目に見えない世界を希求する人は大満足できそうな展覧会をご紹介します♪
オカルトやイリュージョンでなく
京都国立近代美術館で4月2日から始まった(←昨日だよ!)『没後100年 富岡鉄斎』展、めっちゃよかったです。
珍しく会期初っ端でのレポートです!
富岡鉄斎。
名前は知ってる、作品も観たこともあるけれどあまり関心なく、作品の印象からさぞ豪快な人なんだろうと想像していたら、
仙人でおわしました。
しかも若い頃は神官で、子供の頃は尼僧の侍童をしていたという…実際に浮世離れした人だったんですね。
絵に漢詩(「賛」)を添えるのが基本のスタイル。
漢詩が読めたらもっと絵の意図を察して深読みを堪能できたことでしょう。
まどろこしくもあったけど、それでも伝わってくるものはありました。
特に余白に満ちる緊迫感のようなもの。
精神性を描いてるんだなって感じた。
これは珍しく「賛」がない純粋な絵画。盆踊りの光景。
昔、盆踊りは重労働から一夜だけ解放される農民の快楽で、捌け口の場だったと体育の授業で習った。苦痛も怒りも嘆きも全部昇華させる力強い踊りだったんだと。
それを思い出した。月と群衆の間に神聖な契約が結ばれているような余白、画の主役はむしろそこだろなっと思った。
70-80代になってからの作品が素晴らしくて、会場を奥へと進むにつれ唸りました。
今回一番のお気に入りは、89歳、最晩年の作品。
蓮がほとばしるような構図がめちゃ元気。
長い掛け軸なので絵画の部分だけにカットしてみた。
ご本人は「絵を鑑賞する前に讃を読んでもらいたい。」とのことで、本来漢詩と画で完成される世界のようです。
で、帰ってからスマホに和訳してもらった…。
“谷で蓮を手折る女、波に反射した秋の日差しが時代遅れの粧いを照らしている。
心に蓮根のごとき苦々しいわだかまりあれど、蓮の糸をもってして情けを長らえる。
明の銭宰の言葉”
ってとこだろうか?
泥沼から美しい花を咲かす蓮に年嵩の女性の境地をなぞらえているようですね。
根深い苦しみも、蓮の糸(茎)を長らえて水面に出れば花を咲かすことも、手折られ人を彩り喜ばすこともできますよ。
自ら手折れば人生謳歌。
心を頑なにせず、情を紡いでいきましょう、それが人生スパークさせる秘訣
…と学ばせていただきましたm(_ _)m
蓮のスパーク感がめっちゃイイ感じでした。
漢詩すっ飛ばしてでもメッセージは伝わってきましたね。
「人間万事塞翁馬椎枕軒中聴雨眠」
『竹窓高臥図』
横になって雨の音を聞いているおっさん。
ええよなぁ、このおっさんっと思った次の瞬間、…ん?これ、私の日常や〜ん♪ と気づいた。
おかしくなって見入ってしまった。…ん?ねこ福じいちゃんのようでもある。
結局、同じ道を辿っているらしい…。
“人間万事塞翁が馬、椎を枕に軒先で雨音を聴いて眠る”
理屈で理解しようとすると難解だけど、父親に当て嵌めるとすんなり理解できた。
成功したとか感謝された形跡は微塵もなく、寝てる姿がデフォルトだったけど、成果の種を残して一生を終えてるよね。私の反面教師という役目を果たし、私が学びを深めるほどに父の誉れは高まるように仕組まれてる。
寝てるだけでも成果はあがる…(笑)
もっと他の意味もあるのだろうけれど、漢文の真意は故事を知らずしては汲みきれず、このあたりで収めておこう。
『落花遊漁図』 余隠士也。然亦事々願如斯耳。
隠遁暮らしなので、この耳のように諸事も静かであって欲しいってな意味だろか。
耳がご不自由だったようなので。
この魚たちの躍動感、生命感も素敵だった。
背後でも「これいいねぇ。」って会話が。だよねぇ、お友達になりません?とか思ったわン。
『教祖渡海図』
釈迦、観音、達磨、孔子、老子が衆生を救うために苦海に漕ぎ出す図なのだとか。
賛には、生薬の中にも毒薬はある、少林寺でもやるか。漆の桶に梅花が無尽蔵に浮かぶ様を読んで、いいなと思ったので絵にしてみた…的なことが書いてあるんだろか。
所蔵した画家も大絶賛した作品らしい。やはりわたし眼があるわv
鮮魚をもらったお礼に送った絵なんだとか。
なんとなくのタッチで蟹になるところがすごい。
以上、
展覧会HPに情報が少なくて、図録から写メってみました。
この熱意よ。備忘録を残しておきたくて。
見えないものを描く。心象風景、精神世界、哲学を余白に映し出す画伯の緊迫した精神性に感性を刺激いただきました。
この素晴らしさがわかる人、増えて欲しいなぁ。
あまりにも予備知識がない状態だったので、いっそ解説を一切読まずに観覧してみました。感性だけで鑑賞できる貴重な機会になりました。
若い時代の作品が並んでいる会場前半を巡っているときは、大規模な展覧会をひらくほどでもないのでは…っと思った。エラソー
後で解説を読むと、若い頃は生活のために描いていたのだとか。
やはりね…。
それでも絵は売れ、鷹作が出回るほど世見には受け入れられていたそうだけれど、美術館に展示する意義を感じ取れなかったな。
純粋に芸術活動に専念できる境地に至ってからの作品の伸びやかさ、生命賛歌の表現が素晴らしかったです。
俗世を超越したステージで真価を発揮すべき役割の人だったんだと思うな。数奇な経歴をもつ仙人なんだから。
実はねこ福にはこの手の掛け軸がたっくさーんあります。
漢文を専門にしていた先祖がしたためた賛に画家が絵をつけたもの。(順番は逆かも)
当時そういうのが人気だったのかなぁっと会場を進んでいくと、画家の住まいの写真が…。
これ!うちん家だわ。リノベーションして面影を根絶させてしまったけど、記憶の片鱗に残る元祖ねこ福はこんな佇まいでした。
本がびっしり、巻物がぎっしり。襖絵もこんな感じ(まだ蔵に残ってる)
かつて私はこの風情が嫌いだった。
だけどこれはもう、親近感を感じずにはいられなくなりましたね、鉄斎さん。
図録をこんなに舐めるように見まわしたのは初めてだわ。
たまには先祖の作品も振り返ってみようって気持ちにもなれました。
富岡鉄斎の作風を文人画と呼ぶそうです。文人画の解説はここに↓
血は争えず、私はどうもやっぱり文人画が好きなようです。
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