ながーい仲間とのリユニオン ウインドサーフィン実業団 | KIKIとウインドサーフィンとハワイ移住のブログ

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ウインドサーファーとして夢見ていたハワイでの長期滞在
KIKIの誕生で思わぬきっかけが舞い降りてきました
米国の教育を受けさせることを心に決め、ハワイ移住
家族、仕事、療育・・乗り越えなくてはならない障壁は
多くその試行錯誤を綴っていきます

 

ウインドサーフィンのまち

 

ウインドサーフィンのゲレンデは、いつも三浦半島の西側で、

由比ガ浜、葉山森戸海岸、に数十年。

会社の保養所がなくなってからは、根無し草になってしまい、

とうとう湘南も離れ、沖縄の海中道路で遊ぶくらい。

 

海で長く遊んでいるのに、

一年中、クロスウインドが楽しめる三浦半島の南側に通ったのは、数えるくらいです。

夏になれば、三浦海岸は華やかになり、

外国人でもにぎわう三崎港も一大観光地。

 

それよりウインドサーファーたちになじみのあるゲレンデは、

津久井浜。

ビキニのお嬢さんだの、外国人ツーリストだの、

には縁がすくないけど、

ここで、”ワ-ルドカップ”が開催され、元気の良いウインドサーフィンショップも健在です。

 

 

 

 

 

 

ウインドサーフィン、ってなあに。

なんて時代になってしまい、

津久井浜駅に降り立ったウインドサーファーたちは、

そのバナーに涙がこぼれます。

 

 

ANAウインドサーフィンワールドカップ

 

ところで、
”ワールドカップ”ってなあに?
それに、ウインドサーフィンのワールドカップ?

 

きっとウインドサーフィンを知らなければ、

ごもっともな、はてな。

 

 

 

 

 


ウインドサーフィンワールドカップ、

世界中では途切れず続いていても、

バブル崩壊と共に当時スポンサーだった”日本たばこ”が手を引いてしまい、

日本での開催は長く実現できません。

 

日本の逆風はいろいろあって、

まずは少子化。

それに所得が増えないから、じわじわ上がる機材費が大きな負担。

加えて、同調圧力も強いお国柄で、

スポーツ人口も偏在して、みんな同じスポーツを選びます。

マリンスポーツ人口は急減してしまい、

なかでもウインドサーフィンは風前の灯火。

 

頑張ったのは、ここ津久井浜のウインドサーファーたちで、

地道に自治体とも協力して底辺作りに勤しみます。

そして、

なんと24年ぶり、

2017年に、日本大会が復活開催。

ANA(全日空)の冠を頂きます。

開催地も、静岡・御前崎から、この湘南の一角に変更。

電車一本で見に行けます。

 

 

 

 

 

1985年実業団発足

 

その”ウインドサーフィンのまち”津久井浜、で

昨夜は、その仲間たちのリユニオンパーティー(同窓会)。

今は、JWA(日本ウインドサーフィン協会)に合流した、

社会人ウインドサーフィン団体”全日本実業団ボードセイリング連盟”の仲間がやってきます。

 

通称、”実連”の発足は、1985年。

思えば遠くに来たものです。

以来、2013年にJWAの実業団ディビジョンとして、独立団体としての旗を降ろすまでの

30年近い歴史で、日本全国のウインドサーフィン文化の一翼を担いました。

 

OB、OGだの、後輩たちに会えるのはすごく楽しみ。

電車で一本だし。

が、なにしろ遠い。

ほぼ京浜急行の始点から、終点まで乗るから、ざっと1時間半。

よく毎週のように海に通ってたなあ。

 

 

 

 

 

ウインドサーフィン仲間のリユニオン

 

高校同期のどじょうをつつく会もそろそろ、

目黒区のボランティアオヤジの会のリユニオンで、もつ焼きをたのしんだり、

ハワイの仲間と再会したり、

やたらリユニオンづいていて、いるけど、

気の知った仲間、

居心地の良さって、やっぱりここが一番。

なにしろ、かれこれ40年近く一緒に遊んでいます。

 

海上の津久井浜のオーシャンフロントのレストラン、

”WAO”は素晴らしいロケーション。

目前の海面では、

ウインドサーフィンの疾走が見えます。

 

 

 

 

 

 

かつて全日本選手権では、

各地の予選華やかな時期もあり、

東日本だけで、出艇が300艇!

レースコミッティーがチョー緊張する大会も続きました。

 

 

遊び、競った実業団

 

お遊びと言っても海のスポーツは、命がけ。

ライフジャケット、

曳航用シート、

緊急用のホイッスル、

それに出艇申告に、帰着申告が徹底されます。

セルフレスキューの覚悟を叩きこまれ、

一方では人命レスキュー最優先で、フィニッシュと共に救助活動に切り替え、

なんて過酷なレースも発生します。

 

 

 

 

 

 

でも、いっぱい遊びました。

企業も、マリンスポーツ界も威勢の良かった日本、

企業フリートが集まって、メンバーは1300人に達しました。

企業数も確か、150社ほど。

大手企業がかなりの割合で、加盟していたという時期。

 

レースではニコリともしない水着姿のマッチョな海男子、海女子なのに、

パーティー大好き、

企業合同での遠征大好き。

 

その交流が継続中、ってこれまたすごいなあ。

 

 

 

 

 

 

ビジネスの関わりあい方も、

これだけの年数が経っていて、みんなそれぞれ。

 

 

きっと一生の仲良し

 

仲良し同期組は、JWA顧問の宮崎プロ、

JALフリートのトップセイラーだったMさん、

まだ全員現役、

それに、

まだ海で遊んでいます。

 

誰と話しても、空白の時間はすぐ霞み、昨日もおしゃべりしていたみたいな距離感。

 

 

 

 

 

 

長く在任した3代目理事長大松さんは86歳!

今も、ウインドを楽しみ、

大型のセイルボートでクルージングするスーパーマン。

もちろん今も女子大好き。

 

数十年前のパーティー写真の面影はもうない面々だけど、

何も変わっていないみたいな笑顔。

 

きっと一生仲良し、です。

 

 

 

 

 

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