Twitterを捨てよ、スタバへゆこう | あなたと飲む水は、プレミアムモルツの味がする。

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トランプのダウトをしたら、ターンが回ってくるたびに誰かに「ダウト!」と言われる系女子です。よろしくお願いします。

Twitterを捨てよ、スタバへゆこう


Twitterに出会ったのは18歳の秋だった。
アカウント名は「ところてんはむはむ」。
なぜこの名前をつけたのか、自分でもよくわからない。

Twitterは私の世界を広げてくれた。
予備校と家の往復しかしていなかった日々に、なんだか心の拠り所ができたとまで感じていた。
現実の友達と、顔も名前も知らない他人、芸能人や政治家までが、「今」何をしているのかを発信している。
私の小さな手の中に収まるこの画面の内側でみんなが暮らしているような感覚。
なぜだろうか、それに私は優越感を感じていた。

しかしそれは次第に現実へ弊害をもたらし始める。
本当は知らなくてもいい誰かの「今」を知ることで、自分の「今」を奪われているような感覚。
その遅れを取り戻すように必死に「今」を演じようとする。
それはもしかしたら誰かの「今」を奪っているかもしれない?

さらに恐怖は加速する。
コミュニケーションのためのツールだったはずのTwitterがだんだんとコンテンツ化し始める。
自虐的な言葉遊びや、誰かをほんのりと不幸にするような見えない駆け引き。匿名の安心感と、越えてはいけない人としてのモラル。

そんな思考が限界に達した時、私は青い鳥を長押しし、Twitterアプリを削除する。
たったこれだけで、私は分相応なサイズの自分の世界に帰ってこられる。
タイムラインを濁流の如く流れる情報。その川から一旦、岸に上がってみるのだ。
すると、自分の思考が研ぎ澄まされていくのを感じる。
140文字の裏側を垣間見ることができる。




「スタバなう♡」

添付された写真には恋の色をした新作のフラペチーノ。
カップに描かれた可愛いニコちゃんマークはカメラ目線でこちらを見据える。
向かい側には少し骨ばった男性の両手がちゃっかりと写り込んでいる。

蒸し暑い電車の中でくたくたの私は、菩薩のような顔でそのツイートを見つめる。
考えることは(このフラペチーノにはおそらくアフリカの子どもが一生に摂取する量よりも多くの砂糖が使われている)。
表情を変えぬままに私は彼女にリプライを送る。

「美味しそう~!あと、遅くなりましたが7ヶ月記念日おめでとう✨」



直後、私は青い鳥を力いっぱい、爪を立てて、押し付ける。

たぶん、その繰り返し。