第五福竜丸~夢の島公園~ | 散歩おじさんの「ぶらりWalk」

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昨日は夢の島公園の熱帯植物館で花に浮かれた記事をアップしましたが、今日は同じ公園内にある施設でも、少し趣が異なります。

皆さんは「第五福竜丸」という船をご存知でしょうか?
先の大戦後、太平洋上でアメリカの行った水爆実験の「死の灰」を浴び、乗組員の一人が亡くなったという事件の船です。

夢の島公園にはその第五福竜丸が保存されています。
熱帯植物館の後、「第五福竜丸展示館」に行きました。

上の説明ではあまりにも要約しすぎていますので・・・
 1954年3月1日未明、静岡県焼津港所属の遠洋マグロはえ縄漁船、第五福竜丸は、太平洋マーシャル諸島のビキニ環礁から東160キロの公海上で操業中に、アメリカの水爆実験によって被災しました。23名の乗組員全員が放射性降下物、いわゆる「死の灰」を浴び、無線長の久保山愛吉さんが半年後の9月23日に亡くなられました。
 第五福竜丸のビキニ被災事件をきっかけに、広島・長崎の記憶が改めていっそう身近なものとしてよみがえり、原水爆はごめんだという気持ちが日本国民一人ひとりの心に深く刻まれました。
 この展示館は、第五福竜丸の保存を求める多くの国民の平和への願いにこたえて、東京都により建設され、1976年6月に開館しました。(後略)
館内掲示の「ごあいさつ」より

イメージ 1展示館全景です。
事件後、放射能除去処理の終わった第五福竜丸は東京水産大学の練習船になり、その後、老朽化により廃船になった後は夢の島のとなりの埋立地に打ち捨てられていたそうです。
 
それが東京都職員に発見されると保存運動が起こり、引用しました「ごあいさつ」にもあるとおり、このような施設が作られ保管されているそうです。

イメージ 2入るとまず目を引くのが千羽鶴です。
見ると全国いろんな所の小中学校から送られて来ているようです。
 
犠牲者を悼む気持ちも、もちろんあるでしょうが、添えられた寄せ書きには「世界がいつまでも平和でありますように」というような文字が見て取れました!

イメージ 3船首部分です。
 
木造船とはいえマグロの遠洋漁業の漁船ですから、かなりの大きさですよ!

イメージ 4左舷側を船尾から船首方向に向いて撮っています。
 
全長約30mといっても分かりづらいと思いますが、下に詰まれた椅子や左の壁沿いの展示物などから大きさを想像してください。

イメージ 5第五福竜丸が浴びた「死の灰」です!
 
放射能に汚染されたというよりは、放射性物質そのものが降ってきたわけですから、大変なことですよね!
 
乗組員の方たちも、広島,長崎の事は知っていたかも知れませんが、実際の対処方法などは知っていたんでしょうか?

イメージ 6被災した後、焼津港に戻ってからはめくられなくなったカレンダーです!

原子力発電などというものもあるわけですから、平和利用することも可能だとは思いますが、やはり使い方を誤ると悲しい結果が待っていますね。

広島、長崎は世界的にも有名ですし、毎年その日が来るといろんな式典なども大々的に催されていますが、この第五福竜丸のような歴史も風化させてはいけないですね!