時間旅行 | 大田区鵜の木さろん楓★料理家 印南真帆のブログ「食べることは生きること」

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「食べて元気に、食べて体調がよくなるごはん」を作っています。
銀河弁当・ケータリング・料理教室・食生活相談。

さろん楓ふなだまほです。

いつもありがとうございます。



ヨガスタジオで出会った友人が、
実は同じ中学高校の出身だったと知り、
先日、共に中高時代の足跡を訪ねる散歩に出掛けてきました。



学年も違うし、
当時接点があったわけではないけれど、
20年というときを越えて
いろいろなものを共有できた“時間旅行”でした。



さろん楓ふなだまほ の 21世紀のやまとなでしこ プロジェクト 



私の中学高校時代は、どうしても
登校拒否&引きこもりをしていた家族、
その家庭のあり方を抜きにしては語れない。



本当に感じていることを
そのまま表現できない、してはいけないと
勝手に思い込んで、
仮面をつけていた時期。



そのうちどれが仮面か素顔か自分でも
わからなくなってゆく。



痛いことを感じないようにしていたら
本当に何も感じなくなり、
自分の中に流れていた音楽が止まり、
人の言葉が響かなくなっていた時期。



私にとっては、
どちらかというと封印したい時代だったのでした。



本当のことが言えないから
理解もされないし、
誤解もされたし、
許せないものもあった。
でも、それゆえにわかって欲しかったし、
本当のものを必死で探していた。
そして、自分が間違ってないと証明したかった。



周囲は皆幸せそうに見えた。
自分だけが不幸と思っていたつもりはなかったけれど、
今振り返ると、自分のことしか見えてなかった。
いや、自分のことさえも見えていなかった。



私は、日々、あの美しい通学路を歩きながら、
妙な反骨精神ばかり修養したのだな…。



ただ、はっきりとそうわかった。



それがつらかったとか、
そんな自分がかわいそうだったとか、
思えばそれが後々に役に立ったとか、
そういう解釈や意味づけが最近は消えているのです。



友には、人生に大きく影響を与える教師との出会いがあって、
心に響く言葉があったことを聞き、
ほどなくその先生が亡くなったこともあり、
それは鳥肌もののストーリーだった。



でも、そんな素敵な彼女の学生時代と
特に心に残る師とのエピソードもない私の反骨学生時代が
同価値のものと思えることが
ものすごく気持ちがよかった。




さろん楓ふなだまほ の 21世紀のやまとなでしこ プロジェクト 



路地にはあの頃と変わらない岩がそのまま存在していた。
この植え込みに目を落としながら歩いていたことを
確実に私たちの細胞は記憶していた。



消えたお店、消えた建物ももちろん少なくない。
その中で、あの電気屋、雑貨屋、お茶屋が
20年のときを越えてずっと営みを続けていることは
なんとも言えずにありがたかった。



そして、同じものを目にしていた人がいたこと、
それを分かち合えたことが
シンプルに嬉しくて、心が弾む。



そして、今尚、同じものを目にしながら
その道を日々歩いている10代の少女たちがいること、
ひょっとしたら、その中には、
私たちが共に学校で過ごした友の娘がいるかもしれないことを
想像しながら共に歩いた。



☆   ☆   ☆



「ありのままに受け止めよう」
「あるがままの自分を受け入れよう」
とよく言われます。



それは、ただ「事実を認める」「向き合う」
ということだけではないのですよね。



その事実をいいとか悪いとか評価しないこと。
正しいとか間違っているとか、
素敵じゃないとか、みじめとか思わないこと。



たとえば、現実に、
こんなふうなことが起きているように思うのです。



私もあなたも「世界で一つだけの花」であることはわかった。
みんなきれい。
確かにそうだね。



と言いながら、

それはアタマではわかっているんだけど
心の中ではつい
「でも、あの花は稀少だわ」
「やっぱり私は○○程度なのよね…」
などと思ってしまう…。



優劣の判断を無意識のうちにやってしまっている。



…私もやっていました。
だから、今回驚いたの。



同じ価値…と思えたことに、
そう感じたことに、
自分でおおおっと感動したのです。



最近とみに思います。
・・・いろいろあるけれど、
人生はやはり美しいって。


やっぱりね、癒しは一生もののプロジェクト。

肉体があり、記憶があるってことは、

すごいことですね。