人間になりたがった猫 | 大阪高槻 昔話の山里にあなたのプライベートシート 古民家ギャラリーねこ福

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築130年古民家をリノベーション、自然に囲まれ季節を肌で感じて「大切なことを思い出す」空間作りをしています。大阪駅・京都駅から1時間以内、奇跡のアクセスで桃源郷へようこそ♪こだわりをもって過ごす交流の場、ゆったり内省する時間をどうぞ。猫さんも寄り添います。

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ねこ福について
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そんなタイトルのミュージカルありましたよね。

 

ねこ福ファミリーのひとりだったこの子、

そのパンフレットのイラストにそっくりだったなぁ。

 

 

この子もアントワネットかあさんの子供です。

 

 

マリーちゃん人間になりたかったのかなぁ

なんて、

似てるから勝手にリンクさたりしてました。

 

 

 

でも実は、

いちばん人間になりたいと強く強く願っていたのは、

アントワネットかあさんだったなと、

見送ってから確信しています。

 

 

 

 

 

みなさんに可愛がっていただいたアントワネットが

6月の下旬に旅立っていきました。

 

12歳と2ヶ月です。

 

そのことは、こちらの記事でご挨拶させてもらいました。

 

アントワネットに愛情をかけてくださった皆様、

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

パン、ご飯、ケーキ、せんべい…

 

アントワネットは、普通猫が食べないものが大好きでした。

人間が食べているのを横から狙って、

バシッと奪い取ってしまいます。

年々、その手口も巧妙になっていって、

うかうか落ち着いて食事もできない。

 

 

どうも、人間と同じものが食べたくて仕方がなかったみたい。

 

初めてケーキを奪い取ったとき、

目に涙を溜めて、肉球の間に挟まった生クリームを味わっていました。

そして、その涙を床に振り落としながら…。

1歳だったかな。

 

 

 

とにかく同じことを経験したかったようで、

私から離れない。

トイレにだって、お風呂にだってついてくる。

晩年には、湯船に浸かろうとしたこともあったな。

 

逆もありで、

自分の経験を私にもさせたかったようで、

子猫にお乳をあげさせようと赤ちゃん猫を私の横に運んできて、

こうやってやるの

って、他の子猫でお手本を見せてくれたり。

 

お産はそばで見守ってなくちゃいけない、

その場を離れると連れ戻しについてくる。

うたた寝してたら私の上で産み落とす。

 

 

 

 

美談もたくさんあるけれど、

それを帳消しにするような素行は数限りなく。

6月の下旬、堪り兼ねて伝えました。

 

「あなたは猫なんです。

人間と同じことがしたかったら、

今度生まれ変わって人間になってきてから、してください。」と。

 

 

アントワネットは、

しょんぼりと俯いてしまって、

長らくの間そこでじっとしていました。

 

 

 

その翌日、

ふと気がつくと、

よろしくない兆候。

 

何匹もの猫さんの旅立ちを見届けてきましたから、

それはお別れがもう近くまで迫っている印であることはわかりました。

 

前日、

またしてもお客様(個人的なお客様でほんとよかった)のお昼ご飯を

厳しい攻めで奪い取っていた気迫からは、

予測できない展開。

 

 

 

 

すべて、振り返ってみて思うことではあるけれど、

『人間と同じことをしていたら、いつか人間になれる』

そんな信念のもと、

命の炎をかろうじて灯し続けていいたのかもしれない。

 

 

 

 

基本ねこ福家では、

溺愛するのも過保護にするのも、ちょっと違うかなという主義で、

猫さんに対等意識で接していました。

 

それが悪さを助長してきたのかと反省して、

その時初めて、

アントワネットのことを「猫」と呼びました。

 

それがとてもショックだったのではないかと思うのです。

 
 
 
 
 
 
昨年の猛暑には、もうダメなんじゃないかなと思うほどに
一旦衰弱していたので、
そこから考えると、ずいぶん頑張ってくれたことにもなります。
 
ねこ福じいちゃんが亡くなってから、
衰弱する他の猫さんとは反対に奇跡の回復を遂げてくれたのでした。
支えなきゃと思ってくれたんでしょうね。
 
飼い主に尽くしていたらいつか認められて、
人間になれる
 
本人は、そんな願いに支えられていたような気がします。
 
 
 
 
 
人間に生まれてこようと思って、
急ぎ旅立っていったのだと思っています。
猫でいることが辛かったんだろうな。
 
 
だから、私はそんなに悲しんでいません。
アントワネットが進んで選んでいった道だと思っています。
ぜひ希望が叶うようにと、
今までの感謝を込めて祈っています。
 
 
 
 
それでも寂しいですけど。
 
 
『ベルサイユのばら』のクライマックスで、
いつものようにオスカルが「行くぞ!アンドレ!」と振り返ると、
自分の背中を見守る人はいなかった
というシーンがありますね。
 
少し前まで私は、そんな心境でした。
 
ベルばら狂ではないけれど、
アンドレのような人が私にもいたらいいのにとずっと思ってました。
今になって気がついた、
 
私にもアンドレいたんだ…。