国立国際美術館のコレクション展示を訪れたときのこと。
とある作品に目がとまりました。
クスッと笑って通り過ぎたのだけど、示唆に富んでたので記録しておこうかなと。
手入れの行き届いた竹林。
ルノワールの有名な絵が置かれている。
ルノワールの《ムーラン・ド・ラ・ギャレット》とタイの村人たち(借用)
絵の前に集まり、少し改まった姿勢で名画を眺める人たちの後ろ姿。
…わっ、なんだか微笑ましい光景。
もしかしたらルノワールって名前さえ知らないかもしれない人たち。
ヨーロッパ絵画との初めての対面かもしれない。
どんな思いで鑑賞されてるんだろうな…♪
「観客」の心情を妄想してみるのが楽しかった。
と…、
振り返ると背後ではプロジェクターで同じ趣旨の映像が流されていた。
ミレーの《落穂拾い》とタイの村人たち
今度は「ミレー」。
絵を前に座っている人々の会話も音声で聞ける。
実に、先ほどの妄想の“答え”が提示されている。
…会話の内容は、
尽きることのない延々の世間話!
詩的な妄想を繰り広げつつも、どこかで冷めた自分が予測していた現実、
的中。
…だよねぇ、そうだと思った!
画像と映像が対になったこの作品を通り過ぎてから、ぐるぐる頭の中を巡ったことは、
・情報量は空想力を奪う
端的なほど自由裁量の余地がある、勝手に期待できる、夢が広がる。
動画>写真>イラスト>文字解説>キャッチコピー
映画>漫画>小説>短歌>俳句
マンガを読ませてくれなかった母を思い出す…
・芸術の価値は水もの、鑑賞者に委ねられてる
名画といえど、日常で完結してる人を魅了する魔力はない。
芸術に限ったことではなく…
・人は相反する予想を同時に立ててたりする
相反する感情や理想を抱きつつも、現実への対処のために一択して他は無かったことにしてるってることがほとんどなのかも。
予測が当たる人って何通りもの考えを仮置きするスペースを頭脳の中に持ってるのかな。どっちに転んでも当たる。
以上、
アラヤー・ラートチャムルーンスックという作家の作品に触れての感想でした。
まだまだ堀れそうだけど、今日はここまで。
そういうのは秋がいい…
国立国際美術館の地下2階は全面、コレクション展示フロアー。
地下3階の企画展のチケットで無料で入場できます。
大阪市内でこの広々とした空間使い、贅沢だよね。