谷中散策~谷中霊園など~ | 散歩おじさんの「ぶらりWalk」

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散歩おじさんが街中やら、公園やらを「ぶらり」した様子を載せています(^.^)

今日の東京は日は出ているものの、靄みたいなのがかかって、少し離れたビルなどは霞んで見える、そんな天気でした。

さて、バラの記事も2日続きましたし、今日は谷中散策の続きをご覧下さい(^^)
今回は先日ご紹介した「旧吉田屋酒店」を後にしまして、谷中霊園までをご紹介したいと思います。

イメージ 1「旧吉田屋酒店」と通りを隔てた隣に見つけた建物です!
なかなか味のある建物じゃないですしょうか!
 
看板にコーヒーの文字が見えます!喫茶店のようですね(~o~)

イメージ 2この看板がまた、良いじゃないですか?
 
ところが、残念なことに入口には「当分の間 お休みさせて頂きます」の貼り紙がありました。
 
そして、その貼り紙の様子から察するに、既にかなり「当分」休まれているようで、ことによると当分を永遠に読み替えなきゃいけないかな・・・っていうような雰囲気でしたよ(・・;)

イメージ 3こちらは「SCAI THE BATHHOUSE(スカイザバスハウス)」というギャラリーです!
海外のアーティストや日本の若手などを積極的に紹介している、現代美術ギャラリーとのことです。
 
え~と、興味のある方には中も楽しみなんでしょうけど、散歩おじさんが興味を示したのは、その外観でして・・・
名前(バスハウス)が示すように、銭湯を改装してギャラリーにしたそうです(~o~)
 
もともとは「柏湯」という銭湯で、なんと200年の歴史を誇った銭湯だったということです(゚ロ゚屮)屮おぉ!!

さて、いよいよ谷中霊園です!ここは有名人のお墓がたくさんあって、それをお目当てに人が集まる所でもあります!
園内の案内板にも有名人のお墓情報が表示されてますよ(^.^)

普通の墓地に、散策を目的で足を踏み入れることは、まず無いと思いますが、ここはむしろ散策目的または、単に駅に向かって通過するという人の方が多いような気さえします(゚ー゚;A
 
ただ、そうはいってもあくまでも霊園ですので、墓参に来られている家族連れや、法要で来られたのか、黒ネクタイの方々などもいますよ。そういう方たちと散歩おじさんのような散策組が通路を行き交うわけですから、ちょっと奇異な感じがしないわけでもありません!!

イメージ 4霊園のほぼ中央を貫く、一番広い通路ですよ!
 
言い方は変ですけど、霊園内のメイン・ストリートといったところでしょうか。

ところで、いくらお墓の場所を案内してくれているとはいえ、よそ様のお墓を写真に撮ったりブログでご紹介したりするというのは、さすがに憚られると思いましたので、今回はそういう写真は無しにしました(^_^;

ただ、この方だけはガイドブックやこのエリアを紹介するHPなどにも写真入りで紹介されているので、大丈夫だと思います!
イメージ 5徳川慶喜公です!
 
当然ながら、三つ葉葵の御紋ですな~!
 
篤姫の影響もあるのか、この日も散歩おじさんに「慶喜公のお墓はどこですか?」って聞いてくる方が何人かいましたよ(^^)
 
それにしても、散歩おじさんも初めてだったのに、何で聞かれたんだろう(?o?)
 
知ってそうな顔をしてたのかな???

イメージ 6柵があって墓前まではいけないのですが、柵の間から充分に見ることができますよ!

イメージ 7あっ!これは、墓石ではありませんから差し支えないでしょう。
 
全部の有名人のお墓にこういう表示が有るわけではありませんので、気をつけないと見逃す危険性があります(^_^;
 
ちなみに、横山大観(日本画家)と鳩山一郎(内閣総理大臣)のお墓は、なんと隣同士でしたよ(゜o゜)

イメージ 8天王寺五重塔跡です!
 
詳細は、立てられていた案内板の記述でご紹介します(^.^)

谷中の天王寺は、元日蓮宗.長耀山感応寺尊重院と称し、道灌山の関小次郎長耀に由来する古刹である。寛永寺の開祖、天海が死んだ正保元年(1644)に最初の五重塔は完成した。この塔は明和9年(1771)目黒行人坂の火事で焼失し、19年後の、寛政3年(1791)に近江国高島郡の棟梁八田清兵衛ら48人によって再建された五重塔は幸田露伴の「五重塔」のモデルとしても知られている。総ケヤキ造りで高さ11丈2尺8寸(34.18メートル)は関東で一番高い塔であった。明治41年(1908)6月東京市に寄贈され、震災、戦災にも遭遇せず、谷中のランドマークになっていたが、昭和32年7月6日放火により焼失した。(後略)
(案内板の説明より)

イメージ 9霊園内も含めて、町の随所にこのような案内が立っているんですよ!
 
旧町域なども地図で示されていますから、散策のおりに参考にすると楽しめますね(^^)
 
画像では読めないと思いますので、説明の冒頭だけですが・・・

初音町という町名は、谷中初音町三丁目から四丁目にかけたところに鴬谷と呼ばれるところがあったことから、鴬の初音にちなんで付けられた。初音とは、その年に初めて鳴く鴬などの声のことである。
なんとも洒落た町名ですね~(^_^) この案内が立っていた所は、現在は「谷中5丁目」と呼ばれているようですね。鶯谷という名もJRの駅名に残っているだけのようです(-_-;
古い町名などを聞くと「昔の町名の方が風情があって良かったね」・・・というようなことってありますよね!?

さて、最後はオマケということもありませんが、ちょっと笑える表示を見つけましたので・・・

イメージ 10谷中霊園に向かう通りで見かけた案内表示です!
 
特におかしなことが書いてあるわけじゃないんですが、ずいぶんと大雑把な避難場所の表示だな・・・と思いまして(^_^;