日本語教育なんて大層な。
別に特に何にもやってないくせに。
現在の娘らの日本語能力は、長女は会話に関してはほとんど問題ない。テレビドラマとかもはまって観ていたので、現代風の言い回しも可能。日本でも一人であちこちに遊びに行ったり、買い物に行ったりできるし、他人と日本語で会話することもできる。敬語、謙譲語はイマイチだが、良いせんはいってる。一か月ぐらい日本語漬けにしたら、習得できると思う。書くのはダメ。小学三年生ぐらいまでの漢字は読み書きOK。日本の漫画は振り仮名がついているのでぜんぶOK。たくさんコミックを持っています。わたしとは90%は日本語での会話です。
彼女の漫画コレクションのほんの一部。
次女は、聞き取ることはOK。機嫌のいい時はわたしとは日本語で話す。機嫌が悪く、わたしに対して文句を言ったりする場合は間違いなくドイツ語。ドイツ語のほうが断然罵り言葉のバリエーションは多いですからね。ひらがなカタカナは全部読めますが、漢字はほんの少しです。最近はやっと日本語が話せたほうが便利ということに気がついて、彼女なりに努力して日本語を話そうとしています。ただ、わたしとかわたしの日本の家族以外の人と日本語で会話することはとても苦手で、日本での買い物も難儀しています。これは性格的な問題かもしれませんけど。
姉妹同士の会話はどうかと言えば、込み入った会話はドイツ語です。しかし、気軽な日常会話は日本語でやったりしています。
このように、どちらかというと、日本語に関しては長女のほうが身についていると思われます。
長女と次女と、違うところは、長女は準一年生(幼稚園の最終学年の年齢)から小学校二年生まで、日本語補習校に週一回通いましたが、次女は行っていないことです。
日本語補習校に行ってとてもよかったことは、日本語の基礎を学ぶとか、漢字を覚えるとか、そういったことよりも、娘が、他人が話している日本語をたっぷり聞く機会があったことです。たとえばお友達同士が(特に赴任で来ているご両親のお子様など)自然な日本語で会話しているのを聞くこと。その会話に参加できなかったとしても、日本語を体得するのにとても有効だったと思います。あと、わたしがほかの日本人の方々とお話しするのを聞くのも役に立ったと思う。この、容赦なしの日本語のシャワーを浴びることが出来たことが最も有効だったと思いますね。
次女にはこの機会が与えられませんでした。
あと、長女と次女の違いは、長女が幼い頃は、わたしと母子べったりの日本語オンリーに近い環境だったのに対して、次女が小さい頃は、長女もお友達と遊ぶような年頃になっており、長女のお友達なんかも頻繁に我が家に来ていたこともあって、生活言語が、ドイツ語になってしまっていたことです。しかし、こればかりは仕方がない。
長女が小学校の時に、彼女は気が弱くて、他人の前で発言するのが苦手なタイプだったのですが、担任の先生が「これはドイツ語が苦手なせいだと思われるから、家庭の言語もドイツ語に統一するほうが良い」とのアドバイスをもらいました。しかし、この時は、発言しないのは性格のせいだと確信していたし、ドイツ語の本も読むし、ドイツ語能力には別段何の心配もないということがわかっていましたので、そのアドバイスには従いませんでした。従わないどころか、担任の先生に「子供はどの言語であろうと、完璧な国語で育てられるべきと思っており、わたしはわたしの残念なドイツ語で娘と会話しようとは思っていない。夫は不在がちとは言え、生活環境はドイツにあるわけで、親戚も近所の人たちもドイツ語話者という環境にあるので、娘のドイツ語能力に問題はないと確信している。さて、貴女はこの手紙を読んで、この文法の不完全さからわたしのドイツ語能力の程度がお分かりだろう。こんな話者に、娘の大事な国語習得の一端を担えるとお思いですか?」という内容の自虐を含んだ手紙を書いた。
まあ、この類のアドバイスを受けた人はわたしだけではなく、外国在住者のブログで同じような経験をした方の記述を何度も見たことがあります。
娘二人をみていて思うことは、言語習得能力っていうのは人によってだいぶ違いがあるのかもしれないなあ、ということです。もしも次女が長女と同じように補習校に通っていたとして、同じように日本語をあやつるようになっていたかどうかは、ちょっと疑問です。これは、能力の高低ではなくて、すごく大雑把に言えば「向き不向き」。やっぱり、人には努力だけではいかんともしがたい部分はあるのかもな、と感じる。
それから、これもいい悪いの問題ではないんだけど、日本文化に対する興味は、長女のほうが断然高かった。たとえば幼児番組なんか、日本のヴィデオ(VTR!!懐かしい!)いつも好んで見ていました。ドイツの番組よりはるかに好きだった。本も読んで欲しがったのは日本語の絵本。大きくなってからも日本のテレビドラマなんかを楽しみに観て、漫画も日本に行くたびにシリーズで大人買いし、担いで持って帰ってきていた。だから、日本語もそのために自然に覚えたという面はある。
次女はその点、娯楽関係はドイツのものだけを好みました。あるいはイギリスの番組。日本のアニメ、たとえば「おジャ魔女」とか、長女と一緒にみせようと思ったけど、すぐ泣いちゃう。日本の番組は、子供のアニメでも、なんと言うか、涙腺を刺激するストーリーが織り交ぜてあることがとても多く、亡くなったお母さんを思い出して「ままーっ、ままーっ」と叫ぶ件とか、離婚したお父さんが子供にだけ会いに来て、「おとうさーん」とか。あと友情関係のストーリーで、涙を誘われたり。そういうのに次女はとても弱く、幼少のころから日本のアニメ見ては泣くことを繰り返した挙句、「もうわたし、泣かなきゃいけないから、にほんのは見ない」ということになっちゃったんです。なにしろ「ポニョ」で泣きましたからね。理解の範疇を越えてる。
思い出してみれば、読み聞かせで選んだ「泣いたあかおに」。これはもう、大変な事態を巻き起こしましたよ。あれは夜読むもんじゃない。わんわん号泣し、なだめるのに苦労した挙句、即興であおおにが戻ってくるストーリーを作り上げて、ハッピーエンドにしましたよ。
次女は、日本のものは、感情が揺さぶられすぎて、辛い思いをするので、手を出さなくなっちゃったんです。
処分できない児童書。
家庭での言語は、子供とわたしだけだったら、わたしが発する言語はほとんどが日本語です。子供の返事は何語で来るかはさまざま。だいたいは日本語で返ってくることが多いかな。そこに夫が入ると会話はすべてドイツ語に切り替わります。夫は日本にさして興味がないので、日本語を習得しようとは夢にも思ったことがありません。ただ、娘たちには日本語を習得させたほうが良いと思っているので、補習校通学も協力したのです。
いますべてドイツ語に切り替わると書きましたが、厳密に言えば、夫にあまり知られたくないことを娘と話すときは日本語です。これも失礼な話なんだけどね。
でも、面白いことに、わたしと娘が日本語で会話している場合、夫は何のことを話しているのかテーマぐらいはわかるんです。さすが20年以上わたしと一緒にいるだけあります。
よく、言語をごちゃまぜに話してはいけないなどとアドバイスを受けますが、子供がまだ言語をどんどん吸収している時期は、やはり話者によって言語の統一は必要かなと思います。
しかし、今ではついつい手を抜いて、次女に向かって「ねえ、お部屋アウフロイメンしなさいよ。すっごくシュムッツィックじゃんか」(部屋かたずけなさい、すごく汚いじゃん)とか、ドイツ語の単語を織り交ぜちゃったりしますね。これは絶対に避けるべきと主張する人が多いです。そうだろうな、と思います。
喜ばしいことは、次女も最近、お姉ちゃんが読んでいる日本のファッション雑誌などにも興味が出てきたこともあり、日本語に対して積極的になってきた様子がうかがえます。「わたしも日本語ちゃんとわかりたい!」と宣言しました。(わかりたい、というのは正しくない気がするけど、訂正しなかった。わかるようになりたい、でしょうね)
こちらも、だから次女に対して、意識して日本語のみを使うように努力しているところです。
長女が職業訓練のために自宅を出てから、仲がすごく良くなった姉妹。そして長女は次女との会話に日本語使用する率が高くなりました。どうしてだろう?
さんぼ




