くだらねえ、とつぶやいて。
私は仕事柄、子供に接する事が多い。
子供といっても、中学生、高校生が主だ。
中学生、高校生のころの自分を思い返してみる。
何をして6年間過ごしていただろうか。
時代が違う、とか、場所が違う、とか
そういうものを通り越して、誰しもその年齢の頃に共通する何かがあるんじゃないかと思う。
くだらないことで本当に、本当にお腹がよじれるくらい笑うこともあったし
くだらないことで友達と喧嘩して言い争いをいて、絶対にもう口を効くこともないと本気で思ったこともある。
日々のすべてがどうしようもなく「くだらない」のだ。
すべての人生に意味があって、存在に価値が見出され、充実した毎日を過ごして。
そんな幻想を放り捨てなければ、我ら悲しきサラリーマンは毎日を戦えない。
自分にしかできない仕事、自分がいなければ回らない社会。
そんな社会があっては困る。けど、そうであってほしい。
王様だって、死んだら次の王様が即位する。
それでも風邪を引いて学校を休んだ日の誰もいない家で過ごす昼下がり、
見慣れない情報番組をぼんやり眺めているときにふと虚しい気持ちになるのは
自分がいなくても何も問題なく時間は過ぎ、普通に一日が終わることを体感させられるからなのでは無いだろうか。
私は、本当に捨てているのだろうか。
自分がいなくなると回らなくなる社会、その可能性をちゃんと捨てられているのだろうか。
人はみな唯一無二の存在であることは確かだ。
だからこそ替えがきく。
同じ機種の冷蔵庫は決して個性を発揮しない。
だからこそ替えがきく。
さて、世の中学生、高校生。
または、世の元・中学生、元・高校生。
あなたという存在がいなくなった時に、どんなことが起こるか、想像してみてほしい。
死とはまた少し違う。
例えば風邪を引いて、この世をしばらく欠席するような事があった時のことをだ。
やっぱり私はすぐに仕事の引き継ぎをしなければ、という安直で現実的なことを直感的に考えた。
誰でもいい、すこしだけ私の代わりをしてもらえないだろうか。
自分にしかできない仕事とか天使のような歌声とか1000年に1人の美少女とか
そういうスペシャルな存在でなくても、
その場の雰囲気をつくる気遣い、優しさ、言葉かけなど、そういうその場の空気を作る力というものこそ、
唯一無二の存在意義なのではないかと思う。
くだらないちょっとしたことに笑ったり喜んだり、悲しんだり怒ったり
そういう日常そのものに意味なんて本当は無くって
だからこそ逆に、
その場の雰囲気を悪くするような言動、態度、不快にさせるような行為
そういうものにも意味はない。
本当の結果は形に残らない。
目には見えない、言動や態度こそ本当に大切にしていくべきだと思う。
思い出せないくらい
くだらない
意味のない
日常
大切な人にこそ、
毎日の一瞬一瞬を大切に生きてほしい。
明日もまた、どこへ行く。
おわり。