたそうです!
狭くてかなり急な坂です!
江戸の人たちは下駄や草履でしょうから、雨でも降ったら難儀したんじゃないでしょうかねぇ(^_^;
戒行寺坂!
お察しの通り、坂の途中にあるお寺の名前から、名付けられたそうです(^.^)
別名が油揚坂!昔、坂の途中にお豆腐やさんがあって、質の良い油揚げを作っていたことから、そう呼ばれたそうですよ(^O^)
お察しの通り、坂の途中にあるお寺の名前から、名付けられたそうです(^.^)
別名が油揚坂!昔、坂の途中にお豆腐やさんがあって、質の良い油揚げを作っていたことから、そう呼ばれたそうですよ(^O^)
こちらは出羽坂です!
明治維新後、坂上にに旧松江藩主であった松平伯爵の屋敷が、移転してきたためこう呼ばれるようになった・・・という説明がありまして、「ふ~ん・・・」って読んできたんですが、実は良く分かっていませんでした(^^ゞ
調べてみたら、松平家が「出羽守(ではのかみ)」だったことからのようですね!
明治維新後、坂上にに旧松江藩主であった松平伯爵の屋敷が、移転してきたためこう呼ばれるようになった・・・という説明がありまして、「ふ~ん・・・」って読んできたんですが、実は良く分かっていませんでした(^^ゞ
調べてみたら、松平家が「出羽守(ではのかみ)」だったことからのようですね!
さて、坂はこのくらいにしまして、今回の散策で最後に立ち寄りました神社をご覧ください(^.^)
「多武峯(とおのみね)神社」です!
新宿は元々、内藤新宿と呼ばれていたそうで、内藤というのは武家の苗字です!
その内藤家の初代が先祖を祀った神社を建てたのが由来だそうですよ(^.^)
新宿といえば言わずと知れた繁華街ですが、そのすぐ近くにこうした神社が残っているのも、面白いですね!
新宿は元々、内藤新宿と呼ばれていたそうで、内藤というのは武家の苗字です!
その内藤家の初代が先祖を祀った神社を建てたのが由来だそうですよ(^.^)
新宿といえば言わずと知れた繁華街ですが、そのすぐ近くにこうした神社が残っているのも、面白いですね!
その多武峯神社にあった「駿馬塚」です!
伝説があるそうで・・・
ある時、徳川家康が家臣の内藤清成という人を呼び出して、「馬で一息に回れるだけの土地を与える」といったそうな!
内藤清成は駿馬にまたがり、えらく広い土地を走り回って手に入れたのだが、馬は疲れ果てて死んでしまったそうじゃ。そこで大樫の木の下に埋めたのが駿馬塚というわけじゃ!
伝説があるそうで・・・
ある時、徳川家康が家臣の内藤清成という人を呼び出して、「馬で一息に回れるだけの土地を与える」といったそうな!
内藤清成は駿馬にまたがり、えらく広い土地を走り回って手に入れたのだが、馬は疲れ果てて死んでしまったそうじゃ。そこで大樫の木の下に埋めたのが駿馬塚というわけじゃ!
・・・あれ?昔話をするおじいさんになっちゃったよ(^^ゞ
最後は神社の近くで見つけた昔の町名です!
昔からお住まいなのだろうな~・・・と思われる、時代を感じさせる素敵なお宅の門柱に掲げられていました!
四谷區!しかも右からっていうのが泣かせますね~\(^o^)/
昔からお住まいなのだろうな~・・・と思われる、時代を感じさせる素敵なお宅の門柱に掲げられていました!
四谷區!しかも右からっていうのが泣かせますね~\(^o^)/