愛だとか恋だとか、好きだとか嫌いだとか、確かに不確かなものほど人は求める。
しかしそれは「わかりやすさ」の恐怖に繋がる。
100人のちょっと好き
100人のわりと好き
100人のけっこう好き
100人のすごく好き
100人の死ぬほど好き
これを「マジで好き!」のひとことでくくってしまえば、あたかも500人が同じ感情を共有しているような、そんな感覚に陥る。
もうひとつ。
「締め切りがヤバイ」と言われれば、締め切りに間に合わないのかな?と言われた側は考える。
だけどそれが、どれくらい間に合わないのか、後どれくらいの時間があれば間に合うのか、分からない。
もっとも、おそらく言っている本人も、わかっていない。
こういうことが習慣化すると、具体的に人に伝えることができなくなってくる。
だいたい◯時間くらいという、目安をだすことが、できなくなってくる。
もうひとつ例をあげるとすると。
「休み」という言葉。
それは、休憩・休暇・休息・休日・休止・・・「休み」だけでは、一体何を指しているのかわからない。
相手に察してほしいだなんて、それはあまりにも怠惰である。
「マジ」や「ヤバイ」は具体性を必要としない、人の感情など曖昧で不確かな物事においてこれほど便利な言葉はない。
けど使いすぎると、どんなに声が大きくても、どんなに多く発言しても、結局何が言いたいのかは誰にも伝わない。
大好きな曖昧さや不確かさから少し離れてみると、その全貌が見えてくる。
いままであぐらをかいていたフカフカのクッションは、オドロオドロしい何かかもしれない。
もしかしたらそれは、言葉だけに言えることではないのかもしれないけど。
おわり。